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水谷修先生のお話聞きに行ってまいりました。
当日不思議な雲が見えました。
浄土真宗の龍谷大学とカトリックの上智大学共同の主催で
様々な方面から、悲嘆の癒しについて講義が開催されていくわけです。
グリーフケアセンターの高木シスターに、控え室に呼ばれ、目の前にご本人。一言二言しか言葉は交わさなかったですしそれ以上は必要ないと思いました。ファンでも追いかけでもなくヒーローや有名人と仰ぐのではなく、同じ方向を向いていてるので。
きっと、私の最上の幸せは先生に認めてもらうことなんかよりも、
今目の前にいる人の幸せのために動き続けること。
それにしてもお歳をめされたなあ。

人はなんのために生きているか。
人を幸せにするため。
誰かを笑顔にするため。

言葉にすると簡単だけども、深い。

「暴走族やってた」「いいんだよ」
「リストカットやってた」「いいんだよ」
「引きこもってた」「いいんだよ」
「おれ、死にたい。私、死にたい。」「それだけはダメだよ。水谷と一緒に明日作っていこう」
で、三百万部売れた「夜回り先生」の本ですが、
「いいんだよ」を日本中が待ち望んでいた。
歴史上でこれを繰り返し言ってきたのは、
法然、親鸞、キリスト。

世の中全体に、家庭でも学校でも社会でもイライラが満ち溢れている。一番無力な子どもたちに様々な問題が起こる。
いじめ、非行、不登校引きこもり、リストカット。

心の病に対する4つのアプローチ。
1.運動をして身体を疲れさせる身体的アプローチ
2.薬物療法などの化学的アプローチ
3.カウンセリングなどの論理的アプローチ
4.最後に、超越論的、宗教的アプローチ

1-4を組み合わせていくことが課題であるとおっしゃっていました。
宗教施設が子どもの生きる力になるのは大きい。
何だか感じのいいと思う子は神社やお寺に家族で参拝している人が多い。
教会学校や青年会での関わりの中で考えながら自分を取り戻していった仲間をたくさん見てきたし、
遍路中も、引きこもりの青年を預かっている禅寺に泊めてもらい、いろいろと哲学の話をしました。
老齢化が進む教会で、唯一若者が爆発的に増えているところがあるが、晴佐久神父というカリスマみたいな人が、ストレートに救いを宣言している。
松下幸之助さんや、斎藤一人さんといった実業家は、ものすごく神様とか神社を大切にしている。慕ってくる若者もいて嬉しかったわけです。
さて、無教会は…?場所を提供できているだろうか?しっかり話を聞けているだろうか?内輪になっていないか。外に開かれているか。

日本全体の課題に、真摯に取り組んでいかねば。








2016.10.05 Wed l 未分類 l COM(0) TB(0) l top ▲

脱会して、三年半かな?

kさんとの取材とか、tさんとの取材とか、ネット上でのやり取りで、
脱会した時、釘を刺された。

今は、あの教団に対しては何の感情もとらわれもない。
むしろ、感謝とか祝福できるようになったあたりが、
自分の魂が自由になった証拠。

人やお金を集める手法や、研修の制度は見事だなあ、
幸福実現党だけ正論言ってるよね、
くらい思えるようになった。


当時は、誰にも分かってもらえない苦しみがあった。

それがたとえ、人を幸せにするような普遍的な真理であっても、
霊とか、魂とか、神とかいう単語だけで、
宗教的なものに対しては、腹が立って反発していた。
全てを憂鬱で冷ややかな目で見ていた。

この宇宙や人生が完全に無意味なもので、宗教なんて迷信だとも完全に言い切れないし思いたくもない。
でも、この世のあらゆる宗教は、インチキ。どんなに立派なことを言っていても不完全。
神がいたとしても、出会うことはない。

