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僕も僕で悩みごとはたくさんあります。
毎日が本当に辛くて
それでもポジティブに考えようと頑張っていました。

でも限界がきました。
いちばん精神的に酷かったときです。
高校二年の冬のことでした。

僕は校誌になんと40ページにも渡る漫画を載せることになり、〆切を間に合わせるため、
新学期早々3日連続で学校に行く振りをして、途中の駅で降り、喫茶店や図書館の机で漫画を描いていたのです。
夜も睡眠3時間で頑張りました。

そんなある夜のこと、部屋のドアを凄い勢いで「開けろ!」とバンバン叩かれながら
親に怒鳴り散らされました。
学校を休んでいたことがバレたのです。

朝になって学校に行くときの車の中で
「お前誰のおかげで食わしてもらっとるとおもってんのや」「学校やめたら」
さんざん叩かれました。
そして最後に「あんた何か死ねばいいのよ」「生まなきゃよかった」
もう…
気が狂いそうでした。

なんとか漫画は〆切に間に合わせたものの
自分の納得いくものでもなく、ただ深い心の傷が残りました。

報酬の500円の図書券だけが残りました。

憧れの先輩みたいに校誌に何か載せたいと思ったのに…
一体なんだったんだろう。

虚しさだけが残りました。

そんなある日の「お前友達いねえじゃん」の一言で、何かが崩れました。

次の日、以前と同じように学校に行くのを止めて、図書館に行きました。
そしてジョンレノンのビデオや、「あしたのジョー」のビデオを見て過ごしました。

本当に限界で、何もする気も起こらない。
生きる意味も見つからない。
誰も助けてくれない。

西山明の「アダルトチルドレン」という本を見つけました。

「あぁ、自分ACだな」って思った。

言葉なんてどうでもよかった。
ただ助けて欲しかった、楽になりたかった。

辛くて「自分ACです」みたいな内容のことを会の学生部メーリスで回した。
一通だけ暖かいメッセージが届いた。
だけどそれ以外は無反応で、数日すれば「伝道成功しました」メールが何事もなかったかのように流れていく。


久しぶりに学校に行った。
その時人探の先生にも
「先生、自分ACかもしれないっす…」と言ってみた
だけど先生は
「お前の家親父がアルコール依存とかか?
ACってのはそういうことだ。
よくいるんだ。自分の過去を振り返って『自分ACです』なんてヤツが。
だけど、人間は機械じゃない。
『こうしたらこうなる』って決まっているもんじゃないんだ。」

話はなんとなく分かったが、自分が今抱えているこの辛さだけはどうにもならなかった。


また、会のある先輩ともメールでやり取りをした
「親と上手く行ってなくて…」
すると
「素直に親に感謝してみ、そして自分の悪いところを仏に詫びてみろ」と。
《…この人、自分のこと見ているのかな》

自分が哲学に興味があるといえば、
馬鹿にしたように「俺は仏法真理を学んで人生の疑問の9割がたは分かったと思っている。哲学なんて人生の悩みを深めるだけだと思うね」と。
「哲学とはそんなもんじゃない」と反論すれば
「お前先輩に向かって失礼じゃないのか」と。



なんだか次第に会に対して持っていた憧れや期待が音もなく薄れていくのを感じた。


信仰のやり場も見失った。
情熱のやり場は見つからない。



決定的な事件が起こる。

あの傷も癒えてきたところ、
学校に「夜回り先生」水谷修氏がやってきた。

先生の講演、質疑応答のなかから僕の人生観は大きく変わった。

「こんな大人、こんな教師もいるんだ」と。
この人なら信用できる。

僕は質問した
「先生、自分のメル友がリストカットで苦しんでいます。どうすればいいですか。」

先生はこう答えた
「『俺が助けてやろう』なんて思わないこと。
すぐに、僕のところに連絡するか、周りの大人の助けを借りること。」

水谷先生からは、本当に明るい明日を作る力をもらった気がした。


会の学生部のメーリスで、水谷先生のこと、そしてリストカットで苦しむメル友のことも流した。

…ところが流した内容がまずかった。

会から家に電話がかかってきた。

親は怒った。

電話で職員さんが言う
「あれは駄目だよ。考えたら分かる。考えたら分かるからね。」

《……》


《内容がいけなかった…それだけかよ!?
確かにあれはまずかったかもしれない…

なにしろ、自分宛てに書かれたプライベートな手紙、それに内容が性的なものであったからだ・・・。

でも、ぼくは、あれが間違っているとは思っていなかった。

・・・だって、これが真実なんだよ!!現実なんだ!!

世の中は、あんたらの宗教の描くみたいに、そこまできれいな世界じゃない!
こんな世界だってあるんだ!

あんたらはそんな世界の現実に目をそらさず見ているのかよ!?》

でも、それを一方的に「それはいけないよ。考えたら分かるからね」で、切られた。


《俺たちの苦しみ、俺たちの訴えはどうなるんだ?
所詮この会も、人の心なんて二の次、体面を保つことが一番なんだな…

何が「全人類救済」だ?
会が正しいことを証明したいだけの内輪の綺麗事じゃないか》

わずかでも信じようとしていたのに…

「悩みがあったら言ってごらん。聞くよ。」
「…やる気が出なくて勉強がどうしても出来ないんですけれど…」

「それは甘えだよ。うん甘えだよ。」

《なんで甘えだってこちらの話を聞かずに一方的にそう決めつけるんだ?
こっちの家の事情とかさ…突っ込んで聞いて欲しかったのに
何が職員だ…ダメ教師と変わらないじゃないか》


すべてが金メッキでコーティングされた嘘のように思えた。

ここで、僕の会に対する信用、信頼、信仰は音を立てて切れてしまいました。


でも、僕のなかにある「宗教性」は確かに死んではいなかったのです。
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2008.06.21 Sat l 未分類 l COM(0) TB(0) l top ▲

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