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先ほど、親から聞いた話なのですが、
幸福の科学の東京のほうの青年会あたりから、自宅に電話がかかってきて、
私にネットでの当会批判の言説をやめるようにと圧力がかかってきたとのこと。


そこまでするようになったか。

やめてみて、カルトの恐ろしさに気がつく。

そこでひいてはいけない。

逆に電話かけるくらいということは、
ほおってはおけないくらい向こうにとって私が危険ってこと?

アンチ皆さんのブログのほうが気合い入ってると思うのですが(笑)

種村対談とか、
きょう子対談なんでしょうか。



信者の母は、
「あなたが何信じるのも自由だけど、
ほおっておくことは出来ない?
やめてね、そういうのは。」
と。

子ども時代から、ずっと泣き寝入りして被害者のまま苦しんでいた自分。
それではいけないし、言論で戦う義務がある。


「言論の自由がある。
それに苦しんでいる人だっている。」

「今は時代が変わる維新のとき」「あなたは世間知らず」「きょう子は金と家を貰って裁判に負けたのよ」
論点をコロコロすり替えて、何が言いたいのかわからなかった母…。

今まで見てきたすべての信者に共通する特徴と同じ。

相手を揺さぶって動かそうとしているようで、
本当は本人が一番揺さぶられ動かされていく。



自分が親を赦せるようになった、
感謝できるようになったのは、
マインドコントロールからときはなたれから。

イエスが、
「平和でなく、剣を」ととき、
家族の分裂を言ったという不可解な箇所がこれまで以上に身にしみる。


カルトに対する信仰こそ、人を苦しめる最後の執着で、魔なんじゃないか。
それを知恵の力で打ち破ったとき、暖かくてほのかな光が見えてくる。


ただ、自分が幸福の科学批判をしてるのは、
複雑で大きなものの前に泣き寝入りしたくない、ということ。
それだけ。

必要以上には戦わない。

適宜、必要な分だけ戦う。
そして内部を世に問おうと思う。
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2013.06.04 Tue l 未分類 l COM(0) TB(0) l top ▲

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