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そうとう久しぶりの投稿になります。

プロフィールに「今の私は、特定の宗教なんてものを信じているわけではありません」と書いていますが、
実は、今年(2011)年のイースター(キリストが復活されたとされる日)にカトリックの洗礼にあずからせていただきました。
信者一年生です。
大学時代の後半、教会学校で小学生の子どもたちに教えていたのですが、授業準備をしながら、静かに「どうしたら面白く人間にとって大切なことを分かりやすく伝えられるか」ということを考えていたのはひとつの「祈り」でもあったのかもしれません。
いわゆる「宗教難民」になった私は、どうしても何かしら宗教的なものと繋がっていたい想いがつよくあったのでしょう。

これも私が勝手に感じたことですが、罪びとこそをあわれんでくださるイエス様にやさしく「おいで」と呼ばれたような気がしたのです。

一年間「カトリック信仰入門講座」で学んで、洗礼への準備をすすめていきました。
神父様の語る内容がよく心に響かなかったのは私がまだ若かったからなのかもしれませんが・・・。
多くの新興宗教が、「信者集め」ばかりに走って伝道なるものを活動の根本に置いていますが、カトリックの場合は全く逆でした。
全く洗礼を勧めません。
数集めなどどうでもよいのでしょう。
自分から、「神さまと結ばれたい」と、自分から積極的に動かないといけません。

ともあれ、多くの祝福を受けて、私はキリストの「生命」の樹に結ばれたのです。

ですから、今の私は「クリスチャン」であり、「宗教」を信じている立場になるわけですが、
この頃考えていることを少し綴ってみようと思います。

私は「宗教」それ自体を信じてはいません。
そこにあつまる「共同体」は愛していますが。

やはり、伝統宗教においても、共同体のなかにおいて「理想郷」「神の国」「ユートピア」が形成されているわけではなく、もちろんお互いがお互いを裁き合っている状況もあるというのが現実なようです。

それに、僕のずっと抱えていた苦しみや悩みが解決したわけではありません。

2千年間続いてきたキリスト教の伝統は過去の過ちを認めながら、成熟した宗教となりました。

幸福の科学では、私たち伝統宗教と違い、「世間を変える、日本を変える、世界を変える、ユートピア化運動だ」と熱く夢を語ったり、あの世の世界にロマンを語り合う機会がところどころにあって、それがわたちたちの「一人じゃない」ていう確実な幸福を感じさせてくれるのです。
いわゆる「現在進行形の宗教」なのです。

私たちカトリックには、そういうことがなくて、かなり自由です。
教えが複雑で、難しいこともあるかもしれません、新興宗教に見られるようなファナティックな部分はあまりないです。
もっと夢を語り合ったり、励まし合ったりそういう場をもっと作ってもいいのかな、と望んでいます。
きっと、そういう場所が、私たちを支え、前に進めてくれる力になると思うのですが。
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2011.07.01 Fri l 未分類 l COM(0) TB(0) l top ▲

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