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人間は創造的な生き物である。

神は人間を創造したが、
神が直接、人間社会に介入することはない。

人間が神の手伝いを使命としてなすにすぎない。

神は、宇宙に遍満する巨大なエネルギーであり、秩序。

神は、人間の創造的な力に手を貸す。

そして、
それが、良きものであれ、悪いものであれ、選択せずに手を貸す。


人間が神を造ったのか
神が人間を造ったのか。

この矛盾する命題はどちらも真である。

神は人間を創りつつある。
そして、それは、とりもなおさず、神が人間において、自己自身を宇宙において新たに創造しつつあるということなのだ。

神は、人間を
創造するものとして創造した。

そこに、
人間の偉大さと、同様に愚かさもある。

神は人間に正しさを強制することはないし、裁くこともないで、
人間の過ちの内に生命をなおも支えている。

神を利用して、
正しさを強要する人間を、神は嫌うようだ。
たとえそれが、いかに正しいことであったとしても、
人間の自由意志や創造の力は神聖不可侵のようだ。

たとえ、悪にそれが向かっても。

悪に対する報いは、良心の痛みや、苦悩。


人間と神は、奴隷と主人では決してありえない。
子と親か、それ以上の関係である。

神の意図を読み取らねばならない。

しかし、その意図は、あまりにも簡単すぎて、
誰にも分からない。

愛という簡単なことは、至極難しい。

創造は、愛に沿ったものであればふさわしい。







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2015.07.01 Wed l 未分類 l COM(0) TB(0) l top ▲

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