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「幸福実現党」という政党が立ち上がりましたが、
ネット上で会員さんたちとのやり取りをしているうちに、完全にカルトと見て間違いないという確信が強まってきました。

今、私は彼らを批判しています。

私への彼らの態度がそれを如実に物語っています。

「あなたの文章からみて、あなたの心の針は地獄へ向かっている。」

その世界観を知っている者にとって、そう言われることがどれだけショックで、重いことか・・・。

でも、もうノセられない。

あんたらは「洗脳」されているんだ。
昔の僕みたいにね・・・。

このブログも最初のうちは、教団を批判しつつ、擁護すべきところは擁護するというスタンスでしたが、
なにかと、彼らのなかに異常な人が多いのが目について、それは一部の人かと思えば全然そんなことはないのです。

彼らは、人の心を簡単に踏みにじり、傷つける。
許せないです。

そんな教えが広がってはならないし、そんなことが政治に反映されてはならない!

やっぱり、根本原因は「法」にあります。
「エル・カンターレ」にあります。

それが、どれだけ恐ろしいことか・・・
教団内の人の認識では分かる。

でも、
堂々と語ります。

だれかが、勇気をもって語らないと・・・。
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2009.06.20 Sat l 未分類 l COM(2) TB(0) l top ▲
2003.10.6(月)

3時起き。勉強をするも進まず。
朝、家庭科準備室でカバンの「不動心」を友人Nに見られ、「Are You Happy?」と笑いながら聞かれる。
「『黄金の法』の映画見に行くん?」とか聞いてくるところをみると、結構、幸福の科学も知名度が一般にも高いようだ。


10.7(火)

依然として脱力感が続いている。日記を読み返してみると、こういった心の原因は、私の心が仏から遠ざかっていたことに起因するものであったと思う。
悪魔は常に私をねらっている。常に私と仏を引き離して、単独になったところを攻撃しようとしている。
私のやる気がなくなるにしたがって、私の信仰も薄れていった。
信仰はどんなことがあっても絶対に捨ててはならない。これは、それを捨てた時、その人がどうなっていったかということを見れば、信仰を捨ててはいけないということが明らかに分かるだろう。
信仰とは、仏と一体であることを魂の奥底から自覚するという行為なのだ。
すべてを仏に委ねよ。仏は私たちの魂の親。
悪魔の言葉に惑うことがあってはならぬ。信仰こそ、私たちに、すべての光を与えてくれるものなのだ。
信仰ありての言葉。信仰ありてこその行動。信仰ありてこその思いである。
信仰こそはすべてのすべてなのだ。
信仰とは、自分を信じ、仏を信じること。
それが分かってから、とても心がおだやかになってきた。これはとても私にとって大きな進歩だ。
信仰とはすなわち自分の仏性を確かめること。
信仰とともにこれからも進んでいきたい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「信仰」に関する認識は、今の私から見ても真理ではないかなと思います。
ただ、信仰の対象として、当時の自分にどういったものが描かれていたのかは分かりませんが・・・。

あと、その当時の自分の言葉に疑問があるのは、「信仰」って自分のためになにか利益を求めるためのレベルのものなのかな?
そういうものなのかな、ということです。
2009.06.19 Fri l 未分類 l COM(0) TB(0) l top ▲
2003.10.4(土)

悪霊が体の中から抜けない。
ずっと体がだるいし、嫌な気分だ。
心を清い方向に向けようとすると、嫌な気分になるし、特に真理の書籍を見ると吐き気がする。はっきりとした自分の考えをもつことができない。
この文章を書こうとすると手が動こうとしない。自分を励まそうとしても発した心が自分に届かない。
何者かがさえぎっているとしか思えない。天上界と心を通じ合わせたくないようにされている。
気持ちが悪い。助けてくれ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

電車の中で眠りながら夢の中で「主への祈り」を唱えた。
最初の言葉を唱えようとすると、悪霊が私の心を締めつけてきたが、壁を破るような感じで祈り続けた。
夢の中で研修室らしき中くらいの部屋で、生身の人間に混じって、前の方に光り輝く天使たちが集団で何かの周りに集まって祈っていたようであった。
そのあとどこかの山の上の建物から、誰かが金の矢を放ち、その光が下界の方の街を照らしていく・・・という夢を見た。

起きてみるととても気分がよくなってきた。
分かった。自分では何もできなくなった時は祈ればよい。祈りこそはエル・カンターレの最終兵器でもあるのだ。
夢の中で祈ったとき、心の中の黒雲が割れ、光が入ってくるのが感じられた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
塾の自習室へ。
試験前というのに全く集中できない。頭が変だ。
考えることができない。考えるスイッチがオフになっているみたいだ。
もうここまでくると焦りたくても焦ることができない。感覚がボヤーっとしている。
寝てもダメ。気分を変えてもダメ。本を読んでみてもダメ。
悩みとかそういうものではなくて、完全に考えをひとつのことに向けることができなくなっている状態。
ただ、ボケーとしていたい状態。
あかん、やる気が出てこない。こんな姿天に見せられない。



