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うんうん!
という記事。

http://tooisorae.hatenadiary.jp/entry/2014/01/07/083931

(以下引用)

 新興宗教やカルト・異端と呼ばれている宗派は、せつせと信者集めに奔走する。謳い文句は決まっている。「病気が治りますよ」「災難に遭いませんよ」「お金が儲かりますよ」。そして、究極の殺し文句は「天国に行けますよ」だ。

 この甘い蜜に誘われて、あるいは、虫たちが蟻地獄にはまるように、ひとびとはかの教団・教派へと捕らわれていく。

 彼らを待っているのは、働き蜂・働き蟻への洗脳である。時が経てば経つほど、「働かねば」、つまり「布教せねば」という強迫観念に支配され、やがて、そうしなければ「地獄行き」という言葉が四六時中頭の中で鳴り響く。お金も時間も、はては選挙活動にまで自由意思を奪われ、こころも自分で考えよとする頭脳も亡くした人間型のロボットが動き出す。なれの果てが自爆テロであり、あの、地下鉄サリン事件である。

 一方、伝統的な宗教は言う。「勝手に入ってこないで下さい」。「出来れば来ないで下さい」「ここは真っ白い、汚れない羊たちの集団なのです」。

 かのオウム云々が瓦解したとき、まじめに求道していたたくさんの信者が路頭に迷い、伝統宗教の門を叩いた。しかし、彼らを懸命に救いあげようとした宗教・宗派はほとんどなかったと聞いている。

 真のキリスト者は、他者のいのちのかけらにまで気を配ってほしい。それが私の願いである。だから、今回の小説もそれを第1の主題とした。しかし、現実のキリスト教会は、カトリック・プロテスタントを含め、とても閉鎖的である。以下に、カトリック多摩教会司祭、晴佐久昌英神父のメッセージ後半部分を引用してみたい。ゲスなたとえで申し訳ないが、晴佐久神父を芸能人にたとえるなら……う~ん、解らない。が、彼は間違いなく、日本キリスト教界のスーパースターであることには違いない。

 許可は戴いていないので、全文掲載は出来ない。アドレスだけ記載しておくので、全部を読みたいひとはネットでご訪問戴ければと思う。

http://www.fukuinnomura.com/?p=5230

 数日前に電話してきた方、「年が明けたらまいります」って言ってましたけど、自分はすっごい変わり者で、いつもみんなから嫌われたり、疎外されて、仲間はずれにされる。そういう人間なんだ・・・と言ってました。

 だけど、ある修道院に出会って、そこの朝のミサに通うようになり、信仰に救われ始めたんだそうです。それで、いよいよ洗礼を受けたくなって、勇気を出して近くの教会行ってみたら、やっぱり「変な人」って思われて、信者たちから嫌がられちゃったみたいです。

 そういうの、わかりますでしょ? 目立つ人、自分たちの常識とは違う人、受け入れがたい人を排除しようとする。人間の社会、みんなそうですよ。悲しいかな、教会にもそういうところがある。

 で、みんながね、「あの人がいると落ち着かない」と、「私たちの和を乱す」と、いうことで、神父に、「あの人を、受け入れられません、どうにかしてくれ」と言い出した。

 で、神父がその人に言ったんですって。「信者の皆さんが動揺してますので、ここの教会では一緒にやって行けません。来ないでください」と。

 それで、ある人からそういうことならと紹介されて、多摩教会に電話してきたんですよ。

 あのですね、教会っていう所は、自分たちの平穏無事を願って、いつもの同じ人で気持ちよく過ごす所ではありません。それは、教会ではありません。排除された人を、ただ信じて、信頼関係を持った仲間で迎え入れる所なんです。だから、その「変わった人」、みんなから嫌われて、見捨てられている人を、「聖家族」として、迎え入れましょう。・・・これが教会です。

 それはチャレンジですけれども、これができたときに、いっそう「聖家族」になれる。それができないときに、教会の意味もなくなっていく。・・・非常にシンプルな話です。

 そのチャレンジをしないっていうのは、すごく残念なこと。

 気持ちはわかりますよ、いつもこう、安心できる身内で、穏やか~な気持ちで、波風立てずにいる平穏無事はいいもんですけれども、ホ ントの教会は、「聖家族」は、迎え入れるところです。

