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神様がいるということはまず確実です。
多くの人が考えているような、髭を蓄えた人ではなくて、すべてを創り出した大宇宙の霊的な巨大なエネルギー、ということです。

それで、ほっとしたかというとそうではありません。
自分自身が神に認められるにふさわしい人間かと問うと、悪いところだらけ、恥だらけで、目を背けたいしどうしようもないのです。
神がいらっしゃるなら、なぜ、人生は不幸で大変なのだ。
人間という生き物も悪いのだ。

自称、立派な人格者から、「お前は、あれが悪い、これが悪い」と言われたら、ああもうその通りでございますとしか言いようがありません。
そして、不幸なことに、言い訳せずにそれを認めることもできるのですが、
人間というものはあらゆる言い訳を思いつき、仕方がなかったとかいって、互いに自分の罪をぼやかすわけです。

人間というものが怖い。

神がいくら愛し許してくれるといってもそれは観念なのです。
いえ、人間の罪が、すべてを見えなくさせているのです。
人間のうちにある罪はいつも自分自身を神様の顔から自分自身を遠ざけて、いつも人を無力に落ち込ませていくのです。

私は神と共にいる資格がないとか、
いやそれよりも人間の世で埋もれていたいとか、情けないとか、ほっといてくれと、
そういう気持ちが思いたくなくても出てくるのです。


また、神様を知って喜んでいたとして、
世の中の人々は、あなたを知ったばっかりに、私を笑い白い目で見て誤解をするでしょうし、
また、それゆえに私自身、あなたのことを捨てて再び虚しさのうちに生きるのかもしれません。

なんと惨めなことでしょうか。

もう少し、鈍感な感性でありたいと欲します。



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2015.05.26 Tue l 未分類 l COM(0) TB(0) l top ▲

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