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当時は、土曜日も学校がありました。

高校生の時分、「たんなる落ち込みにしてはおかしい」と思いつつも、その症状に「鬱」という名前があることをはっきり知りませんでした。
2009.06.18 Thu l 未分類 l COM(0) TB(0) l top ▲
2003.10.2(木)

今日は遠足。目的地は奈良。
(Kさんから)メールで「そうしたいなら、行ってもいいけど」(注:おそらく映画のことか)という返事が来ていた。
天よ、どうかお誘いを成功させてください。もう祈るしかないです。

(中略)

東大寺まで行く。その本殿の大きさに圧倒された。そして、この旅のメインにしていた御本尊、蘆舎那仏(ママ)についに出会えることができた。蘆舎那仏はリバティーにもあったように、本仏、すなわちエル・カンターレなのである。
その大きさもすごく、本部・正心館(注:正式には総本山・正心館)で見た大エル・カンターレ像を見た時の感動にも似たものがあった。
いろいろな国から参拝にきていた人がいた。思ったことは、今や大仏はあまり信仰の対象にはなっていないのではないかということだ。手を合わせている人も少ないわけではなかったが、大多数の人は「大きい」とか「すごい」とか、そんなことしか頭になかったように思われる。
大仏を見ていて1300年の歴史というものが見えてくるようであった。奈良時代の開眼よりこのかた、この大仏は幾重の修理を重ねながらも一体何人の人間を見つめてきたのだろうか。
果たして今、大仏に光は在るのだろうか。
本仏が肉を持って法を説かれている事実を、この本仏をかたどられた大仏はどう感じているだろうか。
素朴な信仰でしかないこの大仏は建立当時の聖武天皇の、人々を救いたいという願いを時代を超えて反映しているだろうか。

(中略)
梅田へ。紀伊国屋では、黄金の法がなんと一位の売り上げ!喜ばしいかぎりである。
信者数が増えるということは、それだけエリート層が厚くなるということだ。私も彼らに負けることなく、一人でもよいから、孤独に耐えて倦まずたゆまず精進していきたい。
幸福の科学コーナーで何冊も本を買っていった人がいて嬉しかった。
やっぱりああゆうところで立ち読みしていると、心がきれいになったみたいでとても気分がいい。
ああ、幸福の科学の人たちと仏法真理のことについて心ゆくまで語り合いたい。

気づいたのだが、悪霊というものは、暗い心を持っているとそこに入ってくる。当り前のことであるが、そんなことなど無視していた。いかなる理由であっても暗い心を引きずることは悪霊の格好の標的となるのだ。
だからそういうことになった場合にはいたずらに深く考えることなく、気分をリフレッシュして明るい方向に考えるべきだろう。

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それ自体はなかなか良い気づきだなと感じています。
純粋に求めていたんだな、そう思います。
2009.06.18 Thu l 未分類 l COM(0) TB(0) l top ▲
2003.9.30

朝、Kさん(注:メールで「死にたい」と語っていた女の子)に「チケットが50枚ほど余っているのでもらってくれ」というメールを出す。
まだ映画の名(注:「黄金の法」)は伝えていない。
小さくではあるが、確実に歩は進んでいる。メールを始めた当初のような絶望感に溢れるようなことを言うことも少なくなってきた。
そして、特筆すべきこととしては、カト研(注:カトリック研究会。高校がカトリックで聖書などを読む小さな集まりがあった。)のY先生に黄金の法のチケットをあげることができたことだ。これは勇気と信仰の賜物であると思っています。ありがとうございます。



10.1(水)

Kさんに「映画って?」と聞かれ、BBS上に映画のHPを載せていることを勇気をもって伝える。ついに信仰告白をしてしまったようなものだ。
真理に対して何の興味も示さない彼女の冷やかな反応が返ってこなければよいが・・・。
しかし、真実の世界のことを勇気をもって伝え、眼を開かせることが私の使命。決して一歩も引かない。私の考えや理想と、この地上世界のギャップに苦しむ今日この頃ではあるが、今も世界中で光の戦士たちが法戦を推し進めているのだ。
未来館であったNちゃん(注:当時、小学校5年生だったと記憶しています。同じ研修を受けて仲良くなりました。信仰に篤く、素直な子どもでした。
講師の方に「この地球をお造りになったのは誰かな?」と聞かれて、「はい。主エル・カンターレです。」と答え、講師の方は「そうだね、仏様が造ったんだね」と返していたのを覚えています。)は、昔、宗教で被害に遭った人に対して一生懸命伝道をしているではないか。遠くでこんな小さな子が戦っているのだ。ましてや私は引くことなど許されない。
頑張れ!Nちゃん!
頑張れ!世界に散らばる光の戦士たちよ!共に伝道を大きく推し進めていきましょう!


