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親に説得され宇都宮にある例の新宗教の総本山に宿泊研修を受けることになりました。

率直に書きます。





駅にて、
親「あなた、NTTに就職しなさい!分かった?」



(俺はあんたの何なんだよ?)




研修にて、

瞑想

光が入ってきた

「光」の感覚、暖かい感覚、これは確かに宗教的体験としてあるもので、そこは否定できません。


「苦難の多い人生ほど、魂が磨かれるんですよね」
という言葉に素直に「頑張ろう」と思える。


食事の最中に
「みなさんがここに集まられたのも偶然ではなく、きっと何かの縁ですから」

(ウンウン)しみじみ


とにかく、無条件で、理屈抜きで、
ある意味悔しいけれど

あぁ、諸如来、諸菩薩、支援霊が助けてくれてるんだな、
と実感。

小さなユートピア。


信仰っていいもんだな。



ところが、祈願というものにとても違和感を感じて苦しくなるです。
自分でもその違和感の原因がはっきりと分からない。

「精舎の光の根本」といわれる祈願室に入ったはいいが、

待ち時間が長くて、身体を揺らしていた。

(自分にはそういう発達障害がある。)

隣の女の人から、
「すみません…やめてもらえますか」

凹む。

で、我慢していたら

自分をおさえられなくなって

…本来退出禁止なんだけれど、退出してしまいました

(悪霊の作用だとか思われたら怖い)
生まれつきああゆう場所ああゆう状況は苦手でして。


戻ってきて

儀式です。

像の前で「五体投地」で寝そべる。

床にパタンと伏して、「聖水」を後頭部にかけられて

…思ったこと

思っちゃいけないと思いつつ…

「何してんだ…俺…」


「…これの何がありがたいわけ??」


ごめんなさい

あれだけはどうしても苦手です



ビデオで
「この祈願は本当にお勧めですよ。祈願した時は何ともないんですけれども、何故か分からないけれども涙が止まらなくて…。多分、表面意識では戸惑っていた部分が、霊界からの後押しで一気にふっきれちゃって…。」

そのあと講師
「御奉納は後でよろしいですから(^-^)」

みんなゾロゾロ祈願を申し込み(親も含め)

狐につままれたような気がしてるのは私だけ?

こんなこと言ったら
「そんなことないよ!必ず見えないところで守護霊様が動いてくれてる。
ほら、あなた光に包まれてるのが分かるよ、本当本当、
分からない?」
とか誰かに説得されそうだけど。





「信仰って…何?」
という10年前からしてきた終わらない問いかけを
今日も「魂のふるさと」の中心で、怖がりながらしている私がいました。
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2009.03.02 Mon l 未分類 l COM(0) TB(0) l top ▲

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