上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- -- l スポンサー広告 l top ▲
諏訪大社の御柱祭りを観に行き、
神社や自然に触れてきました。


僕の先祖はおそらく、タケミカヅチーオオクニヌシーユダヤ。
私の出身は出雲。出雲大社では、大国主命をお祭りしている。
大国主命の次男が、タケミカヅチの神。
タケミカヅチは、高天ヶ原が国譲りを迫った時に、最後まで抵抗して、諏訪で敗れた。しかし、原住民の諏訪一族と共同統治をした。
ちなみに僕の母がたの旧姓が諏訪部。先祖は神社で神官をしていたという。祖父の生い立ちについてはあまり語られないが、関東大震災で被災して、親を亡くし、島根に戻ってきたよう。

諏訪とユダヤには共通点が多くある。
タケミカヅチが来る前、そこには「モリヤ一族」が統治していたが、その末裔は今でも祭祀を司っている。
正体不明の「ミシャグジ神」に、鹿の生贄を捧げたり、息子を神に捧げてそれを止める、旧約さながらの儀式が存在する。

御柱祭りは、何のシンボルか。
神社のお宮が子宮。参道が産道。
で、棒が立つ、と。その棒を、多くの男どもが神社に運び込む。
行われるのが、「こどもの日」「母の日」。

あと、木の柱には、天と地を結ぶ意味がある。
人間というのも天と地を結ぶパイプだ。
これは私だけの大発見。
キリストの十字架は、縦が天と地を結ぶ木の柱。
横に聖霊が生きとし生けるものを結ぶ。
真ん中に、死と再生と永遠の命と私が交差する。

日本にも、一神教における唯一の神は存在し、
「アメノミナカヌシ」と呼ばれているが、古事記では、
「ある」だけで、しょっぱなから姿を隠したとされている。
きっと、日本だと、大自然があまりにも豊かな霊性を与えているため、その背後とか、根底にある巨大な一つの霊を格段求めたり意識する必要はなくなったんじゃないかな。あまりにも霊に満ち溢れていて、その奥に観念や思想が付け入る隙間がない。
現象の全てが、山とか風とか岩とか山とか木々とか言葉で分節化できずに一つの精神的な連関で生きている。
人間と自然は切り離されるんじゃなくて、ひとつ。
世界に生きる生命の全てが、アメノミナカヌシという大元のいのちの展開。日本は、神の霊の陽の極。
スポンサーサイト
2016.05.08 Sun l 未分類 l COM(0) TB(0) l top ▲

コメント

コメントの投稿












       

トラックバック

トラックバックURL
→http://relisophia.blog43.fc2.com/tb.php/242-906a100f
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。