私はすべての人を「先生」としたい。私にとっては光の大天使から、地獄のサタンまで、すべての者から何かを得るべきものであるのだ。

今日の学校生活の後半部分で私は悪霊に憑かれてしまった。日々、これほど自分の心に磨きをかけていても、ほんのわずかな隙から魔というものは入ってくるものなのだ。
非常に苦い思いをしたが、とてもいい経験になった。
しかし悪霊も見事に入ってきたなぁー。おみごとおみごと。
今からあんたたちの分析するからもう二度と入ってこれないよ。



Kさんに「黄金の法」を紹介したことに対して、ちゃんと受け入れてくれるかどうかの不安や、無事にT先生(注:学校の先生。宗教の授業を担当していた。)に映画のチケットを差し上げることができるかといった不安が続いていた。

(中略)
掃除のことで、先輩に注意される。この時点で、私の心は完全に悪霊に憑依されることになってしまった。日々心を磨いて守護霊とも心を通わせることができるようになっている私にとってこんなことはとても恥ずかしいことだったのである。
そこで私は落ち込み、半ばうつ状態になってしまったのである。
(中略)
その後、自習室でなにげに「宗教の挑戦」を読んでみた。読んでいると不思議と心の黒雲が吹き飛んで行くようであった。ここで私の心から悪霊が抜けていったのである。危ない所であった。あのまま悪霊に翻弄され続けていたら、今まで培ってきたものが無駄になるところであった。
しかし、私の心はまた強くなった。心の揺れを無くしたなら、次の目標は「念の集中」である。





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わたしには「自分の学んだ言葉を伝えることで人を救おう」と思っていた節があったようです。
信仰がないから彼女は不幸だ、信仰を持つことで彼女の人生は変わる、そう思っていたようです。
なんと傲慢なことでしょうか。

でも、やっぱり、信者も周りの反応が怖いなか、「自分の信仰が試されている」と思って伝道に踏み切っているのが常なんでしょう。

あと、私も同じでしたが、信者は常に「悪霊」を気にして生活していますね。
悪霊に責任を転嫁するよりも、正面から自分の心を見つめなおす方が大切です。

悪霊なんてことを考えて生活しだすと、毎日が怖くて怖くてたまりません。
だから、さらに信仰を求める・・・

なんか、奇妙な・・・詐欺にあっているような気がするのは私だけでしょうか?
2009.06.18 Thu l 未分類 l COM(0) TB(0) l top ▲
2003.9.29

助けてくれ!
不安なんだ
何が不安かって?
世界の未来?
国の未来?
自分の未来?
いつやってくるか分からない嫌なもの?
自分が明日生きている保障なんてどこにある?
僕には何もわからない
周りは暗闇だよ

苦しいんだ
呼吸(いき)をしているのにちっとも楽になんかならない
自分でも何が不安なのか分からない

やめてくれ!
これ以上僕を苦しめるのは

一体僕は一人で何処へいこうというんだ
行きたくない
何があるか分からない場所へ

でも動かなきゃなんない
止まれないんだ
止まりたくない
でも動きたくない

一体どこへ行けばいいんだ
どうすればいいんだ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

夜中に風呂に入って上をふと見上げたら、私の上で天使と悪魔が戦っていた。
頼もしく思ったと同時に悪霊に憑依されかけていた自分が情けなくなった。
私が苦しんでいるときは彼らも我とともに戦ってくださっているのだ。
いつも本当にありがとうございます。
迷惑ばかりかけてすみません。
これからもよろしくお願いいたします。

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そのあとに「守護・指導霊への祈り」が書かれていました。

宗教の中にいても、やはりどうしても拭いさることのできない「実存的な不安」というようなものはあったんだと思います。
ちゃんとそれと向き合っていたようです。

そこから救いを求めるために私は、強く「信仰」というものを不自然なまでに求めていたんでしょうね。
2009.06.18 Thu l 未分類 l COM(0) TB(0) l top ▲
「2003.9.24
それより、再び魔が私の心に入り込もうとしているのを感じる。夢の中でもネット上での教団への批判のささやきが聞こえ、無意識中のスキを狙って、わが信仰の柱を揺さぶろうとする。
また、自己顕示欲という己心の魔とも戦いの決着はついていない。私の悟りからの慢心か、偉いことを言って人々からの賞賛を得たいという欲が時折心に去来する。
これは戦いだ。このような時こそ心を落ち着けるのだ。欲を心から排せ。常に穏やかな心境でなければ、あなたは本当に悟っているとは言えない。

聖書にもあるであろう(マタイ6-1)
 あなたがたは人々の前で自分の行いを見せびらかさないよう気をつけなさい。さもないと天におられるあなたがたの父のもとで報いを受けることはできないであろう
・・・と。
あなたは一体何のために悟りを求めているのか。人々からすごいと言われたいからか。それは奪う愛以外の何物でもないのだ。それは愚かであるということを肝に銘じておけ。」

「『上求菩提・下化衆生』について思うこと。
非常に難しい。何も知らない人に話を合わせ、伝道しようとすると、どうしても波動が下がってしまう。意識は常に高く、そしていつも笑顔でやさしく、人の話には耳を傾け、凝り固まった文章でなく、さりげなく仏法真理の話を身近なところから話してやる・・・まずはこれを目標にすべきか」


・・・あなた一体何を悟っていたんですかねぇ?

