上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- -- l スポンサー広告 l top ▲
K会というところは、教えも立派に見えるし、スケールも大きいように思われます。
あらゆる宗教の頂点を集めて統合し、それを越えていく、新時代を開く教えであり、
人類の驚愕の事実を示しているようにも思われます。
また、世界中にも広まっている教えにも思われます。

が、
が、

普遍宗教か、と聞かれると、断じて否と答えざるを得ない。

どうも、彼らは権力が欲しくて欲しくてたまらないように思われる。
死んだ後の霊をいじくってともかく自分の手柄に立てあげたい。

「自分のところは、お前らのステージをすでに超えてしまった」っていう上から目線の傲慢さ。



正しい正しくないとかじゃなくて、

自分のところはすごい自慢されると、「なんかやだな」って感じ。

上に行きたいとか、
霊的な力を得たいとか思えば思うほど、

きっと、素朴な心の奥底の純粋さとか魂の幸せを見失うわけで。



どうにかお互い謙虚に尊重し合うものはできないだろうか。



本当に救いに感じられたのが、

斎藤一人さん

カトリック


これって、組織とかイデオロギーとか超越してる

それでいながら無色透明のさしあたりのないものでなくて、強烈な個性を放っている。




たぶん普遍的。


そして、普遍的な教えや霊というのは、
同時にどこまでも個人的であることと両立するのではないかなあ。

普遍的なものは、個人をもっともっと掘り下げて自立させる。



スポンサーサイト
2016.02.03 Wed l 未分類 l COM(0) TB(0) l top ▲

コメント

コメントの投稿












       

トラックバック

トラックバックURL
→http://relisophia.blog43.fc2.com/tb.php/207-c1a561b7
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。