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「ところで、ねぇ、先生
この前、『友達とケンカした』って言ってたじゃん
誰とケンカしたの?なんでケンカしたの?
先生でもケンカすることあるの?」



「この国の未来のこと・・・
それについての考え方の違い

あと・・・神さまについての、考え方の違いかな」



「なんだか、この前習ったイスラエルとパレスチナの問題みたいだね」





「ある神さまを、信じている人たちがいて、その人たちが、日本を、世界を変えようと思って、この国に働きかけはじめたんだ」

「へぇ、なんだかいいことだねそれ。どんな神さま?」

「その人たちが信じているのは、イエス様が『お父様』と呼んだ神さま。」

「じゃあ、それはキリスト教と一緒なの?イエス様より偉いの?」

「そして、お釈迦様の生まれ変わり。」

「え?じゃあ、仏教?」

「あたらしい教えだね。この世界を一つにまとめる、と彼らは言っている。」

「どこにいるの、その神さまは?」

「『自分がその神だ』って、ある人が自分で言ってるんだ。そして、彼らはそれを信じて、『奇跡の時代だ』と歓喜している。」

「でも、『神さまはいつも自分の心の中にいる』って、教わったよ」

「その心の中にいる神さまが木の枝だとしたら、その幹や根にあたる神さまだ・・・とその人は自分で言っている。

地上を浄化するために、この世に肉体を持って生れてきた、と。」

「なんか、信じられないし、うさんくさい話の気がして仕方ないけれど、
でも、もしそれが本当だったら・・・」

「・・・そうだよね、大変なことだよね。でも、本当のことは僕たちには分かるすべがない。」

「じゃあ、その人たちは何で信じることができるの?証拠はあるの?証明はできるの?」


「君は、作文を書いたことがある?」

「うん・・・200文字原稿用紙があって・・・1週間かかって、2枚できたよ」

「その神さまはどれくらい書いて自分の教えを伝えていると思う?」

「聖書が・・・辞書みたいに分厚くて、たくさん書きこまれている本、で、イエス様の教えはマタイ・マルコ・ルカ・ヨハネの4冊だから・・・

10冊くらいかな?
多い?」


「今、500冊を超えている。それも、たった20年間で。」

「嘘?それみんなその人一人で書いたの?みんなで集まって書き上げたとかじゃない?」

「みんなその人一人で話して、書いて、本になってる。
こういうことができるのは、その人が並大抵の人間でないことを証明しているんだ。」

「でも、本をいっぱい書く人は少ないにしろ、必ずいると思うよ。
それだけじゃその人が神様ってことにはならないじゃないか。」

「それを信じる人が多いのは、その本の一冊一冊を読むたび、人生が変わっていくという体験をした人が後をたたないからなんだ。
そういった経験を通して、この教えは本物だ!という確信を深めていったんだろうね。」

「どんな本で、どんなことが書いてあるの?なんで、それらの本は人々をひきつけたの?」

「それは人によって、さまざまだと思うけれども、
一番にあるのは、『あの世の段階や構造、生まれ変わりの仕組みをありありと語っていること』
『あの世の段階の一番上にいて、今回地上に降りたのが自分だと語っていること』なんじゃないかな

「う~ん、それくらいだったらそこら辺の宗教も似たようなことを言ってない?よくわからないけれど」

「そして、おそらく宗教が語ったとは思えない、政治や経済、仕事の方法や、健康維持といった多岐にわたる分野にわたって、現代人の必要に合わせたことも語られている。
もちろん、人生いかに生きるべきかといったことも語られているけれどもね。」

「へぇ~。それだったら怪しい宗教には思えないや。」

「実際に集まっている人は、ごく普通の人たち。
部活に打ち込んでいたりとか、カラオケにいったりボウリングにいったり、喫茶店で話に花を咲かせたりと、なんら変わることはないんだ。

まぁ、彼らは天上界ということが常識の世界観だから、天使の世界と自分の心を合わせるために、お祈りをしたりだとか、本を読んだりとかが習慣になっているのだけれどもね。

そして、正直な話、尊敬できる、心のきれいな人も多くいることは事実なんだ。」


「聞けば聞くほど、先生が彼らを評価しているような気もするけれど・・・」


「で、先生はそれを信じているの?」

「でも、先生はその人たちが嫌いだ。反対している。」

「え?なんで?
・・・なんか、少し先生が心を閉ざした嫌な人間のような気がしてきたよ・・・」



「まぁ、そのこと自体に対してとやかく言うつもりはないんだ。まぁ、聞いておくれ・・・。」



(続く)








多くの人が、雰囲気だけで何もご存じないようでしたので、
「社会的」観点からよりも「信仰的」観点から、話題になっているのかなっていないのか分からないあの話題について語らせていただきました。



多くの意見を見ていると、「政教分離はどうしたんだ」「カルトだ」「気持ち悪い」「オウムの真理党、公明党と続いてまた出てきたぞ」という日見よりの意見ばかりがほとんどで、
「正面からものを見る」ということが出来ていない、「周りの雰囲気に流され、自分の頭で考えることのできない」人間がほとんどであるという事実をみて、むしろ、この国の「流され易さ」にある種の危機感を覚えています。
そういう何も考えずに放った言葉が、純粋な信仰をもった人の心を傷つけるということが分からないのかなぁ。
宗教や思想による「差別」ってのは見ての通り、厳然としてある。
でも、逆も然り。信仰を持った人間が、それに反対する人間を見下し、傷つけるなんてことも、自分の見ている限り決して「例外的」なことではない。そういうのが、揃って肯定されているのが絶対に嫌なんだ。



「あなたは、人が嫌で、根本の法まで否定してしまったの?」と聞かれるかもしれない。

いや、逆だ。

詳しくは、のちほど・・・。



俺は、すごく難しい立場に立っている。
反対しなきゃいけないし、守らなきゃいけない。説得を受けなきゃなんないし、言葉によって傷つけられることもあるんだ。
正直の話、誤解や偏見で見られるのが一番怖いし、俺の話を一緒に「考えさせられました」って正面から聞いてくれる奴がどれだけいるか分かんない。

オウムを生み出したのは、オウムに無関心な多くの人々にほかならない。
ヒトラーを支持したのは、当時ベルサイユ条約で困窮のなかにあったドイツの労働者、国民の9割。

また、「報道」というものが、いかに真実を伝えていないか、
そして、「思想」という難しい問題に中立的に伝えることがいかに至難のわざで、「臭いものには蓋」的な空気がこの国に流れているかを痛感せざるを得ません。



そのなかで、自分の苦しみを表に出せず抱え込んでおびえているという人も少なからずいるということを知りました。
本当はもっともっといるかもしれません。




俺は、否定も肯定もしたくない。

ただ、批判したい。


みなさんにお願いです。

「考えてください。」
そして、どうか「自分の良心」を見失ってしまわないことを祈ります。




この先の説明は、次のおはなしにゆずります。


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2009.06.10 Wed l 未分類 l COM(0) TB(0) l top ▲

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