というか、当時はとても窮屈に自分を考えて悩んでいたんだなぁ、「素の自分」で生きるということをダメなことだと思っていたのか、と思いました。

それがいいことだと信じて自分の心を捻じ曲げていくことこそ「マインド・コントロール」にほかならないです。

素の自分で生きている今の方がよっぽど気が楽です。
2009.06.18 Thu l 未分類 l COM(0) TB(0) l top ▲
「2003.9.23
旧版太陽の法を読む。私の知っている太陽の法とはだいぶ違うものでGLA風の教えが多く見られた。高橋信次に対する見解も方便の時代の終わり以降とは全く違うものであり、さらに特筆すべきことは、大川先生の昔のことがとても一人の人間らしく書かれていたことであった。
その後の修正はおそらく、後に世界宗教ともなる幸福の科学の総裁がこんなに劣等感を持っていた時代を持っていたという事実は、後にこの法を知る者にとって信仰を確固たるものにしないとしないための(ママ)慈悲であろう。
現にあの部分の文章を見た時は大変なショックと同時に、エル・カンターレであられても、やはり努力と劣等感という人間的な感情に揉まれて、そこから大悟されたのだなという感動も覚えた。
でなければ常勝思考や不動心といった素晴らしい本が書けるはずがない。
何もしらない輩がネット上でくだらない批判をしているが、あなた方は本当に先生の書籍を読んでいるのか。なぜ、あのような素晴らしく人の心を打つような文章を書く人が狂人と言えるのか。書籍がすべてを証明している。
大川先生はまぎれもなくエル・カンターレであり、仏陀以上の存在なのだ。
この世界をエル・カンターレを中心とした仏国土にするためには、たとえ正しい教えであっても、さらに大きな光のためには犠牲になるのをやむをえない。
地球はエル・カンターレ信仰のもとにひとつになるのだ。しかし、一の負の要素があれば、百の正の要素も否定できない事実。BBSでもそれを悟った。そこが難しいところである。
しかし、闇はどんどん小さくなっている。もうすでに光の時代がやってきたのだ。ほんの小さな隙を見つけて忍び寄る魔に惑わされてはならない。
幸福の科学以上に世を救える団体があろうか。ないであろう。
成長の家もGLAも素晴らしいものであることは誰も否定できない。
現に私もそれらからも大きな学びを得ている。しかし、これほどまでに世界に通用し、真実を教えることのでき、時代を変えることのできる団体は幸福の科学以外にはない。
現にここまでの真実の教えが語られたことは人類史上なかったであろう。
私、我々は奇跡の時代に生まれているのだ。眠っていてはいけない。その尊い1年を、1日を、1時間を、1分を、1秒を、二度とめぐり来ることのない黄金の宝を得ることに投じねばならないのだ。

目を覚ませ!今こそ迷妄という名の闇を打ち砕くために自我を捨てなければならない。常にこのことを忘れるな。」



あなたこそ目を覚ましてください(笑

・・・・みなさん、私を笑ってください。

この延長線上にある自分という存在が少し怖く感じられてきました。
2009.06.18 Thu l 未分類 l COM(0) TB(0) l top ▲
「2003.9.22
それにしても、私の触れた大いなる悟りをどうやって世に問うことができるかどうか考えている。相手は何の知識も持たず一日一日を生きている一般人。いきなり高度な事柄を教えても理解できようがない。波動を庶民レベルに合わせ、そこから高い波動の見解からヒントを与えるのがよいのだろうか。
普通の人は仏法真理というものを知らないし、見向きもしたがらない。
果たして亡くなった人であってもそれを伝えて納得してくれるであろうか。理解してくれるであろうか。ん~、大丈夫だよな。
現在自分が霊であることを認識してくれたらきっと、そのことを伝えて納得がいくと思います。

(中略)

自らを限りなく透明な存在として、我欲なき心をもって、さらにそれが正当な理由をもった行動であれば反対勢力に関しては無我の怒りでもってして戦わなければならない。

私のこれからの課題は自己顕示欲との戦いである。
(中略)
負の感情をみじんも抱いてはならない。
正の感情を限りなく増やしていかなければならないのだ。くやしいと思う時にこそ自分を落ちつけよ。その時に自分の真価が問われる。」




おい、自分!!おまえは何様なんだ(笑)
自分は「危険人物」でした
本当に自分がこんなこと思ってたなんて信じられません・・・。
洗脳から解かれて本当によかったです・・・。

当時は、「心のコントロール」ということにものすごく気をつかっていて、鬱とか、悪い感情を出すことをとても抑えようとしていました。
でも、それって、本当は不自然なことですよね。
2009.06.18 Thu l 未分類 l COM(0) TB(0) l top ▲
思い返したように昔の日記を見ていたら、KKにはまっていたころの私の文章が出てきました。

2年前、過去の自分と決別する意味で燃やそうとしていましたが、やはり取っておいてよかったです。
感受性の強かったころの私の信仰の想いをナマで、そのままいろいろと載せていきます。

