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C「二人ともケンカはやめなよ

ケンカして嫌な気持ちになるんだったらそのために信じるものなんていらないよ。
そんなの神さまが喜ぶと思う?」


A「ばうあー、あなたは理屈ばっかりだけれど、結局のところ雰囲気に光がかんじられないわ」

B「否定はしない。『君たち』はみんな心がきれいで、明るくて積極的な考え方を持った人が多い。
僕は正直、君たちを見ると自分が後ろめたい気持ちになる。
僕はこういう純粋な人たちを批判しなければならないんだ、とね。」

A「それは、みんなが強い主への信仰を持っているから。それが根底にあるの。
いい教えを説いているというだけじゃ、みんなバラバラ。そこまで力は生まれない。」

B「でもね、いいかい、どんなに優れた集まりであっても、所詮は人間の集まりなんだ。かならず、かたちにとらわれすぎるあまり間違いを犯す。
それを完璧なものであると信じ込んで離さないところからさらなる間違いが起こる。
大切なのは、常に批判的な目をもって、自分自身しっかりとした考え方を持つことなんだ。
ヨーロッパでも中世で、信仰と理性に関する学問が確立された。
理性は信仰を支えるもので、最後まで目をあけて考え続けるのが本当の宗教なんだ。」

A「それは、救世主が地上にいない時代だったらいいかもしれない。
でも、今は永遠の仏陀が地上に降りられて全世界ユートピアを実現しようとしている。だからその時はひたすら自分を捨ててそれに従うのが当然のことよ。

私たちは世界中の宗教の争いをすべてなくすつもりの覚悟で活動しているわ
それができるもっと高いレベルの宗教が私たちなのよ。」

B「あんたたちは、自分の頭で考えることを放棄して、無批判に『その人』の語ることを100パーセントの真実だとして受け入れている!」

A「それは、その通りよ。『自分中心のこざかしい考え方を捨てなさい』と主も説かれているわ。

『疑って疑いきれないものを信じる』という考え方は、自我の強い『裏側』系統の仙人的な信仰だわ。

『非合理なればこそ我信じる』とも主は説かれているわ。そこにこそ宗教の本質があるんじゃないの?

だから、ひたすら信じる。
信仰は魂の命綱。離したが最後、待っているのは地面ではなく、無限の奈落、闇の底なの。
命と信仰をどっちを取るかと聞かれたら迷わず信仰を取ります!」

B「それがまさに洗脳なんだよ!
疑わずに、ただ信じなさいというのはオウムの麻原が言ってたことと全く同じだ。」

A「地獄霊に振り回されたあんな集団と一緒に見ないで!彼らと私たちが違うのは教えをみたら一目瞭然だわ。
それに、私たちは事件が起こる前から彼らを問題視して、救済活動を進めていたわ。
だから、違うの。

洗脳としか見えないあなたは目が曇ってるわね。
むしろあなたの方こそ、戦後の日本教育の唯物思想に洗脳されているとしか思えない。

教えの分かり具合に合わせて『上根(じょうこん)』『中根』『下根』という風に説かれているけれども、いくら言っても分からないあなたの場合は下根かしら。
主の書籍をあなたは何冊くらい読んだの?」

B「100冊以上。
高校時代なんか、俺が日本一だと言わんばかりに読み漁っていたね。
でもね、結局のところ本当に幸福にはなれなかった・・・。

学校の閉塞感は変わらないし、
親の罵声も止むことはない。
毎日の憂鬱な気分は晴れることもない。

無理やり自分の心を騙し騙し、明るい雰囲気を演じようとした。

いちばん、恐れていたのが、自分の心境が地獄に通じるものでないか、自分の考えは悪魔に支配されていないかという恐れ。
自分の心が、自分で支配できない、変えることのできないということが怖かったんだ。
いつも何かに責められるような気がしていた。

そして、『君たち』はどうだったか!?
一人の人間と正面から向き合うより、『伝道』して自分たちの大きさを増すほうが大切、『主』を讃えることのほうが大切だったんじゃないか?

