上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- -- l スポンサー広告 l top ▲
「幸福の科学はどこまでやるのか」を読む。

エル・カンターレの神は、地球の至高神であり、仏教の開祖、キリストの天の父であるとされる。

その神が肉体を持って地上に降りてきているというのが、幸福の科学の主張である。


もうこれはそのまま真っ直ぐな所信表明として受け取ってもらえたら良い。


一方、私の信じている「神」は、なんたら教の枠にはまることのない、
人間のあらゆる想像を超えた、対象化できない

エル・カンターレというのは、「様々な仏神や高級霊」が存在する中の、至高の統括者としての大霊
という位置付けである。

なので、いくら肉体を持った大川氏が超人的でも、被造物なわけで、これを信仰の対象とするのは、
あれ、違うなあと感じる。

宇宙というのは、一切が別々のものでありながら、「ワンネス」であり、
普遍的な宗教というものは、
地上にあって、別々の宗派でありながら、この普遍的なワンネスというものに霊的に到達している。

一方、幸福の科学の主張は、
そのワンネスを巧妙に、至高と位置付けた被造物にシフトしている。

大日如来や、アラーや、アメノミナカヌシとは、
人格的な宇宙のワンネスであり、全地に満ちるものでありながら、

同じ言葉を使いながら、その存在を、表象の一つの人格の次元にまで落として解釈している。



これだと、
それがいかに、魂に利益をもたらすものであっても、霊的に限定された不自由な状態に行き着いてしまう。




様々な宗教に言えることで、
信仰の分かち合いは必須として、
同じもの同士で固まって、他から閉じられた信仰では、普遍とは言えない。

真なる普遍を求めなければならない。

もっともっと、すべての人の魂にとって、共通のところを開いていかなければならない。


パウロなんかは、教養や素養な異文化との接触があったため、
ユダヤ教の一派であったキリスト教を世界宗教にまで広げた。


そういうヤツに私もならねばなあと思っています。






スポンサーサイト
2016.01.21 Thu l 未分類 l COM(0) TB(0) l top ▲

コメント

コメントの投稿












       

トラックバック

トラックバックURL
→http://relisophia.blog43.fc2.com/tb.php/203-2f3538b9
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。