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私は人生そのものに疲れきってしまっていて、将来の進路も明確にないまま勉強にも意欲的に取り組めず
他の受験生たちが目標目指して勉強を頑張って上の大学を目指している中焦燥感と劣等感と虚しさは募るばかり
勉強すらやる気にならない状態が長く続き
成績も学力も伸び悩む一方でした
客観的に見て、はっきり言ってどこの大学にも受かりません

もうどんなにあがいても何も変わりません

大学に進学すること自体諦めようと考えてました
そして自分の人生これを機にこのまま転落していくとまで絶望的に考えてました

ところがセンター試験も近くなったある日のこと
ふと彼の気が変わりました

自分はこの大学のこの学科にいくのが運命なんだ!
と彼は感じたそうなのです

その大学はまあどっちかといえばトップクラスのレベルで、彼の勉強を全くしない現状から見てももはや周りからは笑われるほど冗談にも近い高望みでした。

そんな彼が弱気に負けず追いつくための勉強をしながら、常々自分に言いかけていたこと

「すでにこの大学のこの学科に合格した。ありがとうございます」


実は、この発想は、以前に語った光明思想の宗教の本に影響をうけたのです。

毎日「神想観」というその宗教の瞑想的なお祈りを欠かさずやりました。


そんなことで実質「受験勉強」をしたのはセンター試験前から2月6日の入試のほんの一ヶ月ちょっと。

それでも受ける前から「受かった!」と思ってワクワクしながら本番に臨んだところその第一志望の学科だけ見事に受かってしまった。

他にも滑り止めを6つくらい受けたが「受かった」イメージを抱いていなかったので、みんな見事に落ちていたそうです




実はそんな「宗教」を信じたことによる奇跡的な体験の経験者なんです。
いや、宗教そのものというか、「神の子無限力」の宗教的発想というか。


宗教なんて「いいとこどり」でいいんだと思います。

組織や教祖、理論に拘泥していては悲しいことになるし
宗教のすべてを否定すれば、人の「いのち」や「倫理」「道徳」の基盤はむなしいものになる。

そして、宗教の「信じる」ことの力、「感謝する」ことの美徳を改めて「いのち」の根本にあるものだと感じさせられたのです。



以下は、自分の感じた「成功」の法則。

「絶対成功する」じゃだめなんだ
「すでに成功した」じゃないと

はっきり断言してもいい

イメージってのは単なる希望や空に描いた理想なんかじゃなくて
明らかな現実にほかなりません
客観的に目に見えるカタチで証明することができないだけです

ものすごく強く強く現実的にイメージしたことはすでにその人のなかにあるし、それは必ず実現するものだと思う。

もちろん現実に自分の身体を使って徹底的に現実に働きかけてはじめて答えは出るもの

そしてイメージと行動はできるだけ強く結びつけるよう頑張らないと前には進めないけれど

そしてやっぱりイメージの力の根本にあるのは
「こうなりたい」っていう心からの欲求や希望に他ならないと思うのよね

だから暗い気持ちでやってちゃいくら頑張ってもそんなの嘘でしかない

明るくイメージを描かないと
積極的にイメージを描かないと
本当の力は出せない

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2009.02.24 Tue l 未分類 l COM(0) TB(0) l top ▲

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