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久しぶりに、私と教団の歴史を更新します。

大学1~2年生あたりの時に、信者だけのSNSに招かれて入りました。
また、mixiでも信者の方と交わっていました。

さまざまな人がいて、実際に関わりをもったりしたこともありました。

そこで、僕は信者達の異常性を目の当たりにしたのです。

彼らは、大川隆法の世界観に合わないもの、自分の頭で考えようとする輩、あるいは暗い心を持った人間を徹底的に排除しようとするのです。

「エル・カンターレ信仰が立っていない」と。

人の苦しみに寄り添うことをしようとしません。

「ごく一部の人」だけかと思っていました。
いや、違った。
「多くの人たちが」です!

まさしく、そこは狂気の世界でした。

本来大切に説かれてきた「心の教え」がなくなっていました。
伝道、組織の拡大、信仰・・・盲信を深めること。
「おかしい」と思うことにおかしいと言えない。そんな雰囲気でした。


悩んでいるときに、さらにその傷口を抉られるような言葉を多くかけられました。
心に土足で入り込まれるような経験も幾度となくしました。



その勢いは、「幸福実現党」を立てたり、学校を建てたりして、権力や組織の拡大方向に向かってさらに速度を増していっているのではないでしょうか。


ある夏の日、僕はmixiもその信者のSNSもみんな脱退しました。
原因は、そんな人間たちの心の身勝手さです。

なぜだか、悲しい笑いが止まりませんでした。


以後、僕は、教団と関わることはなくなりました。

ただ、ぽっかりと心に穴があきました。
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2011.07.23 Sat l 未分類 l COM(0) TB(0) l top ▲
去る、土曜日は大阪で「ひかりの輪」の代表・上祐氏と懇親会と言う形でさまざまな質問、話などをしてきました。

「ひかりの輪」って何?上祐氏って誰?と言う方に説明しておきますね。
1997年、阪神大震災の衝撃の冷めやらぬ中に「オウム真理教」というカルト集団が、東京の地下鉄、霞ヶ関周辺にサリンという猛毒の毒ガスを撒くというテロを起こし、数人が死亡、何千人もの被害者を出し、日本中ならぬ、世界中に衝撃を与え、連日テレビやマスコミがその様子を報道しました。
以前には「真理党」なる政党も作って教祖の麻原自身も立候補していたようですが、全員落選。
教祖の麻原彰晃は逮捕され、またその幹部も次々と逮捕されていきました。上祐氏もその幹部の一人でした。教団は壊滅に追い込まれましたが、その数年後に「アーレフ」という団体として再活動を起こします。
形の上では、「オウム事件の反省に立ったうえで」というらしかったようですが、依然として麻原崇拝が続いていたり、麻原のテキストを使っていたりして、そのことをめぐって内部で分裂が起き、麻原崇拝を脱却することを目指した上祐代表が2007年に立ち上げた組織です。
マスコミからの取材に対して、完全にオウムや麻原の教材を撤廃して、原始仏教や、ユング心理学、ヨーガを取り入れた宗教の形を取り入れて独自の路線を歩んでいるということです。そして、オウム事件に対する反省や分析なども深く行っているという様子でした。
しかし、オウムのテロの被害者からは、「どんなに形や名前を変えてもあなたたちは、テロを起こした反社会的な団体でしょう。一刻も早くの解散を望みます」という声も上がっています。

「つぶやき」で、「懇親会で上祐氏と話してきます」と言ったら、「危険だ」「洗脳される」「ドタキャンしてください」「飲み物など気をつけて」という反応が多く来ました。

私が、敢えて、その懇親会に参加した経緯ですが、mixiで直接上祐氏から懇親会と説法会の案内が来たので、「お、土曜日は開いてるから行けるぞ」と前日になって詳細を「ひかりの輪」大阪支部のTさんにお聞きした次第です。
動機については、非常に強いものがありました。
オウムの問題については、いろいろと多角的な方面から本などを読んで研究してきました。その中で、印象に残っているのが、「オウムを生み出したのは、閉塞した日本社会である」「終わりなき日常を生きなければならない」とか、「ただオウムを異質なものとして排除するだけでは根本的な解決にならない。」といった切り口でした。
そういう、「文字」や「外部」からの「なぜ」は聞けても、直接、オウムからの反省を通して現在活動を続けている当事者から直接口頭で聞ける機会はない、と思って参加させていただいた次第です。

「元オウム」だからこそ、敢えて聞きたかった。
「元テロ集団」で今でも根強く社会から差別され排除されようとしている存在であるからこそ、敢えて聞きたかった。
要するに、「真っ直ぐ見たかった」のです。

「元オウム」の実態を風評だけで真っ向から否定する人や、「現代社会と宗教」とはなんぞやという人たち、あるいは興味本位な人たちにも、私の日記を通じてなにかしら「なぜ」を考えていただければ幸いです。
「否定」的な目で見るよりも、「批判」的な目で見ていただければ幸いです。私も、批判的です。でも、当の「ひかりの輪」、上祐氏自身が一番自身に対して批判的であるなという印象を受けました。


