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弘法大師空海の、『即身成仏義』を読みました。

真言密教で一番偉い仏さまを大日如来といいますが、
この大日というのは、私たちと同じ六大で構成されているので、仏と私たちは何ら変わりがないということで、
違いは「覚っているか、迷っているか」の違いだけなのだそうです。

そして、この大日様は、
虚空に遍満し、あらゆるものの原初でありながら、
架空の哲学的論理などではなく、実際に存在する生命体なのだそうです。

大切なのは、私たちの本質と、大日様の本質が同じであることを知ることと言います。


空海様のこの説明を読んで、
私が4年間かけて学んできた西洋哲学の
「存在者」
「第一原因」
「第一存在」
「一者」
「神」
と、この大日様は完全に概念的には一致すると。

そして、また、この仏さまは生きていらっしゃる。
大日と、衆生と、修行者は、別々のものでありながら、ひとつ。
たとえるなら、穴のあいた提灯から見える光がそれぞれ違っても、光そのものは同じように。

キリスト教の神は、「生きる神」であり、人格を持つと言います。

「父なる神」や三位一体との共通点を恐ろしいほどに感じて、
驚きと、またあたたかい気持ちになったものです。


聖書において、神は人間を自分の似姿に似せて創ったと言います。

私たちと神や仏は、同じ。


アラーとか、ヤハウェとか、天御中主の命さまとか、天の父とか、大日さまという、愛と光の大海である「根源の神」から、私たちは「分霊」をいただいているのです。
私たちは、小さな神であり、仏でもあるわけです。

そして、神さまのお役に立つようにと、
私たちはこの世界に派遣されてきている。

神から離れて、道理を忘れるとその反作用として苦しみや迷いが。
また、神は、そんな迷える子羊を救いたいと思っている。
自由を与えたので決して強制はできないが、自分のもとに返ってくることを心を痛めて待っている。

信仰とは、神を信頼して、幼子が親のもとに飛び込むようなもの。


空海様は、仏の教えとは、文字だけでなくて、生き方そのものであると最後に述べます。
教えには生き方そのものがあらわれると。

まだまだ未熟で、一合目にも達していないと思うのですが、修行を続けてもっとよい景色がみたいと思います。



歴史的、哲学的に、「宗教」という枠がある限り、安易にすべてを一致させることは許されないでしょうが、
個人的には、すべては、ひとつにつながっているのだなあと感じました。
ありがたいような、嬉しい気持ちで心が満たされました。
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2013.12.22 Sun l 未分類 l COM(0) TB(0) l top ▲

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