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「人探」の先生の口から出た言葉とは
次のようなことでした。

僕は「分かってくれるだろう。認めてくれるだろう」と期待していました。

ですが、
「あんまりハマりすぎないほうがいいよ」
と。

ドキリとしました。

《まさか、認めてくれていないのか…
なぜ?すごくいい教えじゃないか。なんで分からないんだろう…。
それに会は決しておかしい宗教じゃない》


さらに続けて
「あのね、宗教の恐ろしさは周りがやめとけって言っても本人は完全にいいと思い込んでしまっているから危ないんだ」

《他のカルトはどうか知らないけれどウチの宗教は違う…多分。一緒にしないで~。》

「みんな教祖が『あっちむけ』って言ったら揃って同じ方向向くだろ。
キリスト教だと違うよ。確かに教皇は尊敬しているが、教皇が『あっちむけ』って言ってもみんなそれぞれ違う方向向くんだ。」

《う~ん、確かに…それはあるかも。
でもウチの教祖は「仏陀」「救世主」だからなぁ。
キリスト教徒がイエスに対して信仰を持つのと基本変わらないスタンスなんだが…どうなんだろう…》

「それに宗教を信じるきっかけが『病気が治った』とか『家庭問題が解決した』とかそんな小さな個人的なことで『一生ついていきます!』じゃん。
倫理的な「奪うのを止めて与えましょう」みたいなのはどこの宗教でも似たようなもの。
例えば現実に起こっているイラクやパレスチナとかいう世界の問題に対してどういうスタンスで考えているかといえば適当な綺麗事でしょ」

《確かに、ウチの宗教にはそういう病気や家庭の問題を持った人も多いし、月刊誌でも体験はもっぱら『信仰によって病気や家庭問題が治り真実の人生を歩みはじめました』というのが多い
だからといって世界の問題に目を向けていない訳では…そういう話題はないね、確かに。
だけど、総裁先生が悠久の昔より人類を導いてこられた主であり、様々な文明に現れた宗教の開祖もみんな同じ光の如来なんだよ、ということを認識すれば世界は一つになるとも教えられている。
でも確かに世界の問題に目を向ける大きな視点がないのは事実だ。》

「信仰宗教の多くは自分で考えさせない。
その宗教にとって都合の悪いことはみんな見せない。
キリスト教では聖書というのは常に批判的な分析が行われていて、その上で聖書の本当に言いたかったことを見出す姿勢を取っている」

《これはひょっとしたら大いに当てはまるかもしれない。会は正反対の態度を取っている。
会の根本書籍は旧版と新版でかなり都合よく書き換えられているし、
元職員の批判の本は『事実無根の誹謗中傷』として絶対に手に取ったり読んではいけないことになっている…

だけどこれらはみんな真理の光を守るための戦いだったのだ…》

「そして結局は教祖と教団がすべて、あとは金だよ。
マザーテレサにとってキリスト教とかそういうことは関係なく活動をした。
自分も共産党の考え方には割合賛成するんだよ。
だけど、根底にやらしい部分がある。
宗教があって人があるんじゃない。宗教のための人じゃないんだ。
目的は人なんだ。」

《う~ん、確かに仏陀と僧団は尊いもので大切にしなきゃいけないのだけれど。
どこかで教祖に帰結しちゃっている部分があるかも。
金…確かに会の用具や一部の研修、祈願はたくさん取るけど、それは強制でなく任意だし、金を大っぴらに要求するような宗教でない…という印象なのだが
あと、会では金は必ずしも汚いものではない「愛の経済学」みたいなことも言われてるしなぁ
人のための宗教…これは心に留めておこう》

「自分の属している宗教に対していろいろと批判的であれるというのが自分の宗教に対する誇りでもあるし
またそうやって常に批判に晒されつつ残った宗教だからこそ世界宗教として現在ある。
批判といっても批判のための批判じゃなくて、よりよいものを作りあげていくための吟味なんだ。」


といったことで一時間ほど延々と新興宗教と世界宗教というものについて語っていただきました。


最初はハンマーで殴られたような衝撃で
頭が真っ白でしたが、
聞いているうちに
「ああなるほど
そう言われてみればウチの宗教はそういうところに考えが至っていないかもしれないな」
と頷きました。


この点は会に問題提起をする必要があると感じました。


この話を聞いて、
僕の会に対するスタンスは少し一歩離れた視点からとなりました。

会の見方と
キリスト教の見方ではずいぶん視点が違うんだなということを感じました。


会は世界宗教を標傍していました。

私もそれを信じていました。

しかし、この話からすると、分かりませんが、会は新興宗教の要素も存分に抱えたままの宗教でもあるように思えました。

僕はまだ会をよくしたいと思っていました。

もっと意識の脱却をはかって欲しいと思いました。


その頃から、メーリングリストなどを使って自分の考え方を全国の学生部の仲間に発信していくようになります。

それを通じて、実際に会った人からは「信仰心の強い人だねぇ」とよく言われました。
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2008.06.21 Sat l 未分類 l COM(0) TB(0) l top ▲

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