では、レポートに移ります。
時間があったので、大阪の劇場で開幕初日からの『コクリコ坂から』を観てから、場所をお聞きして地図もいただいた「ひかりの輪」大阪支部を訊ねようとしました。
・・・が、一向に目的地が見つからない。「駅から徒歩数分」と書いてあったのに、一体どこか分からずあっち行ったり、こっち行ったり。
やっとこさ、近くの目印であるラーメン屋や神社を見つけたはいいが、どこにあるのか全然わからない。
「普通のマンションの一室です」と言われたのですが、近所に普通のマンションが林立しており、どのマンションかわからない。

ただ、どこのマンションにも、こんな張り紙がありました。
「ひかりの輪 オウム真理教は撤退せよ」と。

「公安警察とともにオウム撤退運動をします!」みたいな張り紙もあったりして、
近隣の住民からも、本当に怖れられているのだなということが分かりました。

私も、「やべえ、みんなが言うように本当はやばい組織なのかもしれない。いまでも遅くないから逃げかえろうかな」と内心思ったりもしました。

時間に10分程度遅れて到着。
本当に「隠れる」ような感じでひっそりと運営しているのだな、と思いました。看板もないし、表札もあるのかないのかわからない。それでも、
と、同時に、14年経った今でもオウム事件の与えた恐怖の爪痕というのはすさまじいものなのだなと感じました。
いくら、反省して、償う姿勢を見せていても、住民のアレルギーはすさまじい。

日本を代表する巨大宗教であっても、大きな建物周辺で、せいぜい「創価学会怖い。」「幸福の科学勧誘お断り」程度の張り紙しか見たことがないのですが、まさかそこまでとはおもいませんでした。

はじめのイメージとしては、広い部屋に、50人~100人くらいの見物人が押し寄せてくるのかなと思っていたのですが、
いざ、入ってみると本当に普通のマンションで、居合わせた人は10人ちょっとの小さな集まり。
みなさんと、「こんにちは~」と丁寧にあいさつ。
テーブルにお茶やお菓子。
ストレートに「近隣に『オウム撤退せよ』のチラシとかありますよね」「飲み物に薬物とか入ってないですよね」とか聞くと、
「逆にそれで、わかりにくいここの場所が近所にあるんだなって分かったりするんですね」「あはは、いまさらそんなことはなんですよ、どうぞどうぞ」と。

部屋の祭壇などはこんな感じ。




しばらくすると、ひかりの輪代表の上祐氏が登場。
みんなで自己紹介。
お菓子をつまみ、お茶を飲みながら、自由に質疑応答。
ひとつの質問に対して、上祐氏は10分も20分も丁寧に懇親説明してくださいます。
私は、ジャーナリストにでもなった気分で、それらの質疑応答を細かくメモ取っていました。
そんなことをしているうちに3時間すぐに過ぎてしまいました。
途中でボールペンのインクも出なくなる始末・・・。

全部を紹介するのは、難しいので、一部かいつまんでレポートしますね。

・現代の日本では先祖供養がおろそかになっているが、日本はどう変われるか。

日本の供養というのは祖先信仰ですが、インドでは仏法僧への供養だったんですね。日本の風土と合わさって先祖供養になった。お盆の起源は、大目蓮(マハーモッガラーナ)が餓鬼道に落ちている母を救ったことで、修行によって功徳を積み、他人にも供養ができるということなんです。
現代が、感謝が減って、欲が増大している。「親はこうしてくれて当たり前」で傷つけられたことしか覚えていない。祖先に関する感謝が減っている。自分も他人も愛せない。自分を生み出した父母に対する感謝がないわけですね。

・<それに関連して私の質問>
現代では、虐待、増えてますね。あるいはアダルト・チルドレンといって、親に愛されていないまま大人になって自己肯定感のないまま生きて苦しんでいる人々が急増しています。あるいは、リストカット、ODの問題もあります。そのように問題のある教育があると思いますが、どうしたら抜け出せるとお考えでしょうか。

戦後、キリスト教以外の欧米の文化が入ってきて精神的な支柱がないんですよ。自己愛型人格が増えている。これは親の問題で、その親自体が子どもの頃からおかしいわけです。愛すべき対象が愛せない。仏の慈愛の象徴が母親の慈愛であり、それが根本にあるのですが。
虐待を受けているという子供の被害妄想もある。自分がそうなのは親のせいだという風にして。主観と客観が食い違っているため、真偽の確認が必要。
他人が悪いのではないということを受け入れることが必要なのですが、受け入れるのは辛いことです。被害者でいる方が楽ですから。理詰めで静かにアプローチしていくことが必要でしょう。
医師の投薬は、認識それ自体を変えない。性格改善には10年かかる場合が多い。早期対応が良い。すぐに祈って煩悩が薄まれば一定の価値はあるが、すぐさま治せる人がいたら、ブッダやキリスト以上の救世主ですね。深い問題です。投薬して、社会生活させて放っておくの繰り返しになっている。

・知識不足や、選択肢が閉ざされていることについて。本物をどうやって見分けるか。

知識と経験が重要。感情、好きかで決める人が多い。欲求の方がドンとくるわけです。本物だとしたい経験があるんですね。
多くの失敗を経験して成功に繋げていくチャレンジ精神が大切。チャーチル、ディズニー、リンカーン、エジソンなどは失敗の連続であった。ネットの情報から失敗しないようにとする若者が多い。すぐに成功したいとする欲をすてること。ひかりの輪というのはいつも「原点回帰」です。失敗してからが始まり。世の中は道場です。大いに失敗することですね。

