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キリストの教えは
あの世はどうで、
なぜ神がいて、
宇宙の構造は実はどうなっている、

という説明ではない。


キリストの教えは、教えというよりも、もはや、宣言であり、覆せない救いの体験であり、
人間のうちにキリストという大きな霊が有無を言わさず入り込んで動く現実であった。


「なるほど」
「そうだったのか」
「うわあ、すごい」

ではない。


「主よ、憐れんでください」
「主よ、あなたはなんでもお出来になります、
信じます」

という魂からの呼びかけに、
キリストは直接神のエネルギーを雷のように送り込んだのだ。


キリストの教えは、普遍的な、人間の根底に刻み付けられた宇宙の法則である
と同時に、
その法則に従うことによって、
大宇宙の霊のエネルギーがいかに全能に彼に味方するかを指し示したのである。



キリストは、外部に真理を示したのではない。

外部に真理を見いだそうとした、律法学者や民衆はみな、つまづいた。

キリストは、内的な霊の次元に、無限の働きがあることを示した。

それを悟った人は、
たとえ、貧しく学のない女性であれど、聖霊に満たされ、
大宇宙の神秘に一瞬で参入させられたのだ。


内的であるとは、
自己のうちにひきこもることではないし、
観念のうちに住むことでもない。

内的であることは、
一切の外的な物質的な事象が、
内的な霊的なエネルギーに支えられて生成変化しているということをさとり、
その霊的なエネルギーと一致することである。

物質的な人、
悟らない人は、
霊が肉体に結びついているため、
霊「について」聞いても、霊の世界を観念として捉える。

肉体の延長に霊の世界を感ずるなかれ。


霊そのものの語りと一致せよ。

霊において、一切は一つである。




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2015.10.02 Fri l 未分類 l COM(2) TB(0) l top ▲
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