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完璧な人間はいません。

相手が「こうあるべきだ」「こうあって欲しい」と完全な像を要求し、
それに対して裏切られたからと言って、腹を立てたり哀しむケースが多いのではないでしょうか。

「どんなに立派に見える人間でも、不完全なんだな。
そして、それでよいのだな。」

そう思って、受け入れると、一気に心が楽になるのが分かるはずでしょう。

他人も完璧ではないし、
また、自分も完璧でない。

それでいい。



他者に対する要求が多いのは、まだ子どもであるシルシ。
依存して、「人や社会が○○をしてくれて当たり前だ」と思っているのです。


話は変わりますが、
子どもに、私のものを、何もせずに「ねえ、これちょうだい!」と懇願してきて、手に入らないと分かると拗ねたり怒ったりするケースがありますが、
「仕方ないな」とポンと与えてしまうケースは、布施でなく、知恵が足りないのです。
やはり、そこはものを手にするためにはそれなりの代価があるということを諭さなければならないでしょう。

私の場合、ほとんど怒るということがないので、子どもにはよく甘えを許してしまうのですが、
いい年こいた大人が、たまに嫌がらせをしてくる場合があるのですが、全く小学生と変わりありません。


悪霊や生霊を飛ばされてくるケースもあるので、引きずられないで、「お前などに構っていられない!」と厳しく叱り、追い出す姿勢も実は大切なのです。



裏切られたようにみえても、相手が自分の思い通りにならなかったとしても、
自分のできることは自分でする。
それが自立なのでしょう。



幼少時に甘えた人ほど、本当はよく自立します。
そして、愛される喜びを知っているので、豊かな愛を周りにも配れるように愛されるようになります。
ただし、「甘え」と「甘やかし」は厳しく区別をつけないと、本人のためにならないので、なかなか難しいところですね。



お釈迦様は、
「自分のなしたこと、なさなかったことだけを見なさい。」と言います。

人にされたことなんてどうでもいいのです。


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2013.12.19 Thu l 未分類 l COM(2) TB(0) l top ▲

コメント

霊性の時代
>「自分のなしたこと、なさなかったことだけを見なさい。」
これは、良い言葉ですね。
今後、使わせて頂きます。

K会よ、霊性を思い出せ。
自我我欲に支配されている環境は、正に地獄界です。
しかし、何故、自分がそこに居るのか、何故、そこを選択してしまったのか、という後悔をする人は、既に救いが始まっていると思います。

そのような環境は、自分が選択したものですが、守護霊は、そういった厳しく非情な環境に放り込むのも事実です。
それは、悟りの向上の為にそういった環境を与えます。
その地獄とも思えるような環境下で、個人がどういう心と行いをするのかを試しているのです。

逆にいえば、それだけ魂が向上している結果において、高度な試験をさせられています。

お金を出しても買えない非情な環境は、実はすごく有り難い環境なのです。
役者がそろっているのです。

3次元という閉じられた創られた物質界において、実態として五感を通じて感じ存在を認識している中において、それを真なる実態と見てしまうのか、幻と見れるのかによって、悟りの状態は明らかに違います。

大半の方は、幻を全てと想い、苦の中で迷路にはまり込んで行きます。

しかし、全ては消え、残るのは心のみと心から気づいたならば、守護霊の御心を知り、周囲の方にも感謝が沸きあがってくると思います。

全ては、まずは、自己の悟りの向上の為に用意された環境であることに間違いはないのです。

霊性というのは非情に重要で、これを信じようとするのかしないのかによって、人生の意義は180度変わります。
そして、苦の中で、怒り、憎しみ、恨み、己自信も我欲の亡者になっていく姿を多くみますが、この非常な苦しみから逃れるには、生は偶然ではなく、人生の目的、計画等を感じ取り必然性を見出さなければなりません。

その為には、霊性を知るということが、第1歩になると思います。
2013.12.21 Sat l XYZ. URL l 編集
Re: 霊性の時代
「スッタニパータ」という原始仏典の言葉には、お釈迦様の分かりやすい人生の知恵がちりばめられていますので、一読をお勧めいたします。

思うに、特にオウム以降、「宗教はすべて邪だ。関わらない方がいい」という空気がこの国を覆ってしまったのではないかと思います。
K会にいた頃、私は「K会だけはそうではない!」という信念で伝道をしていました。この国に革命を起こそうという情熱に燃えていたのです。
ところが、K会も邪教になってしまったことに気がついた時は、何もかもが信じられなくなりましたね。
「真実などない」「この世界の本質は混沌である」「神がいたとしても、我々は誰一人悟ることなく罪の中で裁かれていく」「誰もがエゴイストである」というある種の絶望の中で逃れられない状態にありました。
ある種の人生に対するヤケクソの状態で、何度も死を考えていたりもしました。

なぜ、自分はK会と出会ったのか、それさえなければマシな人生があったのではないかと、苦しんでいたのですが、
守護霊様や指導霊様たちが、やはり「必要な学び」だと、敢えて私に苦しい思いをさせたのでしょう。

その際に傷つけた人もいるのですが、数ヶ月くらいは、自分のカルマをもう少し刈り取る時が来るので、
愛と光で、自分の糧にして魂を成長させて生きたいと思いますね。





> >「自分のなしたこと、なさなかったことだけを見なさい。」
> これは、良い言葉ですね。
> 今後、使わせて頂きます。
>
> K会よ、霊性を思い出せ。
> 自我我欲に支配されている環境は、正に地獄界です。
> しかし、何故、自分がそこに居るのか、何故、そこを選択してしまったのか、という後悔をする人は、既に救いが始まっていると思います。
>
> そのような環境は、自分が選択したものですが、守護霊は、そういった厳しく非情な環境に放り込むのも事実です。
> それは、悟りの向上の為にそういった環境を与えます。
> その地獄とも思えるような環境下で、個人がどういう心と行いをするのかを試しているのです。
>
> 逆にいえば、それだけ魂が向上している結果において、高度な試験をさせられています。
>
> お金を出しても買えない非情な環境は、実はすごく有り難い環境なのです。
> 役者がそろっているのです。
>
> 3次元という閉じられた創られた物質界において、実態として五感を通じて感じ存在を認識している中において、それを真なる実態と見てしまうのか、幻と見れるのかによって、悟りの状態は明らかに違います。
>
> 大半の方は、幻を全てと想い、苦の中で迷路にはまり込んで行きます。
>
> しかし、全ては消え、残るのは心のみと心から気づいたならば、守護霊の御心を知り、周囲の方にも感謝が沸きあがってくると思います。
>
> 全ては、まずは、自己の悟りの向上の為に用意された環境であることに間違いはないのです。
>
> 霊性というのは非情に重要で、これを信じようとするのかしないのかによって、人生の意義は180度変わります。
> そして、苦の中で、怒り、憎しみ、恨み、己自信も我欲の亡者になっていく姿を多くみますが、この非常な苦しみから逃れるには、生は偶然ではなく、人生の目的、計画等を感じ取り必然性を見出さなければなりません。
>
> その為には、霊性を知るということが、第1歩になると思います。
2013.12.22 Sun l confessius. URL l 編集

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