・では、それをやる人間とやらない人間の違いは何か。

昔は、「巨人の星」をつかむ、ということで、がんばれば手の届く未来の来る高度経済成長の時期だったのですが、現代は意欲、気力がない。だから、今は競争よりも個性の方向でどういう形で世界に貢献できるか。自分のものを磨くために感謝。今までは不満の経済であったが、自分の役割とそれを与えてくれたものに感謝すること。精神的危機ですね。ヨーガ、気功などを強める必要もありますが、それをやる気力もない人もいる。


・<私の質問>
一番聞きたかった質問です。今まで、多くのマスコミや識者から聞かれてきた質問だとは思いますが、オウムはなぜ多くの人を引き寄せたのか。そして高学歴の人々がなぜ、あのような事件に走ったのか。カルト教団にかつて属していた上祐さんからは、社会とカルトの問題についてどのように捉えているでしょうか。

カルトは伝統宗教の形を取って今でもありますね。今回の地震も神の罰であり終末が近づいているから、イエスに帰依しろと言った韓国のキリスト教がありましたね。
オウムも世相を反映していた。ノストラダムス(1999年7月に人類が滅亡するという予言があった)、超能力、破局ブーム。それが90年代。大学でもみんな麻原の予言を真剣に聞いていた。全体がそういうモードになっていて、悪い意味での追い風だった。
学歴については、関わりなくヨーガの神秘体験を吸収できた。オウムの教団で価値を認められてその中で生きていける。オウムで東大を出た○○も、ノーベル賞を取れなかったから、麻原の中で解脱の願望を抱いた。オウム、麻原は密教とヨーガの方向を間違えていた。どの宗教も自分のところが一番と喧伝して、それが魅力的に映る。
社会が生むのが宗教であり、現代の精神的ニーズと若者の未熟があった。そしてそれまでの宗教の形骸化があった。当時は、麻原しかチベット密教を習得していなかった。だからみんなこぞって麻原に惹かれていった。創価学会は相互扶助としての救いだったが、心の渇きに応える密教、ヨーガの中で麻原は独走し、社会もこぞって麻原を持ちあげた。

・オウムが今もあったら、今回の地震をハルマゲドンと見たか。

当然です。阪神大震災も麻原は予言を的中させたと言っていた。普通の新興宗教であれば、予言がはずれると「祈りによって退けた」などというのだが、オウムは、実際にそれを起こそうとした。

・それで麻原は何をしたかったのか。

ハルマゲドンをあおった信者集めですね。ハルマゲドンを自分で創り出していった。麻原の中には、自分が社会で成功するには障害が多すぎた。弾圧されていたのは、救世主だというビジョンをみて、「当たらねばならぬ」と。麻原は、それに宗教生命をかけてまでいいと言っていた。現実的には狂気と思われることはあった。「なぜ、そこまで一生懸命できるのか」とオウム時代聞かれたこともありましたね。麻原本人には騙すつもりはなく、本当に自分が正しいと思っていた。真面目ではあったんですね。方向性がゆがんだ真剣さではあった。
社会の流れがなければ教団はない。止めるための知恵がなかった。宗教的、霊的に無知で麻原に関心がいった。分かっていればハマらなかった部分もある。十分な経験や知恵がなく、自分たち中心でいきている。そのたびに本物のキリストが現れる。自分たちもなりたいという欲があった。自己特別視ですね。一回盛り上がると駄目。第二次世界大戦もそれで止められなかった。仏教は本来普遍的なものであり、「この国だけ」というのはない。江戸時代から仏教は民衆のよりどころではなくなり、偏った国家神道に向かっていった。
感謝の心で、他者と自己に対する愛を広げていくことが重要。旧いものと新しいものの対立もある。日蓮正宗と創価学会の争い。どっちのご本尊でも神聖な気持ちになれたらそれでいい。マイケル・ジャクソンかビートルズが好きでは争いは起こらないが、「どちらかが正しい」と主張し始めると争いが起こる。
人のなかに仏がいて、方便としてその外にシンボルがある。その外にカタチにあうかどうかが縁。信者が善悪を持ってくる。本来は好きずきであったはず。
自灯明・法灯明という教えがあるが、お釈迦様を神として崇めてはならないということ。シンボルが絶対化されると争いになる。ブッダという言葉は、人間で目覚めた人。聖者。

・<私の質問>
それでは、「仏・法・僧」の三法に帰依することとの関連は。

まず、「僧」への帰依ですね。仏教教団への帰依は、良い友と交われということ。出家教団への帰依は先輩・先達の関係ですね。
シャカムニは、久遠の存在としての仏、本質は法として宇宙に偏在している。そして内側の仏。二つの展開ですね。

・<続いて>
幸福の科学では、大川隆法を再誕の釈迦大如来、エル・カンターレとして、一番に帰依せよと説いています。そして、次に彼の説く「法」に帰依せよ、ブッダのサンガ(僧団)に帰依せよと言ってますね。

ひかりの輪では、特定の人物を仏とはしないし経典や真言も絶対化しない。他の宗教ではそれが求心力としてあるのかもしれません。
神仏で「あってほしい」という欲求があって、それにありとあらゆる理屈をつけたがる。

