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少し前になりますが、「夜回り先生」で知られる水谷修さんの講演の後、一緒に飲みました。

彼は、「心の病」に対する精神医療を批判し、スピリチュアルケアの必要性を強く訴えます。

いろいろと、質問や考えを述べる私に対して、
「お前は、語りすぎだ。言葉や学問に救いはない。」といわれて
「はい」と。

雄弁なうちは、私もまだ浅いのだなと。
まだまだ修行です。

私が、将来あれをやりたい、これをやりたいというと、
「まず、人を幸せにするためには自分が幸せになること」
「人には分相応がある。それ以上の不分相応のことをしたら不幸しかない」とおっしゃられました。


本当にその通りだと思います。

人の価値はやった仕事の大きさよりも、自分に与えられた使命をどれだけ大きな心を込めてやるかなのです。
愛がなければ、すべては無に等しい。



そもそも、私は青少年問題の助けにスピリチュアルケアが必要だとずっと考えてきましたが、
K会の教えが、子どもの苦しみに対して、ほとんど無力で、逆に苦しむ子どもたちを追い詰めるものであることは、ひしひしと感じ取っていましたが、
そのなかで出会った水谷修氏の「いいんだよ」は、衝撃的でした。
(詳しくは拙著に譲る。)

OR氏が「若者のリストカットは我慢することを知らずに、甘やかされたからだ」といっているのを見て、
怒りや悲しみを通り越して、反論する気もなく、呆れかえりました。


K会の「グリーフ・ケア」の精神のなさは、ほとんど暴走と言ってもいいかもしれません。
3.11に際しても、あの対応は・・・。


私以外に、K会の思想や教祖の欠点を分析されているかたがいるので、詳しくはその方たちに任せますが、
ORさん及び、K会は、単に「魂の力量がなかっただけ」ではないかと思っています。

OR氏が、分をわきまえて、単なるいち思想家だったら、私はファンとしてついていっていたかもしれない。
しかし、自らを、神やエル・カンターレと言い始めたとき、また、「映画の主人公」とのギャップを見たとき、
「明らかに違う!」と感じました。

教えにしても、かなり勉強はしているが、「ブッダ」や「救世主」のレベルの根本的な人間洞察が欠けていると当時の中学生ながらにも分かりました。


お金儲けにしても、組織作りにしても、一流の事業家から見たら、本当に力量不足で、「下手」なのです。
なので、トラブルが絶えない。

なによりも、魂にある徳のなさが根本にあり、
本人はそれを、読書量とか、講演回数とか、能力とかで隠そうとしているのではないかと思います。
それがかえって、信者だけでなく、本人の重荷になっている。

努力は、本当に素晴らしいし、見習ってもいいと思っていますが、
「すべてを棄てたところ」「直観」に真実が見えてくると自分の感覚で感じています。


小学生はそのままで素晴らしいのですが、もし、その小学生が先生をやるとなるとなると「不分相応」で、
あらゆるところに迷惑が及ぶでしょう。
小学生の存在が悪なのではないし、先生の存在が悪なのではありません。
「小学生が先生になる」から悪なのです。
「合わないことをやる」とき、その縁が悪になるのです。


マザー・テレサが、エレキギターを持って1億ドルを稼ぐロック歌手になってはいけないのです。
マイケル・ジャクソンが、プロレスラーになってはいけないのです。
冗談ですが、人には神から与えられたそれぞれの「分」があります。


「不分相応」で、「自分は神だ」「世界宗教だ」と言い始めるから、
「悪」がそこに生じるのです。

下手くそなお金儲けをするから、悪になるし、
下手くそな組織づくりをするから、悪が出てくる。


オウムにしろ、
あれが、単なる小さなヨガ教室で終わっていたら、麻原の被害妄想も拡大することはなく、
「どこでもいる詐欺師」で終わっていたはずです。



ただ、本当にそれに値するようなとてつもない器を持った本物の人はいます。
その人は自分で何かをわざとらしくアピールするよりも、周りに勝手に持ちあげられていくものです。
本物は必ずいますので、その人に出会ったときに、自分は準備が出来ているか。


キリストも、「いつ来るか分からないその時に備えて目覚めていなさい」と言います。
OR程度に騙されたからと言って、失望することは全くないのです。

淡々と、自分のなすべき仕事を「その時」にそなえてしておくことなのです。


私たちにできることは、K会の「いたらなさ」をあげつらい、責めることではないし、
それをすれば、私たちを本当に必要としている人に寄り添うことにはなりません。


K会を批判する人に「お前は、ORと同じことができるのか。お前はそんなに偉いのか。」と言う人は少なくありませんが、
少なくとも、ORの「できなかったこと」「できないこと」を皆さんはいくらでもできるはずです。
それをやればいいんです。
それを越えて幸せになってしまっていることも含めて、
「今世の修行の課題」です。

人に親切にしよう、楽しく生きよう、笑顔で生きよう、感謝をしようということ。

そうやって積極的にやっていくと、いつのまにかK会をあっさり越えて、もっともっと素晴らしい景色が見えてきますし、あれだけ大きくて煩わしかったかったK会の存在がどうでもよくなっているはずです。


魂の学びや成長や、輪廻はありますし、
そして、「光の使命」もあるんです。

絶望してはいけません。

叩けば開かれるし、
求めれば与えられます。


できれば、いろんな経験も罪もすべてが信じられなくなった苦しさも含めて、
すべては恵みなのです。

私が神さまだったら、絶対にあなたの罪くらい笑って許しますから、
本物の神さまがあなたを許さないわけはないんです。

そのなかで、成長したことや恵みをうけたことを告白し、
堂々と、神さまの前で胸を張って天に帰れるようにみなさんでがんばりましょう!










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2013.11.19 Tue l 未分類 l COM(0) TB(0) l top ▲

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