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信仰は頭じゃない、心だって何度も言われました。

あらゆる宗教の人みんな言います。

そう思います。

私にそういう人の気持ちは分かります。
私も、きっとそう言っているでしょう。



本当に心の奥底から素直に神様とつながるような信仰を持ちたいと願います。


ではなぜ、考えてしまうのかというと
盲信とか、カルトの弊害とずっと戦ってきた経験があるためでしょう。

騙されるのを恐れている。
取り込まれて洗脳されるのを恐れている。


自分の信じているものが本物だと頭ではわかりつつも、その場にとどまってしまう。

理性を無くして、神秘体験やエクスタシスに包まれる喜悦を経験するよりは、
現象世界にありながら、理性的でありつつ、祈りをしていたいという気持ちもある。
そのまま、神に導かれていたいという気持ちもある。



悩みや苦しみに対しては理性や知恵でもって落ち着いて対処していくことができる

そういう風な仏教的なやり方を身につけました。

仏教では、信仰を捨てよとときます。
つまり、よくわからない力を盲信して祈るのではなくて、欲望を観察して自分で苦しみから逃れよと。

どこまでも理性的でクレバーで、穏やかな教えです。


というのは原始仏教の、宗教でない教えでありますが、
後代から、潜在意識とつながって願いを叶える力を持つものが生まれるようになった。


民衆って、宗教の難しいことがわからない。
毎日の生活で忙しいし、悪いこともしてしまう。
お坊さんたちは、そういう人を救おうとおもって簡単な言葉を授け、
「これさえ言っていれば大丈夫ですよ」ということを伝えた。



結局のところ、根本は愛。



愛を持てるようになるにはどうすればいいのでしょう。

人を愛したいと願います。


たぶん、何も知らないでも真っ直ぐに祈ってる人の方が、尊い。




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2016.02.03 Wed l 未分類 l COM(0) TB(0) l top ▲

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