・<続いて>
幸福の科学の壮大なスケールの霊的世界観に合わないことを言っただけで私は信者達から散々叩かれましたが。

オウム信者にとって、麻原を認めることは、イコール自分を肯定することだった。自己絶対視している。ひそかにその欲望がたぎっている。教祖と自分の一体視。
壮大なスケールの世界観を確かめることはできない。そのまま正しいと思いたい理由がある。オウムでは麻原が最終解脱したと言っていたが、しっくりする、マッチするのは正しい理由からではない。好きな人が正しくなってくる。確証できないが、信じたいから信じる。自己絶対化すると、大川さんの絶対化になってきますね。
オウムでは霊的、神秘的世界を求めていた。それも、大川さんと信者の間でしか分からないですよね。
離婚問題について私も見ましたが、過去世で文殊であった妻が悪妻になっていますね。子供たちはゆがみながら取る。信者も大変ですね。

・なぜ、上祐さんはオウムの価値観をそう思えたのか。

完全にハマったと思います。安直に信じた。本当の精神性とイコールなのが分かっていなかった。輪廻観があって、人の命を奪ってもポアとして仏に近づくことができると。
ただ、私の場合教団が弾圧されているという世界観が受け入れられず、帰依がないと言われました。
選挙に負けたときの言い訳で、「弾圧されている」と。誰かマスコミが、「麻原さん当選確実」と言って教団は盛り上がったんですね。それで、落選して「陰謀だったんだ」。やはり、弾圧されていて救世主だったんだ、と。単に負けたのではないということを信じたかった。沙漠のなかのオアシスのようにそれをもとめていた信者は多くいた。そう解釈してしまう人間は抜けられない。信じたいものを信じる。



などなど。

あとは、幸福の科学もオウムも現代の鬱には対応できないでしょうね。現代は、薬漬けか、優れたカウンセラーも少ないという状況だ、とか。
とか、日本の宗教的地盤のなさ、とか、
聖徳太子によれば、日本は「和」の国。みんなが仏で、すべての国が神の国で個性・役割がある、ということなどを話し合いました。


そのあと、
私は別室で、四方に大きなお椀をゴーンと鳴らすやつ(なんていうんだっけあれ)のなかで寝転んでヒーリングの体験をするというものをやらせていただきました。
ちょっと不安に思って、案内してくださったTさんに「オウム時代のものとは違いますよね」と確認。

あとは、会員のみなさんに、ひかりの輪に入ったきっかけなどを聞いたりして、「ああ、それぞれの人にいろいろあるんだな」と思いました。
多くの方が、上祐氏に惹かれていたようです。
ただ、私の目には「カリスマ」としてではなく、「頭の切れた指導者」ではあるなという感じでしたが。
「オウムの残党」というレッテルを張られていることにはどう思うかなど、率直な質問もしました。

最後に、上祐氏と一対一で対談させていただきました。
最近よく考えている「死」についての問題や、教団の運営といったハード面、これからの日本の宗教的在り方についてなど、質問させていただきました。
一種の「宗教企業」的な側面を持つ幸福の科学とは違って、教団の拡大などは眼中にないようです・・・というか、周りがそれを許しませんよね。


時間の方なども落ちてきていて、私の心のなかは慌ただしくてゆっくり過ごせなかったのですが、本当に貴重な時間だったと思います。
小さな集まりでしたが、有名な方から直接名前も覚えていただいて、光栄でした。
ありがとうございました。

2011.07.18 Mon l 未分類 l COM(0) TB(0) l top ▲

元オウム真理教の幹部であり、現在はオウム時代の反省をもとに「ひかりの輪」という団体の代表を務めていらっしゃる上祐史浩氏とネット上でやり取りしました。

上祐氏:
「実は、神戸震災の後にオウム事件が起こったように、
 世の中の乱れを利用してカルト教団が強くなる問題があったり、
 また、オウムの時も今回も、現在の社会に不満な人達を中心に、
 社会の混乱を(心密かに)喜ぶ、興奮しているという話しが、
 私のところには入ってきます。

 そういった社会の分裂に注意し、克服していくことも、
 日本が元気になるポイントかと思いますので、
 それらを交えて、私自身の過去の反省と現況をお話ししたいと思います。

付記:神戸震災とオウム事件(地下鉄サリン事件の関連性)
  ツィイターでのツィートを転載します。

 神戸震災とオウム事件の関係について、あまりご存じでない方のためにコメントしますが、当時のオウムの教義は、大破局が近いというもので、麻原は神戸震災の前に、弟子の地震占星学の鑑定に基づき神戸での地震を予言し、地震後にそれが的中したと主張すると共に、終末預言を繰り返しました。

 さらに、警察の捜査・裁判結果によると、神戸震災のために、警察の教団への捜査・捜索が延期された(と思われたので)、それを更に延期させようとして、そのためには、神戸震災なみのパニックを引き起こせばいいと考え、地下鉄サリン事件を起こしました。

 こうして、神戸震災は、麻原自身とその信者の麻原の大破局予言に対する盲信を深めさせると共に、地下鉄にサリンを撒く行為を教団防衛のために行うという発想を与えた結果となりました。いずれにせよ、当時のオウムにとって、震災が自分達にとって追い風であると感じられたのです。

 神戸震災とオウム事件の関連性はともかく、オウム問題の本質の一つは、社会に対する破壊欲求でした。麻原が生来の性格か、障害者(弱視)で親元離れた不遇の幼少期による心の歪みのためか、家族・学校を含め自分を取り巻く社会への不信は強く、開教後も終末予言と共に国家権力の陰謀説を主張しました

