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山登り、
道は違えど、
頂上一つ。

という人も多くいるが、

どうしたわけか、宗教というのは一つにまとまらないのはどうしたわけか。

山頂に向かう道は、無数にあって、好きなものを選ぶ。


それはそれで良いのだが、

山を登っている我々には、
山頂に上り詰めた開祖たちが、一見別々の主張をしているようにも思える。


(同じ景色が見えているのかもしれないが)


アプローチの違いなのかもしれない。


さておき、
別のモデルを考えて見たが、

山の中腹までは、
同じ道や、似たような道が続いて行く。

しかし、
開祖たちは、枝分かれしながら、別の道を歩んでいく。

「同じ山脈、別々の頂上」

と、いうモデルはどうだろうか。


頂上に上り詰めた人や神同士は、お互いに協力しあいながら、
自分の山を登ってくる人の手助けをしている。


登りつつある人間同士が、
「あっちの道は間違ってる」と言いあっている。

どうも、
大は小を兼ねる、
高い山は小さい山を飲み込む、
というわけではなさそうだ。


それぞれに、登るべき山が与えられていて、
おのおの、その道を自分で歩まなければいけないのが宿命づけられているようにも思える。


山脈は一つ。

てっぺんは無数。


どうでしょう。
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2014.11.14 Fri l 未分類 TB(0) l top ▲

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