 私は会ってないから、どんな人かわからない。どこまで「変」なのか、楽しみです。(笑)

 「ぜひ、いらっしゃい!」と申し上げました。助けを求めてきた、その人を、信じたから。

 ただ彼は非常に傷ついているんで、何とかそれを癒したいですね。「来ないでくれ」と言われたとき、神父さんからこう言われたそうです。

 「白い羊の中に黒い羊が1匹入ってると、いじめられるものです」と。「だから、あなたのためを思って、そういうふうに申し上げるんですよ」って言った。

 私、びっくりして「ホントにそう言ったんですか?」って言ったら、「ホントにそう言われました。とっても傷ついた」って。だから私、彼に申し上げました。私の尊敬している神父さんだったので。

 「わたしは、その神父さまを尊敬しています。あの神父さまがそうおっしゃるんだったら、きっと、神父さまだけがご存じの何か深いわけがあって、そのような判断をなさったんでしょう。私はその判断を信じます。あなたも信じてください。みんなのために、あなたのために、ホントにそれが一番いいことなんでしょう。ただ、私のことも信じていただきたい。私は、あなたを信じます。私は、あなたが変な人であればあるほど、燃えます」と。(笑)

 「そもそも、多摩教会は、全員『黒い羊』ですから。(大笑) み~んなまっ黒けですからご安心ください。黒い神父、黒い信者。・・・黒い羊が来るべき所です」。

 見捨てられた人を受け入れる。それはイエスのなさったことですし、それこそが、聖なる家族の本質じゃないですか?

 「白い羊」は、イエス・キリストのみ。

 「その真っ白な小羊の血で、私たちを洗って白くする」って、聖書に書いてある。(※ 6)

 主が宿っているところには、汚れも恐れもありません。私たちが、もし本当に信じ合って、新しい一人を迎えるならば、2014年、今年にも増して輝く多摩教会になりますよ。

 どんな人が来ようとも、現れようとも、「信じて」ください。お願いしますよ。

 私が、「いや、これだけは無理だ!」って言ったら叱ってください。

 「神父さん、信じようって言ってたのに、おかしいじゃないか。裏切られた」、そう言ってください。

 私にも、意地があるからね、開心して、本当の教会を、教皇様の夢見ている「真の教会」を目指したい。

 もっともっと「家族」になりたいでしょう?

 ・・・今日は、「聖家族」の主日。


 これを読んでどう思われただろうか。

 いまの「キリスト教会とキリスト者」への戒め、ブラックなジョークにさえ思えてくる。とかく、「正統派?」と呼ばれる教会にかぎって「おまえは来るな」「あんたはダメ」。まあ、気持ちは分からないわけではないが、2000年前のイエスが聞いたらなんと言うだろうか。たしかに、教祖や組織の私腹を肥やすために、せっせと信者集めをして、自爆テロリストを育てたり、500円の壺を500万で売りつけるような愚劣な詐欺師ロボットを作る集団よりはましだろう。が、神のたかみから見下ろせば、所詮はどっちもどっちかもしれない。

 アメリカが広島に原爆を落とす前、真っ先になにを調べたか。それは「同胞が住んでいない街であること」。キリストの名を唱えながら、平然と原爆を落とし、広島市民を焼き殺すアメリカ。その後も、長崎原爆をはじめ、自分たちに属しない「嫌いな国やひと」に爆弾を落とし続けてきたアメリカの歴史は、小学生でも周知の事実である。ナチスドイツは言わずと知れたホロコースト。そのホロコーストに準ずる残虐非道なジェノサイドをベトナムでやってのけて、なんの反省もなく、他国の罪だけを糾弾する韓国。いつまでも新疆ウイグル自治区やチベット自治区住民らを差別し、蹂躙し続ける中国・・・。

 みな、自分たちだけは「真っ白い羊」(今年は午年なので、さしおり白馬か)だと思い込んでいる哀しい存在である。

 

……………

本当に、宗教に派閥なんて要らなくて、
どっちが正しくてどっちが間違ってるとかもういいです。

一つの生ける生命があって、すべての人はそれとつながっているっていうこと。



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2016.02.03 Wed l 未分類 l COM(0) TB(0) l top ▲

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