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思うに、特にオウム以降、「宗教はすべて邪だ。関わらない方がいい」という空気がこの国を覆ってしまったのではないかと思います。
いえ、日本社会自体がある種の混沌、行き詰まり、生きづらさを噴出していて、そこから逃れるなにかがやはり必然的に必要とされていたのでしょう。

それから逃れることのできる、確かな道を誰もが求めていた。
現実から逃れる吐け口を誰もが探していた。

社会へのルサンチマン(怨恨)として生まれた宗教は、必ずどこかで破綻します。
逆に、愛の完成や、知恵の身につけ方を正しく身につけたのであれば、人生という苦しみの海をしっかりとわたり切る力を持つことができます。
これは、ブッダやキリストも証明しています。


邪教と言われる集団にも、確かにそのような力や、熱狂はあります。

しかし、そのような素晴らしい力をもつものすべてが邪教というわけでもない。

(「すべての邪教は宗教である。しかし、すべての宗教は邪教であるとは限らない。」論理です。
多くの人が、そこを見失っていて、邪教でないあまりにも多くの宗教を見落としがちなのです。)



K会にいた頃、私は「K会だけはそうではない!」という信念で伝道をしていました。この国に革命を起こそうという情熱に燃えていたのです。
ところが、K会も邪教になってしまったことに気がついた時は、何もかもが信じられなくなりました。

ある社会学者が、オウム事件があっても、「終わりなき日常は続く」「そこから逃れることはできない」という論を立てていました。


第一次世界大戦が終わった後のヨーロッパでも、太平洋戦争が終わった後の日本でも、
信じるべきものを見失い、デカダンスに陥るという現象がいたるところで現れましたが、
古今東西、絶対的と信じられてきた権威や権力が崩壊する時には、頽廃や個人主義が育つものなのでしょう。

しかし、そこから立ちあがり、新しい希望が生まれてきたのも事実です。
人間にはそれだけの力がやはりあるのです。



学生時代の長い間、
「真実などない」
「この世界の本質は混沌である」
「神がいたとしても、我々は誰一人悟ることなく罪の中で裁かれていく」
「誰もがエゴイストである」
というある種の絶望の中で逃れられない状態にありました。

自分に関わる様々な人のエゴ、わがままを、引き受けて苦しみ、
また自分のエゴにも苦しむという、まさに地獄の中にいましたし、
そこから、自力で逃れることもできないし、どうしていいか全く分からないのです。

「神を知っている」という者は、「神を知っていない」者に対して傲慢に振舞い、
両者がともに過ちから抜け出すことができずに苦しんでいるのです。

「人は、偽善者か悪人のどちらかを選んで生きることしかできない。」


太宰治の『人間失格』と言えばいいでしょうか。

いくら、善を志向していても、私たちは善を知ることもできないし、善を行う勇気もないのです。
神から隔絶されて、ただ、祈るか、
分からないものの裁きや地獄に送られることをひたすら恐れるという状態なのです。

ほとんどの人間が、罪の中に置かれているのです。

ある種の人生に対するヤケクソの状態で、何度も死を考えていたりもしました。

なぜ、自分はK会と出会ったのか、それさえなければマシな人生があったのではないかと、苦しんでいたのですが、
守護霊様や指導霊様たちが、やはり「必要な学び」だと、敢えて私に苦しい思いをさせたのでしょう。

そこから、いかに抜け出せたかというと、
何かひとつだけの教えがあったというよりも、
臨床心理士のヨーガの先生、キリスト教関係で、シスターや晴佐久神父からの学び、静養団体での学び、水谷修氏の教え、
スマナサーラ長老や、ブッダや、空海、高橋信次氏の著作、高額納税者の斎藤一人さんや、空手のチャンピオンの塚本選手の生き方、を学び、
何よりも、仕事に打ち込むこと自体が菩薩行となり、わたしを救ってくれました。

他者や権威への依存から、
自分の心のうちに真実があるという決断をして、主体的に生きる覚悟がないと、きっと何も掴めない。


一応クリスチャンなのですが、周りの声に捉われず、「宗教」という枠から飛び出して、
神の真理は、普遍であるという自由な立場で、捉われずに本当に自分のためになる教えを選んだことは大きかったように思います。
(いろいろ言う人は、ほとんどが幸せではない人。)
そうして、いろいろな真理が見えてきました。


因果や、神の愛。




真理は人それぞれ、会うあわないがあるので、自分にあったものを取捨選択して学ぶことが善いのでしょう。
そして、自分の魂の声に従うこと。
毎日祈ること。


そうすれば、
不眠症が治り、6年間手放すことのできなかった薬が全くいらなくなり、
若いのに多くあった白髪もほとんど消え去りました。
病人だった私が、数ヶ月後にフルコンタクトの空手の大会で入賞するなどあり得ないことです。


数ヶ月くらいは、自分のカルマをもう少し刈り取る時が来るので、
忍辱(にんにく)の修行です。
愛と光で、自分の糧にして魂を成長させて生きたいと思いますね。そうしない限り、次なる苦しみから逃れることはできません。
罪による苦しみは、愛と光で料理すれば、知恵という宝物に変わるので、恐れることは何もないのです。




私は、K会の説いていた、2020年ごろに日本が世界のメッカとなると説いた「ゴールデン・エイジ」というのは来るだろうと考えています。
ただし、その頃にはK会は没落し、別の何かにバトンタッチがなされていると予想していますし、
何か大きな中央集権的な思想体系というよりも、草の根的な自由霊性が今よりも根付いているだろうと思います。




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2013.12.22 Sun l 未分類 l COM(0) TB(0) l top ▲

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