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心を軽くする言葉、
命に潤いを与える言葉の全てが、
私は福音だと思っています。

祭壇からの聖書のせの字すらなくても、
心から心に伝わって命が震える言葉はみんな神様からのメッセージで、
愛だって人類普遍のもの。

言葉を出さなくても、
優しさとか、ジーンとか、腹のそこから生きててよかったというふれあいの全ては福音。


教会は建物ではなくて、
神様的なうれしさを共有できる人が二人以上集まれば、教会。

頑張って、教会作ろう!建物いらない。場所いらない。
お金は欲しいけれど、神ごとにかんしては、ボランティア厳守。
命も、手足も地球もただで与えてもらってるから笑
宣教しよう!

誰かに従うんじゃなくて、
自分から、道を一歩踏み出す。

どうやったら、伝わる、ではなくて、
心をぶち抜くんだっていう真っ直ぐな意志がないと、
どれだけいい条件があっても、無理。

自分自身のメンタルブロックを外す。
「どうせ受け入れられないだろう」とか、
「変に思われるだろう」とか。

むしろ、迫害や誤解が多いほど燃える。
魂も鍛えられる。

「この人どうしちゃったのおかしいんじゃない」くらいの勇気を持ちたい。

臆病で卑屈で罪深い私が語るのではなく、
生命全体のパワーが、
なぜか弱き私を通じて伝えたがっているのである。

聖霊(いのちのドカーン、ジーンというあれ)を、
生きた、ドカーンのまま、バシーンとぶち込まないと、
いくら説明しても無理。

福音は説明するものではなくて、
宣言するもの。


「私なんて、神から見捨てられた」「神ってそもそもいるの?」
的な人が、ああもう多い。

「自我と自我」の間ではなくて、
それを超える、いのちといのち、こころとこころの領域、
つまり、祈りにおける、
いのちの無限の水脈のところで、つながること。

いのちが川の流れだとすれば、
肉体は船で、
世界や勉強する対象は、川の岸の風景。


知識として知れば知るほど、神は闇。
いのちそのものなんだと気づけば気づくほど、恵み。


誰かからもらうことではなく、
神からもらうことと、それを与え、分かち合うことを考えよう。





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2015.03.02 Mon l 未分類 l COM(2) TB(0) l top ▲
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