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幸福の科学が、

ネットや週刊誌での報道に対して、「それだけでは本当の姿は分からない」

と、立ちあげたサイト

ボイシー 。




奇跡の体験や、

救世主と出会えた喜び、情熱

感謝の気持ちや笑顔



など。





アンチになってしまった私を引き止めにかかった「法友」たちが説得に使った言葉も、

「本物の幸せを掴んで欲しい」ということでした。



あとは、「未熟な会員があなたを傷つけたかもしれないが、主エル・カンターレだけは本物だから信じてください」と、

あの手この手である。




私も、学生部時代に、

キャンプファイヤーを囲んで、歌ったり、泣きながらの告白を聞いたり、

ほかではできないを体験をしたから、分かる。




一方、

実際に種村修さんに会ったり、きょう子さんに会ったり、

やや日カルトが裁判で負けていない事実など見ると、

教団の中心部は狂気に包まれているのは否定しがたい事実である。





そこらへんに、どう折り合いをつけていくか。



一般世間からどう見られて笑われているか、信者も知らない人はいないだろう。



しかし、どんなにおかしく見えてもついていくのが信仰。





おそらく、「どこかおかしい」と思いながら、カルト教団から踏ん切りがつかない人こそ、

そこでの活動した仲間の本気の姿を真実としか思えない認識があるからこそ、

サイトなどのいろいろな告発を見ても、「こいつらの言うことは魔にやられている」と思うのでしょう。



世間やアンチと、エル・カンターレを信じている人と、どっちが生き生きしている?

お前はどっちの生き方をしたいんだ?

どっちに生き方を賭けるんだ?

と。



賭けです。



・大川が正しい。世間の風当たりにも負けず、最後に勝利する。

or

・大川は詐欺師。騙されて一生を棒に振る。




・大川は詐欺師。退会して、平凡な幸せを噛みしめて生きる。

or

・大川は仏陀。信仰の糸を離したことで、魂は永遠の苦悩と後悔にさいなまれる。





「本気」「情熱」というのは、実にやっかいな問題です。



こて先の理屈は、用をなさなくなるからです。




どこかで、「気にならなくなる」ようになる時が来るのですが、やはり、少し時間はかかります。



し、確かに情熱を傾けた人ほど傷は残ります。



教団を批判して、信者から説得されたり、批判されたりするのも怖いかもしれません。




宗教団体で被害にあったり傷ついたりして、

「何を信じればいいの」と絶望したり、

疑心暗鬼になったり、

すべてを信じることをやめて投げ出したり・・・



命をかけてまで従おうとしたものに裏切られる体験。

すごく辛いのは分かります。



でも、



幸せになれる法則は必ずあります!



すべての宗教、すべての人類にに開かれている黄金律。



「自分にして欲しいことを人にしなさい」

です。



神さまがいるかいないかは、私にもわかりませんが、

確かに、人間の間での幸せになる法則というのは与えられているようです。




悩んでいる自分のことは少し脇に置いておいて、

人の幸せのために何ができるか、

実際に動いてみること。




幸せの法則自体は間違っていなかったのかもしれません。



ただ、その一部の幸せの法則を、教団が専売特許で「ここでしか学べない」と一人占めして、また、「信仰によってしか救われない」と所有しているだけで、

素晴らしいものは、本当は世の中に満ち溢れていますし、

悟りだとか信仰だとか大層なことを学ぶ前に、

シンプルな利他行を日常生活でこそ実践しなければならない。



教団は、「この教団でなければ・・・」「一人で学ぶだけでは分からない」「入って活動しないと分からない」「勝手に学ぶのは自分勝手教」と、団体に絡め捕る論理を駆使してきますが、

