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去る、土曜日は大阪で「ひかりの輪」の代表・上祐氏と懇親会と言う形でさまざまな質問、話などをしてきました。

「ひかりの輪」って何?上祐氏って誰?と言う方に説明しておきますね。
1997年、阪神大震災の衝撃の冷めやらぬ中に「オウム真理教」というカルト集団が、東京の地下鉄、霞ヶ関周辺にサリンという猛毒の毒ガスを撒くというテロを起こし、数人が死亡、何千人もの被害者を出し、日本中ならぬ、世界中に衝撃を与え、連日テレビやマスコミがその様子を報道しました。
以前には「真理党」なる政党も作って教祖の麻原自身も立候補していたようですが、全員落選。
教祖の麻原彰晃は逮捕され、またその幹部も次々と逮捕されていきました。上祐氏もその幹部の一人でした。教団は壊滅に追い込まれましたが、その数年後に「アーレフ」という団体として再活動を起こします。
形の上では、「オウム事件の反省に立ったうえで」というらしかったようですが、依然として麻原崇拝が続いていたり、麻原のテキストを使っていたりして、そのことをめぐって内部で分裂が起き、麻原崇拝を脱却することを目指した上祐代表が2007年に立ち上げた組織です。
マスコミからの取材に対して、完全にオウムや麻原の教材を撤廃して、原始仏教や、ユング心理学、ヨーガを取り入れた宗教の形を取り入れて独自の路線を歩んでいるということです。そして、オウム事件に対する反省や分析なども深く行っているという様子でした。
しかし、オウムのテロの被害者からは、「どんなに形や名前を変えてもあなたたちは、テロを起こした反社会的な団体でしょう。一刻も早くの解散を望みます」という声も上がっています。

「つぶやき」で、「懇親会で上祐氏と話してきます」と言ったら、「危険だ」「洗脳される」「ドタキャンしてください」「飲み物など気をつけて」という反応が多く来ました。

私が、敢えて、その懇親会に参加した経緯ですが、mixiで直接上祐氏から懇親会と説法会の案内が来たので、「お、土曜日は開いてるから行けるぞ」と前日になって詳細を「ひかりの輪」大阪支部のTさんにお聞きした次第です。
動機については、非常に強いものがありました。
オウムの問題については、いろいろと多角的な方面から本などを読んで研究してきました。その中で、印象に残っているのが、「オウムを生み出したのは、閉塞した日本社会である」「終わりなき日常を生きなければならない」とか、「ただオウムを異質なものとして排除するだけでは根本的な解決にならない。」といった切り口でした。
そういう、「文字」や「外部」からの「なぜ」は聞けても、直接、オウムからの反省を通して現在活動を続けている当事者から直接口頭で聞ける機会はない、と思って参加させていただいた次第です。

「元オウム」だからこそ、敢えて聞きたかった。
「元テロ集団」で今でも根強く社会から差別され排除されようとしている存在であるからこそ、敢えて聞きたかった。
要するに、「真っ直ぐ見たかった」のです。

「元オウム」の実態を風評だけで真っ向から否定する人や、「現代社会と宗教」とはなんぞやという人たち、あるいは興味本位な人たちにも、私の日記を通じてなにかしら「なぜ」を考えていただければ幸いです。
「否定」的な目で見るよりも、「批判」的な目で見ていただければ幸いです。私も、批判的です。でも、当の「ひかりの輪」、上祐氏自身が一番自身に対して批判的であるなという印象を受けました。


では、レポートに移ります。
時間があったので、大阪の劇場で開幕初日からの『コクリコ坂から』を観てから、場所をお聞きして地図もいただいた「ひかりの輪」大阪支部を訊ねようとしました。
・・・が、一向に目的地が見つからない。「駅から徒歩数分」と書いてあったのに、一体どこか分からずあっち行ったり、こっち行ったり。
やっとこさ、近くの目印であるラーメン屋や神社を見つけたはいいが、どこにあるのか全然わからない。
「普通のマンションの一室です」と言われたのですが、近所に普通のマンションが林立しており、どのマンションかわからない。

