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私は、
公教育に対しては、アンチの立場である。

学校型、一斉型の公教育における良い面も熟知しているつもりだが、
やはり、
「アンチでありたい」
というのが、立場上ある。

それは、
相手側を叩く、
というよりも、
相手側の限界を私たちが打ち破るダイナミクスを持ちたいというものであって、
批判のための批判、
敵対のための敵対ではない。

相手を潰すためではなく、

まず、「我々良かれ」
という、大きなエゴがある。

そして、
敵も含めた我々全体が良くなるように、

という、
世界の中での自分らの役割を認識することだろうと思う。


カトリックの反発から、
プロテスタントが生まれ、
反宗教改革として、イエズス会が生まれた。

帝国主義から、
資本主義、
共産主義、
民主主義、

魂は学びを増して行く。


歴史は、
常に弁証法を繰り返して経験を積み重ねていく。


宗教にしろそうだ。


どんなに完璧な原理を説いた宗教が出てきても、
分裂や対立は必至なのだ。


あえて言いたい。

「一致ではなく、分裂を」

「平和でなく、つるぎと炎を」

全てを包括し、万人に当てはまる原理など「この世」には見出せないことを熟知すべきだろう。

ただ、個人個人が、
自らの内に、
超越の中で、絶対者と触れること。

それは、
個々人の己にしかできない事業であるのだ。


真理や幸福は、
制度や、教義のうえには存しない。

ただ、
聖霊のうちに、
愛のうちにしかない。


そして、
聖霊の愛は、
いつもはじめは、常に既存の何かを否定することの様相をとって現れた。


対立によって、
己が照ることは、
相手の反発も招くが、それによって、相手にも反省を促し、
ともに発展して行くための原理なのだ。

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2014.11.21 Fri l 未分類 l COM(0) TB(0) l top ▲

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