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「救いとは何か」の記事でも書きましたが、
http://relisophia.blog43.fc2.com/blog-entry-114.html

苦しみには苦しみの意味があり、
「生き方、考え方を改めなさい」ということです。

私が聞いて衝撃的だった話が、
天上界の神さまは、地獄で苦しんでいる人たちをなんと、ほほ笑みながら見守っているという話です。

地獄の住人達は、天上界の住人に「助けろ、助けろ!神だったら何とかしろ!」と、恨みや憤りの炎をぶつけるのですが、天上界の住人には一切火は降りかかりません。
それはみんな自分を燃やしてしまい、苦しむのです。

天上界の人は、どんなに頑張っても、他人であるその人の炎を消すことはできないのです。
天上界の住人は、彼らを救う方法が、自分自身が怒りを持たないということを知悉しているようです。

自分を救えるのは、他人ではなく自分自身しかいないということを悟る。
彼らが、苦しみの原因を他人のせいではなく、自分自身の過ちと気がつくまで、未来永劫と同じ苦しみを背負うことになるのです。
「誰誰に傷つけられた。許せない。」と、原因を他人に求めがちですが、本当は一番自分を傷つけているのは自分自身なのです。


私は、人が苦しんでいる姿をみるのが嫌で嫌で仕方なくて、つい助けてあげようと思ったりします。
言っても分からないし、分からないことを分かったふりするよりも、苦しみを通じて学ぶことの方がはるかに尊いのだなということを知った時、
「ほおっておくのが愛だな」と自分自身も楽になりました。


月を指さしても、見るのは本人。
牛を水飲み場に連れて行っても、飲むか飲まないかは牛次第。
暴力的に強制させることはできません。



四国八十八か所を最初に回った方は、空海が乞食の格好をして家を訪ねてきたときに追い出して乱暴な扱いをしてしまったそうなのです。
そして、罰が当たって、家族全員を亡くしてしまったそうです。
しかし、彼は、お大師様に謝りたくて、彼を追って四国を何十週と歩き、そして、逆回りに回ったところで、やっとお大師様と会え、そこで亡くなったそうなのです。
お大師様は、その男の手に梵字を書いてあげたら、間もなくその近くの家で赤ん坊がうまれました。
その赤ん坊の手にも同じ字があったということ。

不幸に見えることや、罰もやはり、仏や悟りのための尊い道なのです。

私の友人で、
「自殺しようとしていたときにあなたの言葉に救われました」と言う方がいたのですが、
苦しんでいなければ、本当に必要な言葉が身にしみることはないでしょう。

苦しみもまた、長い目で見れば神の導きで、
仏典にはもれなく全員が最終的に仏陀になれると書いてあります。


そのことを聞いて、ものすごくほっとしました。嬉しかったです。


神や仏がいるから人は苦しむ。
苦しみがあるからこそ、人は悟って幸せになるのです。



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2013.12.18 Wed l 未分類 l COM(0) TB(0) l top ▲

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