まあ、入る入らないは自由として、

そこに集まっている人が、なにか「キラリ」としたものをもっていて、「この人のようになりたい」とあくまでも自然に思うかどうかですよ。



「モノ」を勧めるんじゃなくて、あんた自身の人格を、自分自身の言葉をさりげなくにじみ出すようなやりかたをいたしなさい。



信仰を勧めるやり方は本当にえげつないと思います。



人の自由選択の可能性を失わせた時点で、その団体に入っても「本当の幸せ」は永遠に手に入らないでしょう。





創価学会に折伏されて、「御本尊もらおうよ!一緒に本気でお題目あげようよ」と迫られた時も、

殺し文句は、

「やってみなきゃわかんないよ!」「飛び込んでみる勇気も必要だよ」「やめたくなったらいつでもやめていいから」

です。





組織に所属することと、本当に幸せになることが、一体化され、

「中途半端な」幸せは、クズのような扱いです。



ますます、自分の心の重心を失っていきます。




たしかに、素晴らしい人の集団に飛び込んでいくことで、

自分も感化されるというのはあるので、一義的に団体が悪いとも言えない。






キリスト教などでも、

信者同士が、ネットで教義がどうのこうの、教会の在り方がおかしいだのと論争し合っていますが、

なんのことはない。



正体は、

自分の劣等感の裏返しです。

愛の名のもとに、人を自分の都合よく動かしたいだけです。



それが、克服されない限り彼らは永遠にあれこれと不満を垂れ続けます。

そして、またいろいろと教会をめぐりあるいて永遠に騙され続けます。



善行による救いはなく、イエスという他者による信仰による救済しかありえない宗教ですから、

自分自身を正すという視点が欠如しているのでしょうか。



イエスに祈って永遠の命にあずかればそれで万事オッケーなのでしょうか。





まあ、神の目からみたら、彼らこそ赦されて救われるべきなのでしょうし、

自分自身にも同じ要素が確かにありますから、軽蔑できるほど偉くはないです。



その代わり、一緒にはいたくないですね。




「教会に近づくほど、神は離れる」というドイツのことわざはこのことでしょう。



「愛されたい」病んだ人々の集まりが教会に集まる。

本当はすでに神から愛されているのに、自分でそれを分かち合うことをせず、閉ざしてしまっている。




すこし優しそうな人を見つければ、食いついて、あれやこれやと自分のいいように振り回す。

そして、少し気に食わないところがあれば、人にぎゃあぎゃあ文句を言ってるのも、ほとんどが「愛されたい」病なのでしょう。

「俺のために無償の愛をそそいでくれなきゃそれは嘘っぱちだぜ」と言わんばかりの自己中心さです。

彼らは、人の喜びを素直に喜ぶことができません。



もっとも、そういう人の背景には、「幼少時に親からの無償の愛を受けられなかった」「虐待を受けて育った」経験が少なからずあるようなので、世間を恨む方法でなくて、ACなどの専門の心理カウンセラーさんのところで相談してくださいとしか言いようがないです。



宗教云々の前に、家庭の問題を見直してみては、と私は思います。



愛着の障害をもたざるをえない社会状況になると、ますます社会を敵視するカルト宗教は増えていくでしょう。



難しいし時間はかかりますが、回復の手段は、無理せず、地道に人のために役に立つこと。











誰にもいわれず、自分自身から一歩を踏み出す、与えることを始めるのが本当の信仰だと思います。







カルト団体に対する復讐は、

告発だけではないですよ。



自分が幸せになること。

心の底から笑えること。



恨み、

後悔は

まったくもって逆効果です。




作家の臼井正己さんもおっしゃっていたのですが、

「幸福の科学をやめた人が集まって新しい時代をつくる原動力になることを僕は期待していますよ」

ということ。




ま、とにかく

どの道が正しいか

ではなく、

自分自身しっかり生きることができるか、

ということです。



自分の心が、感じる、確かな幸せの道。



本当に単純です。




人の心を幸せで満たすことを考えると、私もさわやかに生きることができます。

人からしてもらったことに、笑顔で「ありがとう」です。



職場でも、病院のベッドの上でも、人に幸せを配ることはできます。




宗教の真髄があらわれるのは、教会でもお寺でもなく、実に日常生活においてです。



しんどかったら、たまに、愚痴をこぼしましょう。

自分にきれいではないところがあっても、自分を責める必要はございません。



それでも、感謝して、人のために動きましょう。



人の偉さは、知的認識とか富とか名誉とかでなく、目立たないところのまごころです。



そこから、自然に自分にしかできない使命は見えてくるはずです。






今日も、みなさんによいことがたくさん起こりますように。








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2013.01.31 Thu l 未分類 l COM(2) TB(0) l top ▲

コメント

すばらしい意見です
すばらしい意見です

守護霊の指導が入っているでしょう

ブログランキングではもっと上位にあるべき

と思います
2013.03.02 Sat l 匿名. URL l 編集
Re: すばらしい意見です
ありがとうございます。
ご覧の通り、私の場合、自分の中の闇も光も素直に見ていまして・・・。

シンパ・アンチ論争はやりたくないので、ひっそり「こう言う見方もありますよ」って書いてるだけですね。

嬉しいコメント感謝します。


> すばらしい意見です
>
> 守護霊の指導が入っているでしょう
>
> ブログランキングではもっと上位にあるべき
>
> と思います
2013.03.05 Tue l confessius. URL l 編集

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