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那智の滝のすぐそばに、



西国第一番札所の

青岸渡寺(せいがんとじ)があります。





おととしの秋から、西国三十三ヵ所めぐりをしています(^-^)/





一番初めに行ったのが京都の清水寺でした。



そして、やっと10か所近く廻ったでしょうか。







清水寺にお参りした時、



人生ですごく苦しかった時期なのですが、



仏像をみて、



開けるように気がつかされたことがあります。



それを知って、



私は、とても喜びました。







仏と



私たちは、



ことならない。



ということ。





いつも、

私たちは

仏の手の平に生かされているということ。





そして、

宇宙の摂理である仏は、

私たちを導こうと働きかけているのだということ。







今、目の前にある

広大な街並みや山や、空や宇宙

よりも大きいものが、

本当は私の心の中(潜在意識、神意識)にあって、

すべては一体であるということ。







巡礼の旅は、



きっと、



本当は、



自分探しの旅。





あらゆる仏は、



私たちの心の中にいて



魂の領域で、つながっていて、

一体なのです。



(そして、また悪魔もそうなのですが。)







大自然や霊場と出会いながら、



それを縁として、



それと一体となって、





小さな自我をこえて、



自分の心の中に、



宇宙や仏や神を見つけていく。





「心」と言っても、

脳の生み出す感情の次元ではなくて、

「魂」と言ってもいいし、

「潜在意識」と言ってもいいし、

宇宙につながっている神意識でもいい。





外に求めると、それは煩悩による苦しみに。



内に深く深く求めると、あらゆることが

ひとつの糸で結ばれているということがはっきり分かる。





内なる神に、

呼びかけること。







潜在意識の扉を開いたら、

目に見えて「ある」と錯覚している、

すべてのものは、「空」であるということが分かる。



そうしたら、

あらゆる苦しみは、

苦しむ必要のものでないということを覚る。









すべてが、



愛と慈悲によって



一体であるということを知るために。









観音さまと出会う旅が、



楽しみになってきました。


















日本人は「無宗教」だといいながら、



初詣には、ラッシュのように押し寄せる人々に、

観音巡礼に込み合う人々。





私たちの民族は、



やはり、



「無神論」ではなく、



そういう、



目に見えない、

スピリチュアリティを



すごくすごく大切にする。



つつましく、

大自然に畏敬を感じながら、

和をもって貴しとなす。





宗教戦争もないし、



私たちの精神性は、



きっと世界に誇れるものだと思っています。
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2014.01.13 Mon l 未分類 l COM(0) TB(0) l top ▲

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