アウグスティヌスさながらに「告白」させていただきます。
貴重なスペースお借りして申し訳ないです。
興味のある方はニヤニヤしながら読んでください。

2003年、6年前、私が高校1年生時代のものです。

「2003.9.16
●序文
(前略)
これは自分が自分と対話するための自分自身のオリジナルの問題集となり、魂の軌跡を刻むものとなるだろう。今、自分の中で何かが次々と目覚めているのを感じる。
自分にとっては一日一日が今までにないほどの大きな学びであり、目には見えぬこそすれども大きな進歩なのである。
次々と限界を超えた悟りが頭のなかにやってくる。
しかし裏では心の隙を狙ってわが魂に巻きついてがんじらめにしてくる魔との戦いの日々なのである。そのため私は魔と戦うマニュアルをつくるためにも、ここに日々忍び寄る魔の傾向性をとどめ、戦い方の研究をせねばならない。魔との戦いの中にこそ大きな発見、教訓がある場合がある。それを掴んだ瞬間、光が通り、大いなる悟りが得られるのである。
おそらくここに記す嵐の中の航海になるであろう日々の記録は当分私が私自身のために贈る一本の鉞となるであろう。
いずれその鉞は自らのためのみならず、万人のためにも尽くしたとき、大いなる光を発し、未来を創っていく・・・そう信じている

決してあきらめるな!!」


私の心の傾向性それ自体は、KKを信仰していたころとあまり変わっていないのではないかと思います。

そして、現在はKKから離れましたが、ここで決意した歩みは6年経った今も続いているのではないかと思います。



あと、その年は「黄金の法」の映画がやっておりまして、インターネットでレビューして、点数あげようとしてました。

http://www.eigaseikatu.com/imp/4033/55847/

「中間試験も終わり、やっと観にいくことができました!
自分が映画の対象世代であるということもあって、夢と希望をもらうことができました。と同時に、それ以上に、自分も映画の中に出てきたひとたちのように、多くの人々を幸せにしていきたい!という気持ちが強く湧き上がってきました。ほんとに純粋な気持ちです。
映画は前半のほうで泣きつかれてしまい、後半の「ここで泣かんかい!」といったところでなけませんでしたね・・(笑)
映画自体の「面白さ」としてはやはりみなさんが言うように残念ながら個人的に満点はつけられないと思いますね・・・。そこらへんは改善の余地がありそうですね。(まあ、私は法を学ぶ方が好きなので、個人的には前作の「太陽の法」のほうがよかったですね。)
しかし、大きく心に響いて、今もその揺れがどんどん大きくなっている私達へのメッセージがたくさんありました。いま、この映画に対する印象は観終わったときより、どんどんあがっています。
この映画はほんと普通の映画じゃありません。

大人のみなさんがつまらないとおっしゃる理由がわかりません。え~、なんで~? 」

「やっぱり本当にこの映画はいい映画です。
普通の映画だったら何回も観ているうちに飽きてくるけれど、この映画は飽きるどころか観れば観るほど、自分のなかで輝きがどんどん増していく・・・。
これは「太陽の法」でもそうですが、映画館、ビデオで観たのも含めもう観たのが15回を超えますが、やはり観るたびに自分の心の状態に応じて新しい発見、新しい感動があります。

実は僕にはず~っと「世界中の多くの人々に愛を投げかけ、すべての人を幸福にしたい!」という大きな夢があります!
まさにサトルは僕自身です!時代、環境、目指すものは違えど、やっぱり夢は同じです!
この映画は、これからの日本、そして世界すべてをユートピアに変えていく僕達「ゴールデン・エイジ」のみんなに対して大きな大きな心の糧となるでしょう。

僕が本当の信仰に目覚めたのは、ほんの4,5ヶ月前、自殺を考えていたメル友の子のことを祈りだしてからなのですが、その間に僕はあらゆる悩みを悩みつくして、一時は本当に苦しかった時もありましたが、
それを知恵の力で克服したときはまさに大悟の瞬間でした!
今、僕にとってはまさに一日一日が黄金の時です!
彼女ともやりとりを続けていますが結構明るくなってきました。この前、映画のチケットを送りました。
どうか、どうか真実に気づいてください。そう祈る限りです。


KKにのめりこんだのは、友人に苦しんでいた人がいたからなんですね・・・。
その彼女を助けたいという思いからでした。



・・・昔の僕が、今の僕を見たらどう言うでしょうか[m:78]
2009.06.17 Wed l 未分類 l COM(0) TB(0) l top ▲
C「ねぇ・・・
先生は自分の頭で考えることが大切っていったけれど、
二人のやりとりをみていると、本当に大切なものがなんなのか分からなくなってきそうだよ・・・。
何を安心して信じていいのか分からなくて、苦しい。」

B「いいかい、大切なのは何を信じ、従うかじゃないと思うんだ。
一度、頭をからっぽにしてごらん。
本当に求めるべきものは『僕』がどう生きるか。どこに心の安らぎがあるか。どこに心をワクワクさせてくれるものがあるか。どこに、深い自分と巡り合える静けさがあるか。

本当は、集まりとか、何に従うとか・・・そんなの関係ないって思いたい。
でも、人とのつながりは大切だけれどもね・・・。」

A「みんな、『私たち』のなかにあるわ!
いや、『私たち』以外のどこにもない最高のもの。

私も、本当は迷ったり、疑ったりしたときはあった。
でもね、やっぱりどう考えても、この教えは本物だ、って。
本当か、本当かでないかは分からないわ。
でも、『あの人』のすごさや、本物の情熱を見ていると、もう信じるしかない、って。」