ただ、どこのマンションにも、こんな張り紙がありました。
「ひかりの輪 オウム真理教は撤退せよ」と。

「公安警察とともにオウム撤退運動をします!」みたいな張り紙もあったりして、
近隣の住民からも、本当に怖れられているのだなということが分かりました。

私も、「やべえ、みんなが言うように本当はやばい組織なのかもしれない。いまでも遅くないから逃げかえろうかな」と内心思ったりもしました。

時間に10分程度遅れて到着。
本当に「隠れる」ような感じでひっそりと運営しているのだな、と思いました。看板もないし、表札もあるのかないのかわからない。それでも、
と、同時に、14年経った今でもオウム事件の与えた恐怖の爪痕というのはすさまじいものなのだなと感じました。
いくら、反省して、償う姿勢を見せていても、住民のアレルギーはすさまじい。

日本を代表する巨大宗教であっても、大きな建物周辺で、せいぜい「創価学会怖い。」「幸福の科学勧誘お断り」程度の張り紙しか見たことがないのですが、まさかそこまでとはおもいませんでした。

はじめのイメージとしては、広い部屋に、50人~100人くらいの見物人が押し寄せてくるのかなと思っていたのですが、
いざ、入ってみると本当に普通のマンションで、居合わせた人は10人ちょっとの小さな集まり。
みなさんと、「こんにちは~」と丁寧にあいさつ。
テーブルにお茶やお菓子。
ストレートに「近隣に『オウム撤退せよ』のチラシとかありますよね」「飲み物に薬物とか入ってないですよね」とか聞くと、
「逆にそれで、わかりにくいここの場所が近所にあるんだなって分かったりするんですね」「あはは、いまさらそんなことはなんですよ、どうぞどうぞ」と。

部屋の祭壇などはこんな感じ。




しばらくすると、ひかりの輪代表の上祐氏が登場。
みんなで自己紹介。
お菓子をつまみ、お茶を飲みながら、自由に質疑応答。
ひとつの質問に対して、上祐氏は10分も20分も丁寧に懇親説明してくださいます。
私は、ジャーナリストにでもなった気分で、それらの質疑応答を細かくメモ取っていました。
そんなことをしているうちに3時間すぐに過ぎてしまいました。
途中でボールペンのインクも出なくなる始末・・・。

全部を紹介するのは、難しいので、一部かいつまんでレポートしますね。

・現代の日本では先祖供養がおろそかになっているが、日本はどう変われるか。

日本の供養というのは祖先信仰ですが、インドでは仏法僧への供養だったんですね。日本の風土と合わさって先祖供養になった。お盆の起源は、大目蓮(マハーモッガラーナ)が餓鬼道に落ちている母を救ったことで、修行によって功徳を積み、他人にも供養ができるということなんです。
現代が、感謝が減って、欲が増大している。「親はこうしてくれて当たり前」で傷つけられたことしか覚えていない。祖先に関する感謝が減っている。自分も他人も愛せない。自分を生み出した父母に対する感謝がないわけですね。

・<それに関連して私の質問>
現代では、虐待、増えてますね。あるいはアダルト・チルドレンといって、親に愛されていないまま大人になって自己肯定感のないまま生きて苦しんでいる人々が急増しています。あるいは、リストカット、ODの問題もあります。そのように問題のある教育があると思いますが、どうしたら抜け出せるとお考えでしょうか。

戦後、キリスト教以外の欧米の文化が入ってきて精神的な支柱がないんですよ。自己愛型人格が増えている。これは親の問題で、その親自体が子どもの頃からおかしいわけです。愛すべき対象が愛せない。仏の慈愛の象徴が母親の慈愛であり、それが根本にあるのですが。
虐待を受けているという子供の被害妄想もある。自分がそうなのは親のせいだという風にして。主観と客観が食い違っているため、真偽の確認が必要。
他人が悪いのではないということを受け入れることが必要なのですが、受け入れるのは辛いことです。被害者でいる方が楽ですから。理詰めで静かにアプローチしていくことが必要でしょう。
医師の投薬は、認識それ自体を変えない。性格改善には10年かかる場合が多い。早期対応が良い。すぐに祈って煩悩が薄まれば一定の価値はあるが、すぐさま治せる人がいたら、ブッダやキリスト以上の救世主ですね。深い問題です。投薬して、社会生活させて放っておくの繰り返しになっている。

・知識不足や、選択肢が閉ざされていることについて。本物をどうやって見分けるか。

知識と経験が重要。感情、好きかで決める人が多い。欲求の方がドンとくるわけです。本物だとしたい経験があるんですね。
多くの失敗を経験して成功に繋げていくチャレンジ精神が大切。チャーチル、ディズニー、リンカーン、エジソンなどは失敗の連続であった。ネットの情報から失敗しないようにとする若者が多い。すぐに成功したいとする欲をすてること。ひかりの輪というのはいつも「原点回帰」です。失敗してからが始まり。世の中は道場です。大いに失敗することですね。