 それは、犯罪行為のスケール・計画性・手段などは全く違っていても、動機の点において、秋葉原の加藤氏の行動と本質的に共通性があると思います。また、2000年代に入って無差別殺人(通り魔殺人)が増大している背景事情とも繋がっていると思います。


「大川さんの話しは、オウム真理教と違って、震災を終末預言への盲信に
 利用したケースではないですが、一般人には非合理的=カルト的に
 聞こえますね。
 
 私が聞いたところでは、韓国系のキリスト教団が、東北震災を使って、
 終末が近いと熱心に主張しているそうです。
 
 また、ある大手出版社によると、宗教学者の中にも、震災=カルト教団の
 活性化を懸念する声があるそうです。 」


私:「私を批判される幸福の科学信者の方の多くの宗教的経歴を見てみますと、
初めは素朴なスピリチュアリズムなどに興味があったのですが、大川氏の著作と出会い、「人生を180度変えられる」体験をした。
「本当の世界」に対する目が開けて、大川氏の書籍ばかりを貪るように読み、その世界の中だけで自分の価値観が形成されていくんですね。
これは、ある種の「洗脳」に近いものがあります。
幸福の科学はいつも外部に「敵」を作っていますよね。講談社しかり、北朝鮮しかり、民主党しかり、大川きょう子元夫人しかり、そしてついにはレプタリアンなる宇宙人まで想定し、「宇宙人撃退祈願」などを作り、ひとつの資金源にしているわけです。
「仏陀再誕」で、「信仰は百パーセントでなければ意味がない」「自分以外に神を想定して拝むな」と言っているのはみなさんも読めばわかりますが、そして、さらに一般向けには発売されていないのですが、「信仰論」「君よ、涙の橋を渡れ」などといった信者向けの書籍には、ぎっしり大川氏への絶対的な帰依、服従が訴えられています。

確かに、教団内では「いい人」も多く、信仰を分かち合っている間は他にはない「心地よさ」を体験できますが、
自分の頭で考えようとする人間に対しては、徹底的に排除する傾向があるようです。
「自分たちの世界」を壊されたくないのでしょうね。

・・・ほかならぬ、昔の私がそうでした。」


2011.07.05 Tue l 未分類 l COM(0) TB(0) l top ▲
私が「三帰」(入会)したのが、2000年、中学一年生あたりのことですから、10年以上経って初めて、ビデオでしか見ていなかった本物の教祖(「総裁先生」と呼ばれている。)を間近に見たことになります。

先週も行ったばっかりなのに、再び親に突然、「琵琶湖行くよ。日帰りだから大丈夫!」と言われて「まぁ、いいか」と車に乗り込む。
琵琶湖につく直前に、「なんで行くの?」と聞いたら「お話があるからよ。」
「誰の?偉い講師さんとかそこらへん?」
「いや、大川先生の。」

びっくり!!
<早くそれを言ってくれよ!>





よく、キリスト教や他の新興宗教やってる友人から、「幸福の科学の信者ってどんな活動してんの?」「ミサみたいな儀式とかあんの?」「仏教系?キリスト教系?」とかよく聞かれるので、私の知っている範囲で説明しておきますね。
まず、「教学」といって、大川氏の書いた本(700冊以上!!ゴーストライターでもない!!)を読んだり、彼の「説法」のビデオを見て、幸福になるための教えである「仏法真理」の学習に励みます。
あとは、「伝道」といって、月刊誌なんかを家中のポストに放りこんで、未信者の啓蒙をはかるのです。
あとは、「支部」であるとか「精舎」であるとかに行って、「研修」であるとか「祈願」なるものを受けたりできます。
教祖は、自らをブッダの生まれ変わり、「エル・カンターレ」という霊存在であると称して、東洋文明と西洋文明を統合し、世界宗教もみんな自分が指導したものだという風にしていますから、新しい形態の宗教ということが言えるでしょう。彼らは、「新宗教」と分類されるのを嫌い、いずれ世界宗教になる「アドヴァンスト宗教」と言っておりますが。

私の場合、心の中では「棄教」して大川の個人崇拝もしていませんしカトリックの方に行っちゃってるのですが、「脱会」はしていない、仲良くしている人もいますよというスタンスです。

「琵琶湖正心館」という施設に来ると、「満員電車」とは言わないまでも人がごったがえしていました。
しかし一度、友人に創価学会の集まりに誘われて、久本さんの話を聞いた時は、超大きなホールがいっぱいになっていて、規模的には創価のほうが10倍以上あるかな、と思いました。

組織の方は、相変わらず「植福」(献金)に夢中なようで、被災した仙台にも「霊的に守られる!」と正心館の建立を計画して資金を募っているようです。


献金したら、「菩薩」になれる・・・。
なんか、昔のカトリックがサン・ピエトロ寺院改修資金稼ぎのために贖宥状(免罪符)売りつけたのに似ていると思うのは私だけでしょうか?