C「それじゃあさ、ばうあー、もう関わらなければいいだけの話じゃない?なんでそんなにこだわるの?」

B「その通りだよ。
今までずっと、自分の心を隠しながら、誰にも話さず『それでいいかな』と思いながら生きてきた。
関わるたびにケンカして傷つくんだ。考え方の違いでね。
もうまっぴらだと思った。
文句を言いたいことは本当はたくさんあるんだけれども、大切なのは自分自身がしっかり生きること。
何の信仰も関係ない・・・一人の人間として、あがきながら生きてきた。
でも、僕はそれでいいと思っている。それよりも、ひとりの人として、平凡な周りとの関わりや友情を大切にしたかった。それで幸せだった。」

A「せっかく、主が降誕された時代に、もったいないっていう気持ちでいっぱいだけれど、そこまで言うなら仕方ないわ・・・。
いつか戻ってきて、正しいって分かる日が来ると信じている。」

B「(結局、自分たちが正しいことが前提で俺を見下してんじゃねえか。でもまあいいや。
もう無駄な戦いはしたくない。
お互いに自分の信じる道を平和に歩んでいければそれが一番いいんだ。)

・・・多くの人たちが、何かを批判するときに、あらさがしばかりしかせずに、本当に大切なものに対する問いかけをほとんどしていないように感じる。
僕は・・・文句ではなくて、いつも、『本当に大切なものは何か』『あれ?それ、本当なのかな』という批判の姿勢を忘れたくないなぁ。」

A「いいことを聞いたわ。それは私たちにも言えることだと思う。ありがとう。」

C「なんかまるくおさまったみたいでよかったね。平和が一番だよ。」




B「・・・でも!」


A「!?」

C「まだ何かあるの?」


B「僕は戦わなければならないんだ。

これは、神父さんも、僧侶も、大学の教授も、ジャーナリストも、学校の先生も、親しい友人も誰もできない!

なぜなら、誰ひとりとして、僕たちの目線を知らず、その目線に立って物事を語れないからだ。

だから、僕が戦うしかない。

これが、終わったら、僕はまた普通の一人の人に戻るよ。そして、自分の人生についてウンウンうなったり、周りの友達を大切にしたりするよ。

いいかい、大切なのは思想や集まりでなくて人間、ひとりの人間なんだ。レッテルを貼って見て差別しちゃいけない。
それを繰り返し、繰り返し言いたいんだな、僕は。」

A「で、結局何が言いたいの?」

B「『君たち』の起こした精神的な被害についてだ。」

A「だから、法をしっかり学んでいたらそんなの絶対にありえないって!もし、そんな人がいたとしても、それは主の教えとは違うことだわ。」

B「事実だ!
 Aさん、これをあなたたちはどう受け止める?正当化するか?それとも反省するのか?『君たち』の教えに従って。

 これらに対する『君たち』の反応をみて、『君たち』は危ない、と強く感じている。」

A「仏法僧への三宝への帰依は絶対よ・・・。現生の仏陀に従い、正しい教えに従い、正しい心のあり方を探究する人々の中に入り込み、これを乱そうとするものにどんな理由があっても許されるものではないわ。
でも、主は裁きの神ではなく愛の神・・・いちど過ちを犯した人でも謝れば許してくれる。」

C「なんか、怖い・・・。」

A「正しいことを強く守り抜くためには、そこまでの厳しさも必要なのよ・・・。」

B「ひとつめ、いこうか。

『君たち』の集まり始めたころのある幹部が、自分の良心に忠実に従った結果、『その人』を信じることをやめて、集まりから離れた。
そして、ひとつの本を書いた。
http://www.geocities.jp/nancywatts2008/

それに対して『君たち』はどういう反応を取ったと思う?」

C「自分の良心に忠実に動いた・・・いいことだね。」

B「彼らはね、『完全にサタンの憑依を受けた人間の書いた本で、その名前を出すだけでも気分が悪くなる。完全に事実無根の本である。手にとっても絶対に読むな。』と言ったんだ。」

C「え・・・ひどい。そんなにひどい本だったの?みんな嘘だったの?」

B「でも、裁判でその本にあったことはみんな事実であったと確証されたんだ。」

A「そんなことがあったなんて、知らなかった・・・
でも20年近くも前の話でしょ。今とは全然違うわ。集まりもとても大きくなってきているし。
組織が大きくなれば、それに合わない人が切られるのは当然のこと。自我が強すぎると、主のお仕事の邪魔になる。」

B「『自分たちにとって都合の悪い本は見せない、読ませない』
カルトの条件の一つだ。」

A「嘘よ、嘘!私の周りにいる人たちを見ていてとてもそんな風には思えない!

