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信者の母は、私にいった。
「私はいつでもあなたの幸せを願っているのよ。」と。

普通の人なら、涙を流して感動するのかもしれぬが、

そのきれいな言葉に、言いしれぬ気持ち悪さを覚えた。
人は、きれいな嘘というものに、ぞっとするような戦慄を覚えるものだ。


じゃあ、なんで私は不幸だったのだ?

どこの世界に、子どもの幸せを願いながら、
口答えをすれば、
「誰に飯食わせてもらってるとおもっとるんじゃ」と子どもを叩く親がいるのか。

少し気分を損ねただけで、家族全員に怒鳴り散らす。

そして、愛情深く振舞う。




子どもは、安心して「ありのままの自分」でいることができない。
生きている意味などないと感じるようになる。

私の家庭は、仮面の家庭だった。


どこまでも、宗教は親にとって、支配の道具でしかなかった。


私は、誕生日の日が嫌だった。

恩着せがましさに対して、喜んだふりをしなければいけない。
少しでも、自分に正直に厭な気持を表そうものなら、周りからも「この子は悪い子だ」と疎まれる。

私は、
自分の気持ちに正直になることが許されなかった。


子どもにとって、大人、とくに親は第二の神とも言うべき存在である。
だから、どんなに理不尽でも、自分の気持ちとは違っても、親の言うことは絶対である。


だけど、その「神」はとてつもなく弱い存在で、恐れたり怯えていた。

だから、無力な子どもを支配することで自分を保とうとしていたのだ。


もう、君は支配される必要はない。
恐れる必要はない。
君は君自身を肯定していいんだ。

あなたの内にある本当の神が、あなたを無限に愛している。

初めは、恐れや不安があるかもしれないが、勇気を出して踏み出そう。


あなたは、自分の本当の気持ちを「だしてはいけない」と思って抑圧していた。
あなたは裁かれることを恐れていた。

でも、安心しなさい。
キリストも言う。
「あなたを裁くものはだれもいない。」と。










きっと、だれしもが依存の対象をもとめているんだろう。

そして、自分自身の存在を、心を肯定したがっている。

その欲望に、悪魔はジャックして入ってくる。

「素直になれ」と説く。

本当に大切にすべきあなた自身の心の操縦席に、何か別のものが入り込むし、あなた自身がそれを許してしまったのだ。



心の痛みは、忘れちゃいけない。
それは、あなたの魂にとって、本当に大切なものを教えてくれる愛のメッセージだから。

痛みは、本当は心の財産と学びにほかならない。

でも、復讐に使ってはいけない。
それは、他人だけでなく、あなた自身を地獄に突き落とす。
他人を傷つけた分だけ、君はその報いを刈り取るまで苦しまなければならない。

自分の受けた心の痛みは、絶対に人に対してしないと誓うことだ。

そして、自分にして欲しかったことを、他人にもたっぷりしてあげること。
痛みの向こうで泣いて苦しんでいる魂に、慈悲を注ぐこと。

そうすることで、あなたは自分自身の幸福を取り戻す。
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2013.09.28 Sat l 未分類 l COM(2) TB(0) l top ▲

コメント

No title
>あなたの内にある本当の神が、あなたを無限に愛している。

本当に良い響きですね。
2013.10.01 Tue l XYZ. URL l 編集
Re: No title
コメントもらえて、とてもうれしいです。

ありがとうございます。

「我」というものを棄てることで、きっとすべての人が、神さまからのことばを発することができると思うのです。

合掌。


> >あなたの内にある本当の神が、あなたを無限に愛している。
>
> 本当に良い響きですね。
2013.10.02 Wed l confessius. URL l 編集

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