「おめでとうございます!」の声と、平積みされた先行書籍を売っているスタッフのみなさんがいました。
先週も会った女性職員さんの方ともまた会って、「直接御法話拝聴されるんですね!直接会われるのははじめてなんですか。おめでとうございます!質疑応答の時間もありますし、質問考えてきましたか?」などといった話をしました。

ポストカードを広げている年輩の女性の方たちがいて、絵が綺麗だったので、「わあ、かわいい絵ですね。」と声をかけたら、「どうぞ、いらっしゃい」


「お兄さんどこからいらっしゃったの?」「兵庫からです・・・」みたいな話をして、誕生日とか血液型から占ってくれる方もいました。
「自分の世界持ってますね。外国行ってみるのも手ですよ」なんてことを言われて、「確かになぁ」と思う。


ポストカードをいただいて、ほっこり。


そんなことをしているうちに、時間が来て、「礼拝堂」での法話の前に、栃木県の那須に新しく出来た「幸福の科学学園」の様子のビデオで見ました。
信者さんたちが、そろって「総裁先生大好き~」「ビバ!エル・カンターレ」といってこぞって賛美しておりました。
生徒さんたちは、成績優秀で、部活動においても素晴らしい成果を収めているそうです。
「みんなで頑張って未来の大鷲になるぞ!」「信仰のある子はとても優しいです。」「深い絆の仲間がいていいです!」「この学園を設立するためにお金を寄付してくれた方に感謝しています。」「将来の夢は・・・」「みんなが大きな大人になるので見守っていてください!」「高貴なる義務を果たします!」
など、最近の子どもには見られないような気慨の大きさに感心しました。

そのあと、やっと本物の「総裁先生」が壇上に登場。もうすぐ55歳です。
何万人の人間から崇拝されている彼の印象は、「意外と小柄なんだなぁ」「ビデオでみてるのとあんまり変わらないや」という感じでした。

演題のテーマは、「宗教教育はなぜ大切か」。

以下、内容。

分かる人には分かるが、分からない人には何日話しても分からないことで、日本にとっては大きなテーマ。
古来から宗教と教育は深い結びつきがあったということ。
中国では儒教が国家官吏の制度であったし、仏教や儒教は学問の代わりとして栄えていた。昔の大学としての機能を果たしていた。そして、「学徳」で人々を導いていた。
僧達は、入唐、入宋求道で、中国まで先端の学問を学びに行っていた。その仏教思想で国造りをしていった。
人類の歴史で宗教の役割は大きく、学問としても成り立っていた。
哲学は西洋思想の山脈を形作り、ソクラテスを超える哲学者はいないとされている。彼は霊的な体質で、ダイモンと呼ばれる霊と毎日対話をしていた。そして、転生輪廻も明確に示している。デカルトも霊を見ることができた。カントも霊的な世界に興味があったが、同時代にスウェーデンボルグがいて、学問の対象とそうでないものを分けた。
そして、カントの流れからあの世を信じない人が出てきた。
ニュートンに至っては最大のオカルティストであり、秘密結社のグランドマスタでありつつ、現実の仕事も出来た。
伝統から見てみると人類の歴史は宗教。
なぜ必要か、というと人間は常にフロンティア、未開拓のところに挑んでいくから。避けて通ってはいけない。立ち向かっていかなければならない。
現代の科学者もオカルティスト。大槻教授も宇宙人は否定していない。プラズマなどと言っているが、やはりプラズマも作った者がおり、その不思議も研究せねばいけない。
他の宗教と違って「教養宗教」はうちしかないんです。現代のことも、法律のこともできる宗教なんです。社会人を啓蒙するための機関として機能している。
未だに私は真理探究を続けている。真善美は信仰を通して目覚めたいもの。
歴史から見て宗教は常識である。日本だけが取り残されている。
共産主義の中国でも民衆レベルにおいては宗教に関心がある。
神の心を心として国を治めていく。「宗教があるから戦争がある」というのは間違い。それはお互いの理解の不足。
ルソーの教育学では、子ども時代は宗教の全体を教え、大人になってから自由に選ばせているが、世界では宗教教育は早いうちから始められている。
幸福の科学学園生の様子を見ていると、感謝の心を忘れていない。祈る姿は美しい。日本を変えるためには宗教改革が必要。「意味」を教えることによって善なる心をエデュケートすることが大切。広い土地を有効活用して未来のための教育投資に。那須では地元と仲が良い。いきなり、栃木ナンバーワン校の出現です。偏差値は65以上。80以上も5人も出ている。教員も大変である。関西にも幸福の科学学園を作る予定であるが医学や経営者中心の学校にしたい。

以上。だいたい40分くらいでした。
年輩の会員さんの方には、つい居眠りなどしている人などおりました。


次。
質疑応答。
みんながいっせいに手を挙げて「ハイ!ハイ!ハイ!」
当ててもらうコツは、目立つこと。
一人目に「幸福の科学の教科書を認定して欲しい」という看板をどでかく掲げた人が当てられました(笑
「総裁先生」は、学園では、現時点では一応認定されたものを使っています、と。Z会の教科書を使っています。中学までに英検準2級取る人もいる。準一級のテキストも出来あがっています。運動、芸術もレベルが高い。

