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中世において腐敗したカトリックに対して、ルーテルは、
「信仰のみ」「万人が祭司」を掲げてプロテスタントが成立した。

カトリックは教会の巻き直しをはかりつつ、
プロテスタントや異教に対して、
「教会の外に救いなし」
を提示する。

組織化、ドグマ化した宗教に対して、ドイツの諺で、
「教会に近づくほど神から離れる」というものもある。


日本では、内村鑑三先生が、第三の「無教会主義」を立ち上げる。

組織化した宗教や信仰ではなく、一人一人が神のみ前に一人立たねばならない、と。

「信仰のみ」をさらに徹底させて、「反基督教」すらも自認する。


日本のカトリックでも、岩下壮一神父が、内村にお互いに敬意を抱きながら、互いに批判、切磋琢磨を図る。


60年代、カトリックでは、第二バチカン公会議が行われ、
閉鎖的であったカトリックが一変して外に目を向けた。

諸宗教との対話を勧め、また。諸宗教にも救いを宣言したのだ。

また、「教会の外には救いなし」を堅持しつつも、
「全宇宙が神の教会である」と宣言する。

また、プロテスタントや聖公会や東方教会との対話と一致も勧めている。


教会や教理は違えど、福音は一つである。


「神」は、キリスト教もイスラム教も仏教とか神道とかいう枠を超えた、
人間の想像をはるかに超えた、
全宇宙を創り出した、現代的に言えば、「サムシンググレート」である。

イエスの十字架によって、そのサムシンググレートの最高の愛が示されている、と信じる。


宇宙は、神の気まぐれや暇つぶしや偶然によって作られたものではなく、
人間も見捨てられてはいなく、
「ここまでやるか」というほど愛されている。

聖書と十字架はその目に見える歴史的な証拠である。


無論、サムシンググレートは、
仏陀や、ソクラテスや孔子、
そして様々な宗教の起こりを通して、自らの愛やメッセージを人間に伝えようとしている。

きっと、これを読んでいるあなたにも、私にもある。


神は、教会やキリスト教なんか(なんかと言ったらあれだけど)の枠組みを超越して、
全宇宙をくまなく覆う無限の真理そのもの、愛そのもの、である。


私は、「超教会主義」を今ここで掲げたい。

地球教、
普遍教

私が信じているのは、それ。

神社で十字を切る。

教会で小さな声で般若心経を黙想する。

お寺でイマジンを歌う。


でも、決してシンクレティズムではない。

形式の問題じゃない。

魂が、ビッグバンを生み出し今も生きている、巨大ないのちそのものにつながっているかっていうそういう問題。



私、ひとりだけかもしれない。

でも、そうじゃないかもしれない。


誰かいるかもしれない。







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2016.02.15 Mon l 未分類 l COM(2) TB(0) l top ▲

コメント

21世紀は霊性の時代と言われるわけですが、それは、どういう意味なのか?根本認識として人間の本質は霊魂であり、大生命から分かれて生かされている命であり、どうやらそれは不滅の命であり、そして霊界が実在し、そちらこそが本住の地であり、この世は仮の宿りであり、肉体は脱ぎ捨てるものであるという点にあると思えます。
スウェーデンボリーやスピリチュアリズムなどが、ダイレクトに、そういう思想を出したと思えます。
スウェーデンボリーやスピリチュアリズムになると、もう組織はいらないという思想ですね。真理は組織に所属するものでもなく、キリストのみが真理を体現したわけでもないとすると、組織解体をはらむ思想と言えなくもない。

カトリックという大組織も、マリア出現などで崩壊が予告されたりもしています。
幸福の科学やレムリアルネッサンスに真理が所属するわけでも、もちろんないわけで、真理は、いかなる組織にも所属するわけでもなく、ひとりひとりが探究者として、それに向き合いながら生きるということが基本になるような気がします。
すると、キルケゴールとか、クリシュナムルティとか、内村艦三のような=単独者=がモデルを示しているような気がします。
2016.05.05 Thu l れもんの海. URL l 編集
Re: タイトルなし
コメント感謝です!
本当にそうですね!
私の記事よりも、素晴らしいコメントです 笑
また、いろいろとお話できたら嬉しく思います。

> 21世紀は霊性の時代と言われるわけですが、それは、どういう意味なのか?根本認識として人間の本質は霊魂であり、大生命から分かれて生かされている命であり、どうやらそれは不滅の命であり、そして霊界が実在し、そちらこそが本住の地であり、この世は仮の宿りであり、肉体は脱ぎ捨てるものであるという点にあると思えます。
> スウェーデンボリーやスピリチュアリズムなどが、ダイレクトに、そういう思想を出したと思えます。
> スウェーデンボリーやスピリチュアリズムになると、もう組織はいらないという思想ですね。真理は組織に所属するものでもなく、キリストのみが真理を体現したわけでもないとすると、組織解体をはらむ思想と言えなくもない。
>
> カトリックという大組織も、マリア出現などで崩壊が予告されたりもしています。
> 幸福の科学やレムリアルネッサンスに真理が所属するわけでも、もちろんないわけで、真理は、いかなる組織にも所属するわけでもなく、ひとりひとりが探究者として、それに向き合いながら生きるということが基本になるような気がします。
> すると、キルケゴールとか、クリシュナムルティとか、内村艦三のような=単独者=がモデルを示しているような気がします。
2016.05.08 Sun l confessius. URL l 編集

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