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付き合いも長いイエズス会の神父の方と話していて、
自分は聖霊と悪霊がはっきり実在することが分かるということを告白したら、
「全然おかしなことではない。
むしろ、聖霊と悪霊を見極めるのがイエズス会の仕事なのだ」と言われました。


身近な人の悪霊を追い出すことが出来ずに、本当に辛い。
彼によると、悪霊を追い出すことができるのは、
神のみということ。

あとは、本人の強い意志と信仰。

誘惑があまりにも多すぎて、
すぐにそれは失われてしまう。

諭しても、
食ってかかられると、
もう神の光が入る余地がない。

その人は、気がつくまでさらに苦しむし、
苦しめているのは私のせいと云う。

悪霊は、自分の居場所を奪うということで、
私を目の敵にし、
どうにかして誘惑で落とそうとする。

怒りを投げつけ、
私の粗探しをし、
かと思いきや、
泣き落とし、
苦しみを訴え、
あるいは、
取引をしようとする。

冷たいだろうが、
私は心を鬼にして、
突き放す以外出来ないのだ。

私は、その人を救うことはできない。
悔しい。

明るく、優しく生きる覚悟を本人が強く持たない限り、
その人の目には曇りがあり、迷い続ける。
悪霊に負けない強い意志が必要なのだ。

それを助けるため、私たちはただ祈るしかないのだ。


また、
心の反省のないまま、
瞑想をしたり、
座禅を組んだり、
題目やお経を闇雲に唱えることは、
全くの逆効果で、
その人の心や人生はさらに悪霊に支配されるようになる。

それにしても、
心が失われ、
ここまで悪霊が支配している現代のこの国の状況は危機です。

教会も少なからず律法化し、
仏教も、心の教えを失い、無意味な呪術に堕している。

自殺者を実質十万と出すこの国には、
やはりカルマを刈り取る時が来る。

自殺は個人だけの罪でなく、社会全体のカルマとして、
私たちを苦しめる。

しかし、それは罰ではなく、
神仏に向かい、心や魂の時代を作るためのメッセージなのだ。


仏典を掘り起こすように読めば、
あるいは空海の著作を読めば、
仏の脈動が心に蘇るはず。


聖書においては、
聖霊によらねばそれは読めないのだが、
やはり、真理なのだ。
あれだけ嫌悪していた聖書が溢れるようにすんなり頭に入ってきた時は自分でも驚いた。


迷信のような世界で私は一人で生きている。
しかし、数学の問題を解くように、イデア、実相の世界は真理の糸できっちりつながっており、
魂はそれをはっきりと認識することができる。

そして、それは人々には分からなくて当たり前なのだが、すべての人に悟ってほしい。

同時に人の善意に漬け込み騙す人々の誤りも
正せはしないし、論争も出来ないが、
離れさせる手伝いができたら。
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2014.01.08 Wed l 未分類 l COM(0) TB(0) l top ▲

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