・では、それをやる人間とやらない人間の違いは何か。

昔は、「巨人の星」をつかむ、ということで、がんばれば手の届く未来の来る高度経済成長の時期だったのですが、現代は意欲、気力がない。だから、今は競争よりも個性の方向でどういう形で世界に貢献できるか。自分のものを磨くために感謝。今までは不満の経済であったが、自分の役割とそれを与えてくれたものに感謝すること。精神的危機ですね。ヨーガ、気功などを強める必要もありますが、それをやる気力もない人もいる。


・<私の質問>
一番聞きたかった質問です。今まで、多くのマスコミや識者から聞かれてきた質問だとは思いますが、オウムはなぜ多くの人を引き寄せたのか。そして高学歴の人々がなぜ、あのような事件に走ったのか。カルト教団にかつて属していた上祐さんからは、社会とカルトの問題についてどのように捉えているでしょうか。

カルトは伝統宗教の形を取って今でもありますね。今回の地震も神の罰であり終末が近づいているから、イエスに帰依しろと言った韓国のキリスト教がありましたね。
オウムも世相を反映していた。ノストラダムス(1999年7月に人類が滅亡するという予言があった)、超能力、破局ブーム。それが90年代。大学でもみんな麻原の予言を真剣に聞いていた。全体がそういうモードになっていて、悪い意味での追い風だった。
学歴については、関わりなくヨーガの神秘体験を吸収できた。オウムの教団で価値を認められてその中で生きていける。オウムで東大を出た○○も、ノーベル賞を取れなかったから、麻原の中で解脱の願望を抱いた。オウム、麻原は密教とヨーガの方向を間違えていた。どの宗教も自分のところが一番と喧伝して、それが魅力的に映る。
社会が生むのが宗教であり、現代の精神的ニーズと若者の未熟があった。そしてそれまでの宗教の形骸化があった。当時は、麻原しかチベット密教を習得していなかった。だからみんなこぞって麻原に惹かれていった。創価学会は相互扶助としての救いだったが、心の渇きに応える密教、ヨーガの中で麻原は独走し、社会もこぞって麻原を持ちあげた。

・オウムが今もあったら、今回の地震をハルマゲドンと見たか。

当然です。阪神大震災も麻原は予言を的中させたと言っていた。普通の新興宗教であれば、予言がはずれると「祈りによって退けた」などというのだが、オウムは、実際にそれを起こそうとした。

・それで麻原は何をしたかったのか。

ハルマゲドンをあおった信者集めですね。ハルマゲドンを自分で創り出していった。麻原の中には、自分が社会で成功するには障害が多すぎた。弾圧されていたのは、救世主だというビジョンをみて、「当たらねばならぬ」と。麻原は、それに宗教生命をかけてまでいいと言っていた。現実的には狂気と思われることはあった。「なぜ、そこまで一生懸命できるのか」とオウム時代聞かれたこともありましたね。麻原本人には騙すつもりはなく、本当に自分が正しいと思っていた。真面目ではあったんですね。方向性がゆがんだ真剣さではあった。
社会の流れがなければ教団はない。止めるための知恵がなかった。宗教的、霊的に無知で麻原に関心がいった。分かっていればハマらなかった部分もある。十分な経験や知恵がなく、自分たち中心でいきている。そのたびに本物のキリストが現れる。自分たちもなりたいという欲があった。自己特別視ですね。一回盛り上がると駄目。第二次世界大戦もそれで止められなかった。仏教は本来普遍的なものであり、「この国だけ」というのはない。江戸時代から仏教は民衆のよりどころではなくなり、偏った国家神道に向かっていった。
感謝の心で、他者と自己に対する愛を広げていくことが重要。旧いものと新しいものの対立もある。日蓮正宗と創価学会の争い。どっちのご本尊でも神聖な気持ちになれたらそれでいい。マイケル・ジャクソンかビートルズが好きでは争いは起こらないが、「どちらかが正しい」と主張し始めると争いが起こる。
人のなかに仏がいて、方便としてその外にシンボルがある。その外にカタチにあうかどうかが縁。信者が善悪を持ってくる。本来は好きずきであったはず。
自灯明・法灯明という教えがあるが、お釈迦様を神として崇めてはならないということ。シンボルが絶対化されると争いになる。ブッダという言葉は、人間で目覚めた人。聖者。

