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さて、僕の通っていた高校は中高一貫のカトリックの学校でした。

いわゆる宗教色などはほとんどない学校でしたが、厳しい規律や変わった慣習などがありました。


昼休みに聖書を読む会というのもありまして、それにも中学生のはじめのころは出ていました。
二千年にも渡って残った聖書で語られていることに、哲学的な部分など違う刺激を見い出したものの
会の仏法真理を学んでいた私にとって、もっぱら興味は、聖書に登場する神が本当は何者かということなどを思ったりしていました。


また、もうひとつ集まりがあり、それが僕の人生を大きく変えたことは間違いないでしょう。

その集まりは「人生探検部」略して「人探」といいましたが、
そこでいろいろなビデオなどを題材に話し合いをしました。
これは高校生になってから参加しました。

題材はイラクの問題、日本の戦争から、「夜回り先生」や「尾崎豊」もありました。

やはり僕には、会同様に何かを追い求める姿勢があったのです。

人探の先生は、もう何十年も前の上智大学の卒業生であり、公民や倫理を担当しておられる方でした。


高校一年の頃であったと思います。

会の方から伝道、PRのための映画を上映していた時期で
同時に初めて会の全国学生部が発足し、夏に一斉に合宿をした年でもありました。

会の素晴らしさを受け入れつつも、すんなりと幸福になれないことに対して、あれこれと悩み初めていた時期に、このことは、改めて大きな感動で
「やはり会は素晴らしい。決しておかしい宗教なんかじゃない!」
と胸を張って思えるようになり、
学校でも「伝道」を初めるようになりました。

学校が宗教の学校だったので「きっと素晴らしさを分かってくれるだろう」と思って、宗教の授業の先生や、その「人探」の先生から本や映画のチケットを渡したこともありました。

「こんないい先生なんだから、ぜひ会の教えに触れて、本当のことを知っていただきたい」という気持ちだったと思います。

学生が中心となって伝道活動を広げていく「学生部」なんかでは、中心は大学生ですが、
僕は、誰に言われるでもなく、ひとりの信仰者として、ひとりの会員として、伝道活動を行っていたのです。

こんなエピソードもあります。
図書館にも会の書籍を入れるよう希望を出したところ
「新興宗教。自分で買ってください。」と返事が来て、
「これはどういうことか。新興宗教だから入れないというのは、差別じゃないのか?《書教分離》だ。それに会の誹謗中傷の本はあるのになぜ会の本はダメなのか?おかしい!」
と抗議したこともありました。


そんな風に当時は結構熱心に活動していたのです。

総裁先生の仏法真理の書籍はそれほどまでに尊く価値のあるものだったのです。

とにかく、この素晴らしい教えを読んで受け入れて欲しかった。

そんな感じで、自分のなけなしのお年玉を使って書籍を買い、人探の先生に「献本」した時の話です。

その時のショッキングな話が僕の考え方を大きく変えることになるのです。
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2008.06.21 Sat l 未分類 l COM(0) TB(0) l top ▲

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