二人目。
これは聞いてて、怒りを覚えました。
相談内容は「事業でいろいろあって行き詰って、うつ病になりました。全国の会員さんの中にもうつで悩んでいる人が多いと思いますが、ご教授願いたい」とのことでした。切迫した顔つきでした。
総裁先生、すかざず、「あなた、こんなたくさんの人前でしゃべれるくらいだから、その時点でうつじゃありませんよ。躁とのまちがいなんじゃないですか?」(会場内笑い)
個別的コンサルタントなので多分時間はかからず答えは出ます。決断ができないならトップにはなれないですよ。質の高さで生きのびるか、営業で生き残るか、この二つは重要です。
うつなんかどうでもよろしい。病院から何言われても無視です。合理的に考えて判断しなさい。
政権のトップには貧乏神がはりついてます。これをなんとか乗り越えたい。
基本的には自助努力です。付加価値、顧客の視点でものを考えなさい。
うつに逃げず、あなたの決断と意志と実行力です。忍耐してください。がんばってください。
余計なことは考えず、経営一点に。あなたをどんな形でも幸福の科学は支え続けます。

・・・これには、「この人、心の病に関して無知がひどすぎる」と思いました。
ちゃんと、感想のプリントにそのことは率直に書きましたが。まあ、トップの耳には届かないでしょうけれども。


そのあとは、とにかく「主に感謝」という具合で、講演は終了いたしました。


原稿も持たず、物事を順序立てて話して、最後には盛り上げて終わる、というパターンが多いです。
それが、月刊誌に載って、その後「○○の法」という書籍になるわけです。



すごい組織力ですよね。
一代で、宗教を興し、日本全国、果ては外国まで大きな施設を作り、「幸福実現党」なる政党まで立てて(マスコミにも無視され選挙も全敗しましたが)、学校まで興してしまうくらいの事業家ですから、とんでもないものがあります。

しかし、本当に、数メートル先で見た感じでは、「え?この人が?」と思うくらい「普通のオッサン」です。

「総裁先生」は、宗教、哲学、経営、法律の分野まで幅広く相当な知識を持っていて、それに「霊的なもの」を加えた、「スピリチュアルな知識人」であって、同時に「宗教経営家」でもあるのでは、と思わされました。

それで、巨万の富を手にして、「大悟館」なんていう豪邸に住んでいるわけですから、「知」の力というものを思い知らされます。



でも、どうしても、間近で見て、お話を聞いても、やっぱり「一人の人間」にしか思えません。
「あらゆる光とあらゆる知恵とあらゆる力とあらゆる愛の根源の方」などとは思えません。崇拝の対象などとてもではないができません。

「太陽の法」も「エル・カンターレ」も神話です。
壮大な神話を作り上げて、ただの人間を崇拝して有り難がっているだけのようにしか思えません。

空海さんは「燕石珠に濫じ、珀鼠名渉る」といって、燕の糞で光っている石を宝石と思いこんだりする、と戒められておられます。

金を集めて作った巨大(?)な組織や知名度を自慢して「世界宗教」と名乗っていることが「燕の糞」のように思えるのは私だけでしょうか。


あ、最後に自分が用意していた質問を言いますね。

「哲学・神学をかじり、教会学校で『信仰教育』なるものもやって、大学を卒業しましたが、ニートになってしまいました。
私はどうやったらユートピア建設に関わることができるでしょうか。あるいは日本の社会はどうすべきでしょうか。」

「伝道の過程や、信者内で、立場の違う相手に対して傷つける信者さんや職員さんがいて、教団内でそのような問題が少なからず噴出しているということを聞き、悲しい想いです。
教団のトップとしてあなたはこの問題に対してどうお考えですか。どう対処しますか。」


あるいは・・・
ちょっとしてみたかった質問が、「夫婦仲を良くするにはどうしたらいいですか?」
それまで、アフロディーテ、文殊、ナイチンゲールの生まれ変わりとされて崇められていた総裁夫人は、家族全員から突き放されて離婚、「信仰なき者は去れ!」と言われ、急にイスカリオテのユダの生まれ変わりにされたりしております。



こんな日記を思い切ってみんなに公開しているのは、「日本人のほとんどが宗教に関して無知すぎる」ということを懸念しておるからです。
伝統宗教の神父さん方も、坊さんも、教授さん方も全く新勢力の宗教に対しては無知すぎます。
何も調べずに雰囲気、風評だけで「あやしい」「うさんくさい」などと遠ざけていたら、
そういう人に限ってコロっと「あれ、いいとこじゃん?」「こんないい場所他にはないぞ」と取りこまれてしまうわけです。

戦後の日本には宗教的な地盤がない。
唯物思想もあれば、スピリチュアル思想もお茶の間に浸透している。
いわゆる「諸子百家」状態なのだと思いますが、逆に「ひとつに纏まった状態」というのも危険。
そこから新たに生まれてくるものもあるのかな、いや、生れなければならないと思いつつ筆を置きます。
2011.07.03 Sun l 未分類 l COM(0) TB(0) l top ▲
親は未だに熱心な会員で、私を連れてさまざまな幸福の科学の正心館に旅行気分で連れていってくれます。

今、私が住んでいるところから一番近い正心館が琵琶湖湖畔にあります。

研修なるものは受けず、「竜宮瞑想法」という名目で、自由に散策して自分の心を見つめなおします。

私が体験したり、思ったことを率直に書きたいと思います。

「祈願」の数が多すぎます。
「健康増進祈願」とか「ガン克服祈願」などはまあ分からないのではないですが、
「宇宙人撃退祈願」「英会話ベラベラ祈願」など、見る人が見たら呆れるかもしれません。
そうやって教団の資金源のひとつにしているのですね。

しかし、施設の居心地はそこらのホテルより快適で、「これも教団の組織力と経済力にもの言わせるものなのかな」とも思ったりしました。
カトリックの合宿場所はたいがいボロ屋です(笑

