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わたしは、
職業柄、
「宗教」「思想」「心理学」を語るのが大好きで、
いろんな宗教の考え方を紹介するのが楽しくてたまらない。

ただし、
職業柄、
「○○教」という立場からは語りたくないし、語れない。
どこかで、派閥やイデオロギー関係ないところから見た、「識者の見方」にとどまりたかったところはある。


あくまでも、「個人」の立場を堅持したい。

個人としては相当偏ってるけれど、
”この人は、「○○教」所属の会員や信者で、そこの教えを伝えている、手先だ”
みたいなことは言われたくないんだ。


共感する人がいても、
その人の傘下にはつきたくないし、「シンパ」でありたいと考えている。




自分の心と頭で考えて、
これと思ったことは、
いいと素直に感じたものは、伝えたいと思う。


なので、よく人から、「○○(私の名前)教」なんて揶揄されることが多かった。

信者ゼロ、

アンチ多数だけど(笑)

押しつけは絶対したくなかったし、
誰もよまねーだろうけれども、それでも言いたくて言いたいこと言ってたんだよね。

教祖や先生というには、ほど遠いし、それでいいと思ってる。

ただ、それでも、どうしても伝えたいことというのがある。


なにより、
自分の場合、筋金入りの「ビビり」で、
長年格闘技をやっても、ますますその自覚は強くなる一方。

不良中学生が怖い
親戚の噂話が怖い
批判のコメントが怖い
キモい、うざいという言葉はアレルギー


ただし、ビビりを認めるのと、負けるのは違う。
そのビビりに自分自身負けちゃいけないと思ってる。
受け入れて、「強がるふりをする」ので精一杯。

ただし、守るべきものができたときは、
自分でも驚く勇気を出せた。

「強くなろうとすること。」
それが大切なことなんだろう。

もいちょっと、笑われてもいいし、
嫌われてもいいし、
反感を買われてもいいから、
自分の魂の喜びに正直であること。

自分自身が、チキンだってことを正面から逃げずにうけいれて、
ほんのちょっと勇気を出して、
一歩を踏み出し続けること。

そんな自分がほんの少し、カッコよく見えた。



話は戻るけれども、
魂的には、

むしろ、縦の関係というよりも、
横の関係のつもりでいた。


ただし、

最近は、

強烈なイニシアチブや、

ある種の非情さ
というのが、
「大切な人」を守るためにも、

自分自身の方向性をはっきりさせるうえでも不可欠だと知るようになった。








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2014.11.06 Thu l 未分類 TB(0) l top ▲

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