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そして、そういう「根源体験」がもととなって、いろんな宗教や派閥が出来上がる。



問題なのは、
人間というのは、
「よほど強くない限り一人では生きていけないそういう本能を持った生き物」だということ。

「魂の奥の院」に入る道、
「潜在意識にコンタクトする道」をやはり仲間と歩みたい。


もっとも、あらゆる宗教の開祖は、単独行動を成し遂げて、霊的に大きな革命を成し遂げた者といってもよいかもしれません。

そして、
この「繋がっていたい」という
「組織」や「集まり」ができてくることが、問題になってくる。
だったら、組織や集まりがないほうがいいのかというと、そうでもない。



1.「対立化」
表現の相互理解ができないから、平和を作れないこと。
宗教戦争や派閥間の争いなど。

2.「習合化」
表面だけの「いいとこどり」になってしまい、「奥の院」に入れない、すなわち、潜在意識に響かない宗教が生まれる。
現代の神社や日本人の風習など。

3.「分裂化」
「みんなバラバラでいい」というと、「方法」や「信仰を共にわかつ共同体」がないから、どうしても信仰を続けることが難しくなる。宗教・癒しジプシーなど。亜流のニューエイジなど。


4.「形式化」
聖霊や潜在意識の働きかけがない、儀式化や学問化した集団になり、魂の救いは見いだせなくなる。
伝統宗教など。

5.「固定化」
聖霊や潜在意識の働きかけが強く働き掛ける反面、それゆえ、自分のいる団体や教祖や教えを絶対化して排他的になってしまうこと。個人崇拝も。信者が「別のこと」言ったりすると許されなくなる。
奇跡の起こる新興宗教に顕著。



伝統宗教、新宗教に限らず、
「生きた人間」の集まりである限りは、この繰り返しが常にあります。

それは、個人においても言えることだと思うのですが。

まあ、
これらの問題は、避けることはできないと思った方がいいかもしれません。

ほぼ、必ず起こることを覚悟で。

すべての人間には「原罪」がありますので、
純粋に正しさを目指している人間が、宗教戦争を起こそうが、カルトになろうが、別に驚くべきことではない。

あなた自身がそうなるっていうことも常に自覚しておかなくちゃならない。

「責めない」「裁かない」「卑下しない」、
「見てみぬふりをしない」「ごまかさない」
成長に向けての神的な正しい「自己批判」ができる人や組織というのは、やはり強くなるものです。
そういう批判は、幸せを妨げるものを取り除く「うれしいもの」であったりする。

むしろ、その正しい批判能力、反省能力をつけるだけで、人は立派になれるものです。




「地の国」に属するものや「形式」は
イデアの影や、神の国の証拠のようなもので、とらわれるべきものではないのです。


絶対、失望しちゃいけない。
人を「こいつも裏切るのか」って疑いの目で見てもいけない。


「ああ、しまった!」ではなくて、
「人間なんだから、間違いをして当たり前の生き物なんだ!」って割り切って、
「だったら、今度はどうしよう。どうできるかな。」ってことを考えて成長していく。

私たちはみんな、「神の子」で、「神様という先生の生徒」で、
魂の学びのために、「人生学校」(学校という響きがあまり好きでないですが、楽しい学び舎です)に来てるわけですから、
ちゃんと、自分のやることしっかりやりたいねってこと。

いつも百点取る必要はなくて、
五点でも、十点でも、点数はとれて、「成長」できたら、それだけで、実は合格。


悪魔の声というのは、
「お前はいつも百点でなければいけない。ここも違うし、ここもダメ。」

そして、
問題に挑戦しなくなる。
点数をごまかすことを平気でするようになる。

神様のことを、「散らさないところから集め、刈らないところから取る」人だと思うと、そう思うとおりに、裁かれる。





くどいようですが、
形式はあくまでも形式でしかありません。

リスクを恐れて、地上的なありかたで、対策を練るよりも、
それよりも、「神様の計画」のうちに自分が生き、役割を果たすことのほうがはるかに重要でしょう。


どの形式からでも、「奥の院」をわたり、潜在意識にコンタクトし、「神の愛」に出会うことができれば、よいのですが。




私は教祖とかではないのでわかりませんが、「天上界の計画」というものが、どうもあるみたいですし、
おそらくあるとも感じています。

議論をするような問題ではないので、全貌などわからなくていいと思うのですが、
これを読んでて、面白いなとか、ピンときたあなたは、きっとそっちの方面に、神さまの意志があるのでしょう。

「違うな。」とか感じた人は、それはそれで正解だと思います。
気持ちよく、まっすぐ自分の道を歩むのが正解でしょう。


自分の魂のうれしい声、

誰にも邪魔されないところで、しっかり聴いて、

それに従って進んで、

「天国でのパーティ」で一堂に会しましょう!!




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2014.11.06 Thu l 未分類 l COM(0) TB(0) l top ▲

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