俺は、どうせなら、それを見ないようにするより、自分の闇と正面から向き合うべきなんじゃないか、と思い始めた。

『君たち』にとって闇の心をもつことはすなわち悪徳で、向き合うことも許されないんだ。
そして、さらに居場所を僕は失っていった。」


A「今わかったわ・・・
あなたは、結局信仰を貫けなかったのね。退転してしまったのよ。
結局、銀貨10枚に負けてイエスを救世主と信じられず売ったユダと同じ罪を犯しているの。
自分の醜いエゴが傷つけられたのに対して、うまいこと理屈をつけて『私たち』に向けて発しているだけ。それで、自分の魂をさらに穢してしまっている。
本当は何もかも自分のせいじゃないの!!
主はなにも悪くないわ。

いずれ、『私たち』の正しさが分かるわ。
本当に幸福になるためには、まず、主に対する信仰を確立することですね。」

B「そういう偽善ぶった押し付けの態度が嫌なんだよ!
結局、あんたも自分のところに俺を取り込みたいだけだ。
変えられない人の心を変えようと、人の心のなかに土足で入りこんで、あれこれ指示を出す。見下しているんだよ。
それがいやらしく感じられる。
そうなってしまった時点で、真正な宗教とはいえない。


いいかい、人の心っていうものは、
疲れたときには疲れ、悲しい時には悲しい、傷ついたときには傷つく、怒るときには怒るんだ。
それは人間として当たり前のことなんだ。

それを、『悪想念を発してはならない』で、無理やり押し込めることは不自然なことで、危ないことなんだよ。

闇と正面から向き合わない偽善・・・それがさらに人間を偽善に仕立て上げていく。

そして、それを他人にまで強制するだろう。あんたたちは何様のつもりだ!?」


A「あなたこそ何様のつもり?
だれしも、心に闇を抱えているわ!あなた一人だけじゃない!うぬぼれないで!
あなたは自分で運命を変えていく努力を放棄して、幸福になれない原因を周りの環境のせいばかりにしているだけだわ。

だから、『奪う愛』から『与える愛』に切り替えていくことが大切なんでしょう。」

B「なんだと・・・っ
・・・いや、・・・そりゃあ、間違ってないや。
何年間も自分っていう枠のことばかりに捉われて苦しんでいたけれど、俺は人のために生きることで自分の心に光を見つけた・・・。
奪う愛でなくて、与える愛・・・それは真理だ。正しい。

だがな、あんたらの思想がどれだけ多くの人を傷つけているか、知ってるか?」

A「そりゃあ、私たちはみんな仏の子だけれども、不完全。当然間違うこともある。
もし、そうなってしまった場合は反省の教えに従うわ。

でも、法が人を傷つけるなんてことは絶対にありえないわ。主が説かれることは、永遠の真理、光の根源だもの」

B「そうか、知らないのか。だったら、実際に見せるよ。」





C「(なんだか、どんどんヒートアップしてきて入れなかったや。

信仰って何かなぁ?えらい人の言うことに従うことかなあ。それを信じて疑わないことかなあ。

見えない世界のことについてふたりともたくさん語っている。でも良く分からないや。
話せば話すほど、心は大切なものから遠ざかってなんだか虚しくなっていくみたいだ。

それが信仰かなぁ。

ぼくは違うと思う。

静かな心の中でひとつひとつ神さまに問いかけをしていくこと。
そして、心の耳を傾けることなんじゃないかなぁ・・・

二人に言っても何か言われそうで怖いからだまっとこ・・・。


二人とも、僕のこと見てくれてるのかなぁ・・・?
もし、どちらかが正しかったとしても、僕たちのことを思ってくれなかったらそんなの無意味だと思うや。)」

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2009.06.10 Wed l 未分類 l COM(0) TB(0) l top ▲

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