・・・悪魔は一部は正しいことを言って、信仰を揺らがせようとつけ込んでくるって言ってたわ。
私は、智慧の力であなたの誘惑をはねのけてみせる!」



B「もうふたつめ。・・・こういうことはキリがないんだけれどもね。

ある『君たち』の一部の人が、子どもを癌で亡くした親に対して『自己責任だ』と言い放っている。唯物論の現代医学を否定して、薬や、医者は信用できないと言っている、そういう教えがはっきりあるんだ。
それが、真実であろうとなかろうとどれだけその人を傷つけていることになると思う?」

C「ひど・・・」

B「あとは、精神障害者の方に対する差別だね。

もし、耳元で誰かがささやいている声が聞こえたり、考えがまとまらなかったり、すごく悲観的な考えが止まらなかったりしたらどう見る?」

C「心のバランスが崩れちゃったんだね。そういう病気だよ。」

A「間違いなく100パーセントそれは悪霊の憑依だわ。脳の一部がどうのこうのとか言ってるけれど、医者は何も分かっていない。
悪霊が作用しているのよ。でも、悪霊のせいにばかりしていてはだめで、波長同通の法則。悪霊は、その人の暗い悪想念にひかれてやってくる。
いままでの自分の行いや想いを反省して、間違ったところを改め、仏に罪を詫びるよう祈れば光が差し込んできて回復するわ。
それでも治らなければ、祈願を受けるとかすれば必ず主の光が通って完治するはず。」

B「・・・という風にね、なんでも『悪霊』のせいにしてしまう。
 なにしろ、あたかも散歩にでも行くかのように霊界があるということは常識になっているから。

『そんなデタラメな。わからないことでもない、ひょっとしたら真実はそうかもしれない。
いや、真実を信じなかった生き方をしてきたからこうなったのかもしれない。』という風に苦しんでいる人は考えてしまう。」

A「真実よ!」

B「どうやって証明できるんだ!?」

A「証明できないものしか信じないという考え方は唯物主義だわ。死後行きつくところは自分が死んだかも分からない無間地獄よ。」

B「・・・という風に、『あの世』を出せばなんでもまかり通ってしまう・・・。」

C「どうしたらいいんだろ・・・」

B「被害にあった人がそれを口に出せる場所がない。
なぜなら、『その人が悪かった』で片付けられてしまうから。
いや、そんなレベルじゃない。被害に遭って苦しんでいる人は『自分は悪霊の憑依を受けている』『こんな奪う愛の精神状態じゃ、悪いのは自分だ』と、自分を罰してしまうこともあるんだね。

そして、もし彼らに傷つけられ、批判などしようものなら、彼らから白い目でみられ、挙げ足ばかりとられ、粗さがしばかりされる。

そして、単なる被害妄想だ。自分の仏性を信じなさい、といったことでたしなめられる。

誰も、勇気を持って『あんな考えは間違っている!』とは言えない。
『真理を穢す人なんだから、苦しむのも仕方ないか。』と思ってしまうんだ。

そして、『信仰の深い』と言われて褒められている人ほど、苦しんでいる人をさらに追い詰めるような言葉を平気で口にできる。

そして、組織にとって都合の悪いことはさっきの本のようにどんどん隠していく。

『人』が大切じゃないんだ。自分たちの信じるものの権威のほうが大切なんだ。」


C「それって、いじめと同じ構造じゃない?」

A「待って、私たちは今いじめ撲滅キャンペーンをやっている。
いじめは悪だ、絶対に許さないという気概で戦っているわ。」

B「そのいじめ対策マニュアルを、『君たち』に対して講じたらどうなるだろうね。


『はだかの王様』というお話を思い出すね。
あれはあれで単なる笑い話だからいいけれども。

実験だ。足し算はもう習ったよね。」

C「うん。」

B「7+9は?」

C「え~と、16かな?違うかな。」

B「周りを見てごらん。他の子は一人残らず、15って答えているよ。」

C「あ、じゃあ、違うのかな?
・・・自分ひとりだけ間違っちゃった・・・恥ずかしい。
直さなくちゃ。」

B「いや、正解は16であってるんだけれどもね」

C「なんだ~」


B「計算問題なら、まだいいかもしれない。
周りの人が、みんなみんな、ある人をあがめて『素晴らしい素晴らしい』って言っていたら?
自分だけひとり、それをやらないことはできるかな?」

C「仲間外れになりそう・・・。形だけでもやっちゃうかな。」

B「さらに、それをやらなかったら、みんなから白い目で見られることが分かっている、としたら?」

C「特にやりたくない理由もないし、我慢してそうしちゃうかな。」

B「うん、普通はそうだよ。
 でも、どんどんどんどんそのレベルが上がっていく。
 そして、違和感もなく、自分というものは変わっていってしまうんだ。
 そして、思う、『今までの自分は間違っていた』と。」



C「・・・・なんだか、怖くなってきたよ。

これから、なんでもかんでも疑いの目で見なければならないの?」



B「僕は、目に見えないけれど、信じられるもの・・・いっぱいあるよ、そう言いたい。

手をつないだときの暖かさ、平和な心、子どもを抱きしめるときのやわらかさ・・・

それは、どこにでもある。
『彼ら』ももちろんたくさん見つけている。

同じだ。だから、つながっている。

でも、頭で考えることの違いで、それは人を生かしもするし、傷つけもする。
ただ、ばうあーはそれだけを心配してるんだ。
だから、絶対に平和のないところにはなびかないし、したがいもしない。

