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私は、精神と肉体は二分できないものと考えています。

魂―霊―精神―脳―言語―身体
の関係については、まだ整理が出来ていないのですが、

言葉というのも、それ自体独立したものであるわけでなく、
肉体を伴って受け取り、交されるものですので、精神と見られがちなものもやはり肉体なのです。


私たちの世界は、五蘊と識によって成り立っているといいます。

すなわち、五感で捉えられる世界に、私たちは様々な意味づけをして、それに言葉を与え、
その意味や言葉によって、喜んだり苦しんだりします。

お金も、学歴も、地位も、これらは、五感と意味づけによって構成された幻想です。

かといって、我々は、金や会社なしで生きていけるかと言えば、覚った人以外はそうはいきません。

「とらわれない」生き方をすれば、
それらが実在だと思って執着する生き方よりも、成功に近づくと感じるのですが・・・。



思考は、脳の中によってなされ、
言葉によって紡がれ、そして、他の肉体を持った存在と「意味」として交されるものです。

ボクシングや空手、剣道、その他のスポーツのやりあいも、また同様にひとつの「言語」だと感じることがよくあります。

探究も、自分自身に対する独白やポエムも、「言語」という形態を取る限りでは、
同じ言語を使う不特定多数の「誰か」との共有を前提になされなければならない。


人間とは、関係です。
言葉も含めた肉体を使う、コミュニケーションする限りにおいて、人間にとっての「自己自身」はあり得ません。
どこまで行っても、人間は「関係」から逃れることはできません。
人間や自己があって関係が生じるのではなく、関係が自分に先だってあるのです。

自己を知るためには、自己の周りにある関係を知ること。


特に私自身は最近、よい言葉や良い精神状態であるためには、
身体が健康で、運動をして心地よい状態であることは欠かせないことだとひしひしと感じています。

いくら言葉を使っても分かり会えないことが、
肉体を使った勝負で分かり合えることがある。

おそらく、多くの引きこもりの方々は、肉体を動かさず、その代わり、頭だけが活発に動いて、
考えなくてもいい事を考え出し、ネットなどがほとんど他者と関わる「現実」になって、
文字だけ読んで「世の中なんて所詮」と思っているのではないでしょうか。


私の感覚では、外にも出ず、身体も動かしていない、正しい生活もしていない、しっかりとした食べ物を食べていない人から、「本当の言葉」を発することは逆立ちをしても無理だろうと。

近頃、私はその人がどういう言葉を使っているかで、その人の心はおろか、生活習慣や食べ物なんかもだいたい予想がつくようになってきました。


真理をたとえ、言葉で分かったうちは悟りではないし、生き方も変わりません。

言葉や理論のみの真理は実に空虚で、
やはり、本当の真理は、肉体を伴った個々の具体的自己の間に宿る命であるのだと思います。

ある有名なシスターから「真実とは、自分の中にあるのではなく、人と人とのすり合わせの中にあるもの」と言われて、
ハッとしたことがありました。



(まとまらない文章ですが、精神も実は肉体の一部として考えてもいいのではないか、ということです。

また、自分の提起については、日を改めさせて整理させてください。)




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2013.12.22 Sun l 未分類 l COM(0) TB(0) l top ▲

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