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2008年に「幸福の科学と自分の葛藤」という話で書き始めたブログ。

本当に、8年の間、紆余曲折あり、未だに紆余曲折していますが、
やはり、もっともっと幸せになってきた、ということです。

私のk会批判の要点を振り返ると
・人増やしで、心の通い会えないし、悩みも素直に打ち明けられないのが嫌だった。
・教祖への絶対的帰依、独裁的価値観
・信者と教祖の傲慢さ

共感できる素晴らしい点
・霊的世界の実在と、諸宗教統合の原理を示している
・発展や富、知的鍛錬の肯定


とはいえ、信者で何万人のホールを埋めてしまうくらいですから、
私にとっての利害関係はマイナスだったものの、
組織を強大にして行く際に、
「エル・カンターレ信仰」という旗印とか人事の采配など、独裁的なリーダーシップがないと無理でしょうね。
あれだけやるのは。

常識はずれのプラス思考とビジョンを打ち立てて、組織の拡大を図る際、
まあ、「宗教的にピュアな求道者タイプ」の人材がなぜか不遇に扱われる。

関谷さん、種村さん、どこから見てもすごく立派で誠実な人。
発展する組織にとって、仕事がついていかなかった、ということでしょう。
そして、教祖にとって耳が痛かった、と。

良識のある人の言うことを、集めて、「三人寄れば文殊の知恵」みたいに、民主的にやってたら、
居心地のいい組織にはなるでしょうけれども、
映画作ったり選挙したり学園作ったりはできない。

どれもこれも立てて妥協をしようとする人に人はついていかない。
偏っていてもやばいことでも断言できる人に人はついてくるものです。

キリスト教は、今でこそ、世界に十二億人の信者を持つまともな宗教と思われていますが、
イエスの言動はやばい。
多分、大川氏よりもやばい。

「狂ったと思われ捕まえられ、崖から落とされそうになった」
とかいう記述があるくらいだから笑

でも、イエスは敵地エルサレムのど真ん中で、権力者を挑発する真似をして、死刑になった。
ほとんど、ロックンローラーですわ。

吉田松陰もそう。

多少狂ってるくらいでないと、世の中は動かない。

正しい宗教かどうかの判断ってまあ難しい。

実を見て木を知る、というけれども、
クリスチャンにもヒトラーとかいるよね笑
邪教にも、いい人がいてびっくりしたりとかある。

魂の次元、霊の次元って、
地上的な様相を超えたものがあるので、霊によって見分けるしかない。



で、組織の話。
部下の言うこと、申し入れを聞き入れない独裁政権は、また危険。


カルト宗教、カルト団体というけれども、
国家でいうなら、全体主義、人権が抑圧される集団。

自由、人権、民主主義、というけれども、
不秩序が出来上がると、自由の名の下に自由が失われ、人権の名の下に人権が抑圧される。

人間の魂はそうやって繰り返しながら、「正義の実現」=ユートピア化
ということを学んでいる。


さて、個人的に
K会克服の原理となったのが、「キリスト」。

K会では、キリスト教に関して、「原罪という思想の過ち」みたいなことを言っている。
人間罪の子ではなく、神仏の子が正しいのだと。
ええ、確かに、人間、生きてるだけで悪だから、救いを得るためにキリスト教を信じろ、
キリスト教を信じない限り地獄に行く、
というのは間違っています。

ちなみに聖書では、人間は神の似姿で「甚だよかった」と神は人間を最高の被造物と褒め称えています。
つまり、人間は神の子で素晴らしいんだっていう宣言。

で、失楽園があって、カインとアベルの近親憎悪があって、
人類の神からの離反の歴史があって…、と。

これだけ見れば、怖い神様で、人間ってどうしようもない虫けらのような無力な罪人に思われます。

しかし、私が安心を覚えるのが、「人間の現実」をちゃんと描いているということ。
宗教って、「きれいごと」言うんです。素晴らしいこと言うんです。正しいこと言うんです。

そういう話好きですし、しなきゃ当然救いはありません。

「いいことできない人間」はだったらダメなのか、ってこと。
もっと言えば、どんなに立派な人でも、エゴイズムもあれば怒りもある。
ない人もいるかも知れないけれども、それは聖人レベル。
もちろん聖人に近づくべきですが、すべての人は。

イエスは、人間を聖人になるように、信仰を強く持つように示しました、
が、結局、側近の幹部含めて誰もそれ、守れなかったんだよね。

信仰のなさをも咎めながらも、不完全な弟子たちを愛して、福音宣教の使命を与えた。

泣けますよこれ。

K会では、明確な霊界のビジョンと実在を示し、魂のヒエラルキーを掲げた。
追い立てられるように、恐れから善行を積む。
いつも天使が見ていると思って清く正しく美しくあらねばならない。
伝道ガンガンしなきゃならない。

ダメだったら、足もとが裂けて地獄に行く。
教祖に疑いを持ってもいけない。

できる方は、やったらいいですけれど。



神様というのは、自分の子を、もれなく必ず救うと宣言されているわけなんですね。

どんな罪を犯しても、神から離れても、
一度振り向けば、天には全体に大きな喜びがある。


どっちが上、どっちが立派、
どっちの悟りがすごい、っつってるうちは神の愛はわからない。

なんたら教とかを超越した、大宇宙の神霊そのもの。



















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2016.05.13 Fri l 未分類 l COM(0) TB(0) l top ▲

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