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世間が政権交代で騒いでいるなか、
すこし世間をにぎわせた泡沫政党との僕の中での戦いがあっけないほどにひっそりと終わりました。

敗戦の弁
http://sankei.jp.msn.com/politics/election/090831/elc0908311250124-n1.htm

信者数にはるかに届かない投票数だったということです。
会員内にも同じように、黙っているけれど「正直どうかと思う」人が大半ということなのかな。
都合のいい時だけおこぼれにあずかる信者さんが大半だとおもうので・・・。
だから、幸福の科学教団は事あるごとに繰り返し「根本に来る一番大切なのはエル・カンターレに対する信仰心です。伝道と植福(=献金)は両輪です」なんて言うのでしょうか。

末端は普通の人の集まり、
内部になればなるほどカルト。



5月25日の立党と同時に、「こんな宗教が政治に関わったらとんでもない!」と少なからず危機を覚えて、
3ヶ月間、日記を通じてたくさん批判をしてきました。
が、そこまで心配することがなくて安心しました。

むしろ、途中から笑いのネタに変質した感じでした。
やはり、周りからも「あれはギャグだろ」「ありえない」というような声をよく耳にしました。



とはいえ、自分にとってはただ、安易にネタにして笑ってりゃいいというようなものではなく、

昔ともに心を磨いて、「ユートピア建設」を目指してきた仲間
そして彼らが信じるものを、
たとえそれがいくらカルトと言うことができても、叩くのはこれほどまでに心がいたまないことはないわけです

たまに、ケータイの電話帳で学生部の人たちの名前をずらーっとみていると、
ひとりひとりがものすごくいい奴らで、個性的、それぞれいろんな人生を歩んできてひとつの場所に集ったんだなということを思って、
彼らのことを考えると何ともいたたまれない気持ちになります。

合宿で、バスのなかで仲良くなったり、
キャンプファイアーを囲んで歌ったり、
自分は信仰を通じてこんなに変ったんだという涙ながらの体験を聞いたり、
夜どうし、たわいもないいろんなことを語り合ったり、
必ず新しい自分に出会える素晴らしい機会でした。

自分にとっては「怪しい場所」でなく「普通の場所」でした。



そんなことがあるわけだから、大学なんかでの「普通の人の集まり」でも時折疑ってしまう自分が嫌に思えるし、
人を信じたり、心の問題について深く語りあうことに恐れを感じたりする。

人の集まりのなかで、「俺だけみんなとは違う闇を持っている。自分だけ一人だ、誰とも分かち合えない」って思って、一人で悩んでいることを多かった。

それに、他人から、「自分がどう見られるか」ってことがとても怖かった。

「変なカルトから抜け出せてよかったですね」で、済むそんな単純な問題ではない。

そういうことを言ってる奴に限って、「こいつが、宗教活動に没頭していても全然おかしくないよ」と思えてしまうから困ったものだ。

要するに、周りに合わせるのが正義で、周りの空気がそろって決めることが真理なのだ。
他人に同調することばかりを覚え、「自分の頭で考え、自分の口で意見を述べる」ことが出来ない限りは、
カルトに嘘のようにハマっていく人間は後をたたないだろうし、学校内でのいじめもなくならない。


昔の自分もそうだった。
「どの、誰の正義の物差しが正しいか」なんてことを何か月も考え続け、肝心の自分の物差しは持たず、結局何も行動できない奴だったのだ。
人から浮かないことばかりに心を砕いて、その反面自分を強く主張してあがいているようなそんな醜い人間だった。
鍵のあいた牢屋に入って「そこにいなければならない」と意味もなく思わされて、「牢屋から出たい出たい」ともがいていただけなのかもしれない。
どんなに幸せを求めても悩みは尽きることがなかった。


今の自分は、何が本当に良いことかを知っている。
そして、他人がどうこう言おうと自分の道を堂々と歩くことができる。
むしろ、抵抗の言葉は飛行機をさらに浮かせる空気の摩擦力だ。
そして、そっちの道を歩いたほうが僕を支えてくれる力はありえないくらいに大きい。
だから、幸せだ。すべてのことが幸せすぎる。



感謝することもいっぱいありました。

「自分も幸福の科学、幸福実現党はどうかと思う」というような人が、たくさん僕の意見に共鳴してくれて、僕を支えてくれたことです。
単に叩くことを楽しんでいる類のアンチではなく。

今まで、人に言えず一人で悶々と悩んでいた問題に、正面から立ち向かう勇気をもらいました。



そして、生きていく上で大切なこと、いろんなことを考えながら前に進むことができました。

・他者に救いを求めない、他者が自分に何かしてくれるとか期待をかけてはいけない。
自分を立たせることができるのは自分だけ。
救いを求めるならば、自分もまたその救いに対して能動的であらねばならない。

・周りが何を言おうが、自分の幸福を大切にすること。自分の心の声に忠実であること。

・相手を裁かない。他人の心を変えようとしない。それほど不幸なことはない。




だから、ある意味、このカルトと出会えたことは僕にとってなくてはならない大切な大切な出会い、
神さまからの贈り物に他ならないとしか僕には思えないのです。
心から感謝感謝なのです
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2009.08.31 Mon l 未分類 l COM(0) TB(0) l top ▲

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