霊的な苦しみも誰にも分かってもらえなかったし、
いくら言葉を尽くしても聞いてくれる人なんていなかった。

世の中、「モノとヒトが全て」でそれ以上の次元のことなんか寸分たりとも意識しないで何とかやっていけているのである。

私の中で、たった一人っきりの霊的な探求が始まった。

確かに、神さまというのは生きている存在で、
頭ではなく、それをもっと身近に感じて親しい交わりをしたいと願っていた。

「いるかいないかわかんないけれど、儀式だけはある。」
というのが、現代の宗教。

霊的な喜びの味も分かち合える人は少ない。

今、私は、神が生きて働いている愛ということを疑いないものとして受け入れる。


だとすると、あの教団はなんだったのだろう、
エル・カンターレとはなんだったのだろう。

人工の神、
偶像。

偶像でも、奇跡は起こるし、確かに人を幸福にする。
対象よりも、真剣な願いの方にしんこうというものは重点がある。

現代社会そのものがありとあらゆる偶像に取り囲まれていて、本物がない。

この世のありとあらゆるものは偽物だと受け入れてしまうとすごく楽だ。

そして、ありとあらゆるものに神が働いていると思うと、
知恵を持って畏敬の念を示すことができる。












………………………………………………………………………………………
 著名人の“霊”とやらを勝手に呼び出したり、国政に挑んで十数億円の供託金をフイにしたりと、常識を超越した振舞いを続けてきたのが宗教法人「幸福の科学」の大川隆法総裁である。が、そんな愉快な教祖が、去りゆく人々に口封じの誓約を強いているというのだから、ちっとも幸福でない。

 さる幸福の科学ウォッチャーが言う。

「教団ではこれまで、入会とともに退会も自由でした。信者が会員番号や氏名、辞める理由を記入して担当部署にファクスすれば受理されていた。それが今年に入って方式が変わり、地区の責任者と面談し、承諾を得ねばならなくなったのです」

 実際に、1月下旬に改訂された最新の「退会届」には、

〈退会に際しては、本書面に自書の上、所属支部の支部長との面談が必要となります〉

 とあり、続けてこんな“誓約文”が掲げられている。

〈退会後も、幸福の科学や、その信者に対し、迷惑行為や和合僧破壊行為(信者の信仰を揺さぶったり、失わせたりする行為)をすることはありません〉

 先のウォッチャーは、

「『和合僧』とは、職員や信者らを指します。教団の経典である『正心法語』の中に『和合僧破壊の罪は 阿鼻叫喚 堕地獄への道 避け難し』という一節がある。集会などで唱和され、信者の体にしみついているフレーズで、これを退会の際に読まされるのは、信者にとっては“宣誓を破れば地獄へ堕ちるぞ”と脅されているようなものです」

 というのだ。

■“呪い”の文言

 教団の信者数は、幸福実現党を立ち上げた2009年当時は約15万人。うち献金額の多い「活動信者」は3万人ほどだった。が、

「年々減少し、現在では総数約5万人。活動信者は数千人といったところ。こうした情勢に歯止めをかけるべく、今回の改悪がなされたとみられます」(同)

 加えて、ジャーナリストの藤倉善郎氏は、以下のように指摘する。

「教団は現在、複数の元信者から、現役時代のお布施の返還を求める訴訟を起こされています。ネット上で起きている批判ともども、こうした動きを今後は封じ込めたいのでしょうが、退会後の行動まで指図するような届を定めている団体など、聞いたことがありません。『恐怖の意識』を念押ししているわけで、極めて悪質。もはや“呪い”といってもよい内容です」

 幸福の科学に聞くと、

「当教団は本人の自由意思を尊重しております。今回の改訂は、本人になりすまして無断で退会届を送付してくるケースや、信者の際に知り得た個人情報の濫用・悪用等を防ぐためであり、信者の『信教の自由』と公序良俗を守ることを目的に行ったものです」(広報局)

 が、前述の「お布施返還請求訴訟」の原告代理人を務める渡辺博弁護士は、こう断じるのだ。

「どんな宗教・教義を信じるかは個人の自由です。大川隆法の教えが嘘だと悟った方が脱会を申し出て、面談でこれを認めずに信仰を強制し続けるのであれば、宗教団体としてあり得ないこと。まさしく公序良俗に反する『無効の定め』です」

 露骨な悪あがきだというのである。

「ワイド特集 ワケありの人物」より

「週刊新潮」2016年9月29日号 掲載
2016.10.01 Sat l 未分類 l COM(0) TB(0) l top ▲
とかく、思春期青年期の頃は、自分の存在というものを見てくれる人、見つめて気にかけてくれる人が欲しかった。

