上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- -- l スポンサー広告 l top ▲
あらゆる苦しみは、外界の事象をコントロールしようとして、それが思い通りにならないことから起こる。

この点を分かっていないとたとえいかなる優れた思想が出てきたところで、争いやいさかいはおこるだろう。


宗教というのは、他人の想いをコントロールしようとする試みに他ならない。
すなわち、「自分の思い通りに動いて欲しい」という。

それに対するアンチの活動もまたしかり。

国家が国民をコントロールすること、
国民が国家に不満を抱くこと。

親が子の言うことをきかせようとすること。
子どもが親には向かうこと。

カルト教祖や教団や信者が、信者や外部の考え方をあれこれ言うこと。
それに対して、外部があれこれ批判をすること。


相手を「嫌」と思い、攻撃することもコントロール。




本当は、コントロールできるのは自分自身の心だけなのである。

それを忘れると、自分自身がコントロールされ、苦しみに陥ることになる。


他人が私にあれこれ言うことはコントロールできない。

私が、他人に助言をすることはできるが、コントロールはできない。

コントロールできるのは、私自身しかいないのである。


一切の自由が失われたナチスの収容所において、
フランクル博士は、心の態度の自由だけは奪うことができなかったという。
そして、希望を持つことができる者のみが唯一生き残ったと。


私は、「正しさ」ほど愚かなものはなく、人間を迷いに導くものはないと思っているし、
人間心で決める「正しさ」のうちに悪魔がいるのではないかと感じる。

「私は正しい」というとき、
そこには、「私(私たち)は、ほかのものに勝りたい。他のものは皆私たちに従うべきである」というコントロールの意志が隠れている。

ドイツ語で、正しいとはgerechtという。
このgerechtと、「復讐が満たされた」というgeraechtという言葉はまさに同義である。



本当の自由とは、「自由」などに捉われなくなることだ。



他人というものは本当は幸せにはできない。

本人が、自ら幸せになる以外に幸せというものはないのである。

もし、他人を幸せにしようとおもうなら、
私自身が幸せの光をうちに灯すこと。

本人がその光を望めば、私のロウソクの炎を分けてあげることだ。



魂のうちにおける光とは太陽のようなものである。
私は、ただ自らの光を燃やす。
その結果、周りは輝く。

決して、周りに輝くように要求しない。
ただ、輝く。
自らのうちに満足して。

太陽は、照らすものが何を言おうが、
彼らの生き方に口をはさまず、尊重する。

太陽に顔を向けるヒマワリも、
土の下にいるモグラにも、
「それでいい」という。

太陽は、ただ充泌のうちにその生命を燃やし続ける。

スポンサーサイト
2013.09.27 Fri l 未分類 l COM(1) TB(0) l top ▲

コメント

洗脳と没落
某科学団体は、自己と世界の幸福化の為に、根底に悟りと愛を説きました。
愛とは奪うことではなく、無私なる思いで与えることが本物の愛であると説き、与える愛を説きました。
宇宙の根源に遡って、愛の発展を説きました。
しかし、宗教団体、組織化し、大伝道の号令がかかると、愛の発展が没落らくへと向いました。
信者は教祖の我欲を満たすお金を集める道具となっていきましたね。
過酷な活動、布施を強いられた人間には限界があります。そこで、信者をコントロールする為に巧妙な洗脳のしくみを植え込んだのです。

限界を超えたコントロールは我欲を潜在させる洗脳です。
2013.10.03 Thu l XYZ. URL l 編集

コメントの投稿












       

トラックバック

トラックバックURL
→http://relisophia.blog43.fc2.com/tb.php/99-755d8266
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。