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ブッダの時代に、コーカーリヤという修行僧がいた。

彼は、
サーリプッタとモッガラーナのことを、
釈迦のまえで
「邪念がある」と悪口を言った。

釈迦は「まあそういうな。二人とも温良な者だ。」と三回諭したが、
彼は悪口を続けて、
立ち去った。

すぐに、その修行僧には小さな腫れ物ができたが、
それは瓜ほどに膨れ上がり、破裂し、彼は亡くなった。

それだけでなく、
彼は死後、
五千兆年(!)も地獄に赴くことになったという
恐ろしい話が仏典に載っていた。

聖者を罵ったから、
その罰を受けたというよりも、
自らが、宇宙の法則に外れた行為や言葉を発したため、
自分自身が幸福になれなくなったという方がいいかもしれない。

善そのものから離れて人は生きることはできない。

否、
生きることも出来ないが、
滅びることも出来ない苦しみがある。

黙示録にも、
死にたくても、死ねない痛みに人々が苦しめられる記述がある。

あるいは、
崖に張り付けになったまま、鷹に肉を啄まれるが、
すぐに再生されてしまうので、
死ぬことすら出来ずに、苦しみ続けるプロメテウス。

やはり、地獄の恐ろしさはいかなる宗教でも説かれている。


しかし、これが、
邪教のマインドコントロールに使われた場合、
あるいは独裁者が、人々の支配の道具に使う時、
とんでもない反作用をもたらす。


真理を見極める知恵と、
心を持ちたい。
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2014.01.11 Sat l 未分類 l COM(0) TB(0) l top ▲

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