求めて、求めて、裏切られての繰り返し。

とかく、何もかもがわからなくて、闇の中で、
誰とも人間らしい関係を結べなかった。

人間社会から取り残されたようだった。
繋がりたくても、繋がることができない。

自分が、誰とも繋がれず、存在を認められないという、無限の孤独。

自傷してた頃の感覚はなぜか、今でも言葉にできない。

他人の感覚に合わせて自分を生きてると、マジで死ぬぜってこと。



原始仏教やヨーガ、
アドラー心理学、
成功哲学なんかと出会ったことが力だった。

人生狂い始めて、やっと軌道に乗り始めた。


人は人、自分は自分、どーでもいいやって開き直ることでかなり息がしやすくなった。
別に、はなしの合う奴なんていなくていいや、と

いや、相当自由になれた。

孤独の中でするべきことは、本を読むこと、特に古典。
偉くなる人、千載正史に名を残す人間というのは、同じことを孤独の中で考えている。

時空を超えて、友人が出来る。


そうやって、ひとり歩いていると、道が開けてくる。

アホみたいな価値観を切り捨てていくことで、
素晴らしい仲間と出会える。







2016.07.05 Tue l 未分類 l COM(0) TB(0) l top ▲
愛されたくて愛されたくてたまらない症候群
みたいなものが、
宗教に行く人の中にはあると思うんですよね。

というか、多かれ少なかれ多くの人にはそれがある。

そして、その正しい満たし方を知らないから、
傲慢になったり、無駄に頑張りすぎたり、
酒に溺れたりする。
人間関係でトラブルも絶えない。

寂しくて寂しくて、
他の人が羨ましくて仕方がない。

自分の惨めさをわかってもらうために、
振り向いてもらうために、
物語を多くこしらえる。

自分を傷つけたりもする。

そして、どうしたらいいか全く見当も付かなくて、次第に絶望する。


どうしたら、そこから抜け出せるかという試案のひとつ。


宗教団体でも、教祖様でも、共同体でもない…
神さまに対する信仰をしっかり持つこと。

あらゆる地上的な次元を超えたもの、生命体全体のうちで、自分にどのような役割があるのか
ということを問いかけ続ける、という内的な作業のことです。

宗教的行為とか知恵というのは、心理学的にも、環境に左右されない主体的な自己を確立する上で、
非常に有意義なものなのかもしれません。

信仰で大切なのは、神様と取引をしない、ということです。

キリストは、神殿で商売をするなと言って、屋台をぶっ壊して回りましたが、
商売とは、こういういいことをしたからとか、断食とか祈りをしたから、神様応えてくれるでしょうという下心です。
変に真面目ぶって敬虔ぶった遠慮がちな態度ですね。
神様の前で立派で敬虔な態度取るのは、人間の側の矜持を超えちゃいけない。


実は、神様というのは、因果の法則を超えたところがありまして、
努力とか苦労とかあんま関係ない。
むしろ、ツキとか運とかが非常に重要です。

こういうことは、脳科学の方でも照明が進んでおりまして、
実は、成功と努力は関係ない。
苦労はしてはいけない、
ルンルンでやらないといけないということが明らかになってきた、と。

神様は無限の供給者なので、
まあ、繋がったら、ほとんど反則みたいなもののように思えます、人間の目から見たら不公平です。
でも、なんでもいただけると言うのだから、くれるものは全部ありがたく、いただきましょう、
と遠慮なく神様からの助けを受け取れる人が恵みとか救いを受け取れる。

人様から、あれくださいこれくださいという子供がいて、そういうのは厚かましいと思いますが、
神様から、あれくださいこれくださいは、もっと厚かましくてもいいと思いますね。笑
まあ、正確には、神様は、あれもくれるこれもくれる方で、ここまでやるかってくらいすごい、と。




もう一つが、
利他的な行為。
それも、見返りを求めないで、相手の立場に立ち興味関心を持ちながらも、
なしたことに関しては完全に自己満足である利他的な行為。

なになにしてあげたということではなく、
相手の幸福を願い行動すること自体に、自分の幸福があるということです。

究極な話、ボランティアに行って、奉仕を一生懸命して、それをしてあげた人に全部無慈悲に蹴り返されても、
ニコニコしていられることができたら、
実は一番幸福なのは自分自身なのです。まあ、神様からの無限の供給を受けておりましたら、まあそれに比べたらいいか、となる。