・<私の質問>
それでは、「仏・法・僧」の三法に帰依することとの関連は。

まず、「僧」への帰依ですね。仏教教団への帰依は、良い友と交われということ。出家教団への帰依は先輩・先達の関係ですね。
シャカムニは、久遠の存在としての仏、本質は法として宇宙に偏在している。そして内側の仏。二つの展開ですね。

・<続いて>
幸福の科学では、大川隆法を再誕の釈迦大如来、エル・カンターレとして、一番に帰依せよと説いています。そして、次に彼の説く「法」に帰依せよ、ブッダのサンガ(僧団)に帰依せよと言ってますね。

ひかりの輪では、特定の人物を仏とはしないし経典や真言も絶対化しない。他の宗教ではそれが求心力としてあるのかもしれません。
神仏で「あってほしい」という欲求があって、それにありとあらゆる理屈をつけたがる。

・<続いて>
幸福の科学の壮大なスケールの霊的世界観に合わないことを言っただけで私は信者達から散々叩かれましたが。

オウム信者にとって、麻原を認めることは、イコール自分を肯定することだった。自己絶対視している。ひそかにその欲望がたぎっている。教祖と自分の一体視。
壮大なスケールの世界観を確かめることはできない。そのまま正しいと思いたい理由がある。オウムでは麻原が最終解脱したと言っていたが、しっくりする、マッチするのは正しい理由からではない。好きな人が正しくなってくる。確証できないが、信じたいから信じる。自己絶対化すると、大川さんの絶対化になってきますね。
オウムでは霊的、神秘的世界を求めていた。それも、大川さんと信者の間でしか分からないですよね。
離婚問題について私も見ましたが、過去世で文殊であった妻が悪妻になっていますね。子供たちはゆがみながら取る。信者も大変ですね。

・なぜ、上祐さんはオウムの価値観をそう思えたのか。

完全にハマったと思います。安直に信じた。本当の精神性とイコールなのが分かっていなかった。輪廻観があって、人の命を奪ってもポアとして仏に近づくことができると。
ただ、私の場合教団が弾圧されているという世界観が受け入れられず、帰依がないと言われました。
選挙に負けたときの言い訳で、「弾圧されている」と。誰かマスコミが、「麻原さん当選確実」と言って教団は盛り上がったんですね。それで、落選して「陰謀だったんだ」。やはり、弾圧されていて救世主だったんだ、と。単に負けたのではないということを信じたかった。沙漠のなかのオアシスのようにそれをもとめていた信者は多くいた。そう解釈してしまう人間は抜けられない。信じたいものを信じる。



などなど。

あとは、幸福の科学もオウムも現代の鬱には対応できないでしょうね。現代は、薬漬けか、優れたカウンセラーも少ないという状況だ、とか。
とか、日本の宗教的地盤のなさ、とか、
聖徳太子によれば、日本は「和」の国。みんなが仏で、すべての国が神の国で個性・役割がある、ということなどを話し合いました。


そのあと、
私は別室で、四方に大きなお椀をゴーンと鳴らすやつ(なんていうんだっけあれ)のなかで寝転んでヒーリングの体験をするというものをやらせていただきました。
ちょっと不安に思って、案内してくださったTさんに「オウム時代のものとは違いますよね」と確認。

あとは、会員のみなさんに、ひかりの輪に入ったきっかけなどを聞いたりして、「ああ、それぞれの人にいろいろあるんだな」と思いました。
多くの方が、上祐氏に惹かれていたようです。
ただ、私の目には「カリスマ」としてではなく、「頭の切れた指導者」ではあるなという感じでしたが。
「オウムの残党」というレッテルを張られていることにはどう思うかなど、率直な質問もしました。

最後に、上祐氏と一対一で対談させていただきました。
最近よく考えている「死」についての問題や、教団の運営といったハード面、これからの日本の宗教的在り方についてなど、質問させていただきました。
一種の「宗教企業」的な側面を持つ幸福の科学とは違って、教団の拡大などは眼中にないようです・・・というか、周りがそれを許しませんよね。


時間の方なども落ちてきていて、私の心のなかは慌ただしくてゆっくり過ごせなかったのですが、本当に貴重な時間だったと思います。
小さな集まりでしたが、有名な方から直接名前も覚えていただいて、光栄でした。
ありがとうございました。

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2011.07.18 Mon l 未分類 l COM(0) TB(0) l top ▲

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