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中島義道さんという哲学者がいます。

「人生に生きる価値も意味もない」
「人は皆エゴイスト」
「間もなく死んでしまうし、どうあがいたって人生は苦しみだ。
死んでしまう限り幸福にはなれないのだからグレて生きよ。」

彼の著作はどれも人生の真実を衝いているだけに、
「そうじゃないんだよ」としたり顔で反論すれば、
「ああ、自分は義道さんの指摘するところのエゴイストそのものになってしまう」ということも分かっていたので、
やはり、彼のいる位置から逃れられなかったのですが、
実は、彼の観ている人生の真実はお釈迦様と同じなのです。

「一切皆苦」
生きていることはすべて苦しみである。


私も、そのようにこの世を観念して、水谷修さんに向かって
「人生なんてどう考えたって苦しみだし、無意味だ」と聞いたら、
先生は
「よし、これからお前を○○大のギドウ(義道)と呼ぼう」と揶揄され、
「言葉を棄てること。学問に答えはない。」とだけ言われたことがあります。

あの人は、絶対に「そうじゃないんだよ。これこれはこうでね・・・」と論理では絶対に返さない。

仮に、論理的に答えが見つかったとしても、きっとそこに幸せなんてない。


水谷修先生は、彼と昔友人だったと言いますが、
「明日地球が滅びるとしてもそれでも、リンゴの木を植える生き方を選ぶ」と言います。


明日地球が滅びるのだったら、
明日死んでしまうことを考えたら、
何がしたい?


犯罪の限りを尽くすか、

愛する人に感謝を伝えて一日を過ごすか。


すべて、空に帰してしまうのだったら、何をしても同じなのでしょうが、
「違う」と感じるのは私だけでしょうか。




そこでの言葉、
「われーそれ」の言葉はすべて無意味になって、
「われーなんじ」の言葉だけが、本当に価値あるものとして、命の根源に響いてくるのだと思います。



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2013.12.15 Sun l 未分類 l COM(0) TB(0) l top ▲

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