上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- -- l スポンサー広告 l top ▲

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20161001-00512798-shincho-soci

これなる前に脱会してよかったです。
言論の自由を保障するとかいいながら、やってることは遠回しに弾圧。

アンチですが、映画は正直素晴らしい。アンチだけど人に勧めたい。
政治の主張も、唯一正論を述べている。
教祖が自称神でなくてフツーのオッサンを公言していたら、逆にファンだったかもしれない。
魂のレベルで話の合う人もいれば、
見下されたような態度を取られると嫌。

こういう囲い込みはすっごく残念。



普遍宗教とカルトと云われるものの違いとはなんだろうかというのが、僕のライフワークの一つ。
スピ系が好きな人の中で、この問題に悩んでいる人は案外多いような気がするのだが、正面から応えられる宗教者がいないのが現状。

まず、世間の判断ほどクソなものはない。
大日本帝国やナチスドイツだって、十字軍や魔女狩りだって、世間すべてを巻き込んだカルトだったと看做して問題ない。
上に物言えず、理不尽を正しいと思い込んでひたすら仕事をする企業だって、学校の常識だって、お友達グループ内の変なルールだって、
いわばマインドコントロールみたいなもの。
世間というのはたいがいどこか狂っているところを抱えているから、その中で絶対的なものがないから人は苦しむ。
明日には、今まで白だったものが黒になり、正義とされていたものが悪になったりしている。
世間の善人は、昨日そう言ってたことも忘れて、新しい価値観になびいていく。
坂本龍馬も吉田松陰もエジソンもキリストも、世間的に見て狂ってたけれど、カルトだったかというと、そういう人もいるかも知れないけれど、ヒーローになっちゃってる。

なので、外面的なところからは、そういうことは判断できない。
違いってなんなんだろう。
ひょっとしたら、ニーチェが喝破したように、世界を支配している正しいこと;人権、平等、民主主義なんていう常識も、普遍的なものと考えていることも、つまるところ遺伝子のプログラムの中にある「権力への意志」の現れなのかもしれない。
この世には全く人間が頼るべきよすがなんてのはなくて、どんなものも、海の上の藁くらいでしかないのか。

ただ、カルトについてこれだけは言えるのが、
どこも、普遍的で素晴らしいことは言う。
「人類に生きる価値はない」みたいなことをストレートに言わない(笑)
読んでて、目が透明になってくる感じの綺麗なこと言う。
最後に、自分の集団や指導者賛美。
すごく内輪うちわになって、外部に開かれたものでなくなる。
内と外を分けて、自分たちが特別だとする。
そして、それに馴染めない人を圧迫したりする。
教団の経典を繰り返し読ませて、論争になったら、すべてそこからの引用。

病的な劣等感の塊が教祖になって、
優秀な毛並みのいい幹部を置いて、後は信者を新規開拓で使い倒す。

本物と偽物を見分けるには、
とにかく、教養を身につけること。
古典を読むこと。
なぜか。
何千年、何百年残ってきた叡智には、世間に流されない普遍的なものが流れていて、今目の前で起こっていることをある種の高み、深みから俯瞰できるから。














スポンサーサイト
2016.11.03 Thu l 未分類 l COM(0) TB(0) l top ▲

コメント

コメントの投稿












       

トラックバック

トラックバックURL
→http://relisophia.blog43.fc2.com/tb.php/269-5edb24c2
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。