なにはともあれ、心がふっと明るくなったり、嬉しくなったりできる空間であることは否定できません。

何もすることがないので、あらためて置いてある本を片っ端から読みまくっていきました。
「太陽の法」などを読んでいるときはえらく魂が突き動かされ、「俺の今までの生き方は何だったんだ」と思いました。

こういう体験があるから、信者さんは「他では絶対味わえない本当の幸福」を伝えたくて、周りから偏見の目で見られようと伝道に励むのでしょうか。

続いて、最近の教祖、離婚問題についてや、政治に関しての霊人の霊言などなど・・・。
言い訳と、笑いを通り過ぎたトンデモな内容でした。


「7の日参拝」といって、教祖の生れた「7」の数字にちなんで、多くの信者さんが精舎に訪れます。
年輩の方が多くて、笑顔を絶やさず、素朴な信仰を大切にしているんだなあと感じました。
見知らぬおばあさんから、名札を見られて、「お名前、なんて呼ぶんですか?」「いい名前ですね」と言われたりしました。

食堂などで、信者さんたちがフランクな会話を楽しんでいるのを横目で聞いてました。

テレビでは、「幸福の科学学園」の様子が流れていて、生徒たちが楽しそうにしていました。


でも、みんな「神話」です。神話によって、神話の中で人はそれを「信仰」と言い、生きている。そう私は思いました。

何時間も、本を片手に、窓の外の湖や流れる雲を見ながら考え事をしていました。

朝には、礼拝堂で瞑想の時間があります。
食事も、非常においしいものです。

館長がお話をしてくれます。
全員が揃いそろって、いちいち、ご本尊の「エル・カンターレ像」に合掌をするのですが、
私は、ただ頭を少し下げるだけ。
人間を神とあがめることはどうしてもできません。

でも、平和な空間でした。
2011.07.01 Fri l 未分類 l COM(0) TB(0) l top ▲
カトリック信者になったはいいけど、本当は僕は同時に「キリスト教」という宗教を信じていないようになったのかもしれない。



みんなが議論の対象にしているような「神」を僕は信じてはいない。

そういうことは問題じゃない。イエスが生涯をかけて、命さえ差し出して貫いた愛を受け入れるとき、僕は背中を押されるのです。

2011.07.01 Fri l 未分類 l COM(0) TB(0) l top ▲
そうとう久しぶりの投稿になります。

プロフィールに「今の私は、特定の宗教なんてものを信じているわけではありません」と書いていますが、
実は、今年(2011)年のイースター(キリストが復活されたとされる日)にカトリックの洗礼にあずからせていただきました。
信者一年生です。
大学時代の後半、教会学校で小学生の子どもたちに教えていたのですが、授業準備をしながら、静かに「どうしたら面白く人間にとって大切なことを分かりやすく伝えられるか」ということを考えていたのはひとつの「祈り」でもあったのかもしれません。
いわゆる「宗教難民」になった私は、どうしても何かしら宗教的なものと繋がっていたい想いがつよくあったのでしょう。

これも私が勝手に感じたことですが、罪びとこそをあわれんでくださるイエス様にやさしく「おいで」と呼ばれたような気がしたのです。

一年間「カトリック信仰入門講座」で学んで、洗礼への準備をすすめていきました。
神父様の語る内容がよく心に響かなかったのは私がまだ若かったからなのかもしれませんが・・・。
多くの新興宗教が、「信者集め」ばかりに走って伝道なるものを活動の根本に置いていますが、カトリックの場合は全く逆でした。
全く洗礼を勧めません。
数集めなどどうでもよいのでしょう。
自分から、「神さまと結ばれたい」と、自分から積極的に動かないといけません。

ともあれ、多くの祝福を受けて、私はキリストの「生命」の樹に結ばれたのです。

ですから、今の私は「クリスチャン」であり、「宗教」を信じている立場になるわけですが、
この頃考えていることを少し綴ってみようと思います。

私は「宗教」それ自体を信じてはいません。
そこにあつまる「共同体」は愛していますが。

やはり、伝統宗教においても、共同体のなかにおいて「理想郷」「神の国」「ユートピア」が形成されているわけではなく、もちろんお互いがお互いを裁き合っている状況もあるというのが現実なようです。

それに、僕のずっと抱えていた苦しみや悩みが解決したわけではありません。

2千年間続いてきたキリスト教の伝統は過去の過ちを認めながら、成熟した宗教となりました。

幸福の科学では、私たち伝統宗教と違い、「世間を変える、日本を変える、世界を変える、ユートピア化運動だ」と熱く夢を語ったり、あの世の世界にロマンを語り合う機会がところどころにあって、それがわたちたちの「一人じゃない」ていう確実な幸福を感じさせてくれるのです。
いわゆる「現在進行形の宗教」なのです。

私たちカトリックには、そういうことがなくて、かなり自由です。
教えが複雑で、難しいこともあるかもしれません、新興宗教に見られるようなファナティックな部分はあまりないです。
もっと夢を語り合ったり、励まし合ったりそういう場をもっと作ってもいいのかな、と望んでいます。
きっと、そういう場所が、私たちを支え、前に進めてくれる力になると思うのですが。
2011.07.01 Fri l 未分類 l COM(0) TB(0) l top ▲
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