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キリストが昇天してから、弟子たちはずっと祈り続けていました。

ある日、キリストが送ると約束された聖霊がやってきました。

弟子たちの上にごーっと音がなり、舌のような炎が分かれて、弟子たちに下ると、弟子たちは異言を語り始めました。


異言というのは、霊的には、霊的な世界の秘密の言葉で、真言もきっと同じ。

神の霊が人間に臨むと、惨めだった人間、絶望的だった人も、人生を一変させられます。

祈る力もなく、呻き世を呪い神を呪い信仰を棄ててしまいたくなるような時もあります。

というか、「これは、神様に見せられないだろう」というような、誰にも告白できない心の痛みがあります。
しかし、キリストは、そこにまでやってきて癒しと哀れみを与えられ、口づけをして下さる。


神様は粋な計らいをなして下さるものです。



私、祈りながら、神に逆らってみることにしました。

「お前がいくら無限の愛でも、こんな自分の凍てついた心にまでやってくることはできまい。
私は、お前の愛を拒否する!」

と。

どうも、神様は敬虔なフリ、信仰があるフリをしていて、求めているところにはあんまり来られない。

自分自身を直視し、痛みを覚えながら、呻くものに対して、正面から答えて下さる。

神の前で駆け引きをしてはいけない。

ありのままでなければならないが、ありのままほど勇気のいることはない。



神の愛をさえぎることのできる闇はない。

神の愛を拒否する、という強い意志をもってしても、その愛の流れには逆らうことはできない。





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2016.05.15 Sun l 未分類 l COM(0) TB(0) l top ▲

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