次が、
感謝の念=幸福、ということです。
これも、周りから立派とか清く思われたいからとかでなくても構わないので、
勝手に心の中で、あらゆる人に対して感謝をしておけばいいのです。
自分を傷つけ騙し怒らせるようなことをした人に対してもです 笑
なんとか理由をつけて感謝の念をしてみれば、得をするのはあなたです。

これにも、練習や慣れが必要で、熟練してくると、それまでぶん殴って呪い殺してやりたいとまで思っていた人に対しても、
なんとも思わなくなるばかりか、穏やかな心境を保っていられることができます。

奪われたことや大変なことというのは地上的な目で見れば相当あるのですが、
存在レベルで見たら、やばいほどの感謝感謝で成り立っているのですね。


愛されたい症候群から抜け出すには、
自己満足を貫いて貫いて貫き通す、
それも一つの手です。
キルケゴールという人は、絶望から抜け出すためには、信仰への飛躍が必要で、主体的自己を選び取るのだと申しましたが、
他人や社会、要するに、週刊誌や学者の次元で規定されない、内的な高み、神の次元に飛ぶということです。










2016.07.05 Tue l 未分類 l COM(0) TB(0) l top ▲
厩戸皇子です。
(深々と合掌して頭を下げる)

まず、み仏を信じること、深く帰依すること、
み仏がいかなる世界を作ろうと、人間を通じてされているのか、その意志をしっかり汲み取ることが一番大切なことと心得てください。

政策の議論やイデオロギーの左右、物質的なものの見方は愚かなるかな。

どうぞ、もう一度仏教の、み仏の願う世界のあり方というものを仰いだ上で、政治というものを行って欲しいのです。

私は、死ぬ前に世間は虚しいものであって、ただ仏のみが永遠の真実なりと申しましたが、
このことは、現在の文明、日本社会においても変わることはありません。
嘆きはしますが、こうなることは、千何百年もの前から予知はしております。

東アジアの国際情勢についてですが、大和の国を守るために武装するにせよ、武装なしでやっていくにせよ、み仏と日本の神々に深く帰依することを前提とした上で政治をして欲しいのですが、
私は、和をもって貴しとせよと、くにたみに伝えました。
調和とは、天じゅの国、仏国土における基本原理なのです。

知恵も必要です。勇気も必要です。
日々祈ることが必要です。日本人にはこれが一番欠けていることです。
どうか、清き明るい心を、神仏と同じ輝きを持った心を取り戻してください。

優柔不断ではなりません。
どんな政治家も完全に正しい判断はできませんし、戦争をすれば、いくら正しいとて、血は流れ、税金もかかるわけです。
完璧でないと自覚した上で、謙虚にみ仏に問い続けながら、為政者は決断をし続けていかねばなりません。


どうしたらこの国の人々が、幸せに暮らせるか、天皇だけでなく、国民一人一人が真剣に考えていかなければならない。
祈っていかなければならない。
皆、完璧ではなく欠点もある仏の子なのだということです。


教育は、私にとっても関心ごとの一つでありました。
できれば、仏教、儒教、神道を選択必修にしても良いかと考えているのですが、それは現代日本においては難しいものがあるでしょう。

神さま、仏さまを信じ、その教えに従ってやっている実業家がお金を稼いで成功していることが増えてきています。
天上界からはそういうアプローチをしています。
つまり、天の意志に従った人間を、地においても神仏は護っているのだと、
そして、それを見て初めは我欲からでもよい、方便として、霊的な次元に目を向けさせようとしているのですね。

官学として道徳を学ばせることは現在非常に難しい、
しかし、お金儲けとか成功とか物質主義と見えることのうちに、精神的、霊的な教えが市民権を獲得している。
これだと、官学でやるより、仏の教えは伝わりやすいです。


いつの時代でもそうですが、仏国土から見ますと、この地上世間というのは、
濁った泥水に見えるわけです。

しかし、魂の修行ですから、気がついた皆さんは、そういった中でも、み仏を信じて聞き従いながら、
日本人の平和と幸せを願いながら、働いていかなければならない。
そういう風にして生きてるあなた方はすごく尊いですよ。仏はとても喜ばれます。








2016.06.29 Wed l 未分類 l COM(0) TB(0) l top ▲
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