上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- -- l スポンサー広告 l top ▲
僕がその宗教に求めていたものであろうのは

やさしさ

人とのつながり

希望

本当の人生

真理

世界の真実

人生を再生させてくれる力

本音で語り合い、支え合うことができる仲間

そんなものでした。


そして求道心
信仰

本当に大切なものを
その宗教を通じて学びました。


すべての人間は自分を向上させたい、
幸福になりたいという欲求をもっています。

だから、それ自体は間違ったことではないのです。



私の目から見て、
その宗教は
他の宗教はどうか知らないけど
決して社会問題になっているようなカルトや怪しい宗教とは一線を画したものでした。

それは今思うと素直に認めるべきです。

集まっている人は
大半が「普通の人」だし、本当に笑顔が素敵で、さわやかで、明るい人なのでした。

僕はそれらは決して作られたものではないように思えます。

本当に凝り固まった考え方を持っていたのは…1割…2割
それくらいでしょうか…分かりませんが。

ひょっとしたら私もその何割かにいたのでしょうか…。

つまり、その宗教に属しているひとがすべて主義主張に凝り固まったドグマを持っているというわけではないということです。


私たちと同じように
普通に毎日を生活している普通の人です。

その普通の生活に何らかの使命感を持ち、より良いものを作り上げようと心がけています。

時には支部や精舎に行き、お祈りや研修を受けて、新しい人生の指針を見い出すこともあります。

会員とは名ばかりで、まったく宗教に関わりを持たない人も大半です。

私の家族もみんな一応「会員」ですが
宗教とは無縁の存在です。

私の祖父も亡くなる前に、こちらの方で、病気平癒祈願を受ける際に間接的に勝手に「三帰」(三法帰依=入会)することになりました。

あと、子どもであれば親に「とてもいいから是非行きなさい!」ということで学生部の合宿に参加させられること。
やる気のなかったたいがいの子どもがそこで今まで見たことのない他の子どもの輝く姿を見て考え方を変えます。
全国に「法友」も作ります。


「伝道」をする気にもなります。

本当に宗教活動を動かしているのはやはり一部です。


私と母だけが
宗教活動に熱心でした。

それを考えると宗教の実質の大きさなんてそんなもんなんでしょう。


オウムや統一協会などに入信する方は、真面目に人生を考えたりして「ああやっと本物に出会えた」と思ってその門をくぐるような人が多いと聞きますが、私の宗教は若干質が違うように感じています。

でも本質を突き詰めて考えていくと…

それは後ほど考察していきたいと思います。


僕が苦しんだのはすべてを否定してしまったから。

明るく生きることや
優しさを持つことは決して
純粋でないものではないということ。


僕はもう一度、僕のなかにある本当に素晴らしいものを見極めるべきです。
スポンサーサイト
2008.05.03 Sat l 未分類 l COM(0) TB(0) l top ▲

コメント

コメントの投稿












       

トラックバック

トラックバックURL
→http://relisophia.blog43.fc2.com/tb.php/3-58104c42
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。