上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- -- l スポンサー広告 l top ▲
矢継ぎ早に出される霊言をはじめ、幸福の科学の出版物を見るたびにいつも、窮屈な感じといいますか、すこし気が重くなる感じを受けていました。

彼らは、自分と敵対する思想や団体の「あらさがし」をすることが多い。
そして、都合の悪いものは「地獄」や「悪魔」のレッテルを張る。
そして、自分の団体や思想の優位をとくパターンがほとんどだからです。

彼らは、「完璧」を要求し、いつでも、自分に反対するものを断罪し、「この思想の落とし穴」を探し、
あの手この手を使って、幸福の科学に屈服させようとするわけです。

幸福の科学に縛られた頃は、「等身大の自分」で生きることが罪のように思えていたりしました。

息が詰まるような想いでした。


でも、そこから離れること。

彼らのことが、「哀しい人たちだな」「つまらない人たちだな」と思えるようになってくる。


やはりどこかに、教祖にも、信者にも、「棄てられないエゴや欲望」が形を変えて彼らの行動原理を縛っている。



純粋な心の持ち主ほど、その世界を傷つける者に対しては暴力的になる。


あらゆる宗教に問題があるからといって、「実在の世界」や「道理」そのものに問題があるわけではない。
それを見抜く知恵を、静けさの中で確かめて生きていきたい。


蛇のように賢く。鳩のように素直に。


結局のところ、どの団体に属しているかよりも、自分自身がどう善い生き方をできるかこそが問題なのだ。


世の中がどうとか、社会がどうとか、他人からされたことではなく、
自分のしたこと、自分のしなかったことだけに心を向けて生きていきたい。
スポンサーサイト
2013.08.09 Fri l 未分類 l COM(0) TB(0) l top ▲

コメント

コメントの投稿












       

トラックバック

トラックバックURL
→http://relisophia.blog43.fc2.com/tb.php/88-c681b94f
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。