ひとつになんかまとまんなくていい。

誰にも無理して心を従わなせなくていい。

僕は、僕。君は君だ。

どんなにちっぽけでも、人が生きていることのなかには意味がある、
そう信じている。

それはどういう場所でかは分からない。

でも、誰かの考えることによってその都合で決定されたりするものではない、自然に任せたら、きっとうまいところにいく。

また、僕はひとりの人に戻ります。

最後に祈らせてください。

じゃあね、おやすみ。」




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ビクビクしながら、反応をこわがりつつ率直に考えたことを書きました。

自分の伝えたいことが、どれだけ伝わったかは分かりません。
ひょっとしたら偏っていたかもしれないし、「それは違う」という人もいれば、「その通りだ」と頷かれる人もあるかもしれません。煮え切らなくて当たり前だと思っています。

ただ、僕の伝えたかったことは、「偏見で見ず、何が根本的な問題なのか。自分の目で見てしっかり考えて」ということです。主張とか主義とか、その前にまず、「いちばん大切にすべきものは何なんだろう」ということを考えていました。

3人の違う立場の人を出してしゃべらせることで、自分としてもある程度客観的な見方を理解しつつ、物事を捉えることができたのではないかと思います。

ただ、「子ども」の素直な心がなければ、もっともっと嫌になるような言葉が飛び交っていたかもしれません。



2009.06.10 Wed l 未分類 l COM(1) TB(0) l top ▲
C「二人ともケンカはやめなよ

ケンカして嫌な気持ちになるんだったらそのために信じるものなんていらないよ。
そんなの神さまが喜ぶと思う?」


A「ばうあー、あなたは理屈ばっかりだけれど、結局のところ雰囲気に光がかんじられないわ」

B「否定はしない。『君たち』はみんな心がきれいで、明るくて積極的な考え方を持った人が多い。
僕は正直、君たちを見ると自分が後ろめたい気持ちになる。
僕はこういう純粋な人たちを批判しなければならないんだ、とね。」

A「それは、みんなが強い主への信仰を持っているから。それが根底にあるの。
いい教えを説いているというだけじゃ、みんなバラバラ。そこまで力は生まれない。」

B「でもね、いいかい、どんなに優れた集まりであっても、所詮は人間の集まりなんだ。かならず、かたちにとらわれすぎるあまり間違いを犯す。
それを完璧なものであると信じ込んで離さないところからさらなる間違いが起こる。
大切なのは、常に批判的な目をもって、自分自身しっかりとした考え方を持つことなんだ。
ヨーロッパでも中世で、信仰と理性に関する学問が確立された。
理性は信仰を支えるもので、最後まで目をあけて考え続けるのが本当の宗教なんだ。」

A「それは、救世主が地上にいない時代だったらいいかもしれない。
でも、今は永遠の仏陀が地上に降りられて全世界ユートピアを実現しようとしている。だからその時はひたすら自分を捨ててそれに従うのが当然のことよ。

私たちは世界中の宗教の争いをすべてなくすつもりの覚悟で活動しているわ
それができるもっと高いレベルの宗教が私たちなのよ。」

B「あんたたちは、自分の頭で考えることを放棄して、無批判に『その人』の語ることを100パーセントの真実だとして受け入れている!」

A「それは、その通りよ。『自分中心のこざかしい考え方を捨てなさい』と主も説かれているわ。

『疑って疑いきれないものを信じる』という考え方は、自我の強い『裏側』系統の仙人的な信仰だわ。

『非合理なればこそ我信じる』とも主は説かれているわ。そこにこそ宗教の本質があるんじゃないの?

だから、ひたすら信じる。
信仰は魂の命綱。離したが最後、待っているのは地面ではなく、無限の奈落、闇の底なの。
命と信仰をどっちを取るかと聞かれたら迷わず信仰を取ります!」

B「それがまさに洗脳なんだよ!
疑わずに、ただ信じなさいというのはオウムの麻原が言ってたことと全く同じだ。」

A「地獄霊に振り回されたあんな集団と一緒に見ないで!彼らと私たちが違うのは教えをみたら一目瞭然だわ。
それに、私たちは事件が起こる前から彼らを問題視して、救済活動を進めていたわ。
だから、違うの。

洗脳としか見えないあなたは目が曇ってるわね。
むしろあなたの方こそ、戦後の日本教育の唯物思想に洗脳されているとしか思えない。

教えの分かり具合に合わせて『上根(じょうこん)』『中根』『下根』という風に説かれているけれども、いくら言っても分からないあなたの場合は下根かしら。
主の書籍をあなたは何冊くらい読んだの?」

B「100冊以上。
高校時代なんか、俺が日本一だと言わんばかりに読み漁っていたね。
でもね、結局のところ本当に幸福にはなれなかった・・・。

学校の閉塞感は変わらないし、
親の罵声も止むことはない。
毎日の憂鬱な気分は晴れることもない。

無理やり自分の心を騙し騙し、明るい雰囲気を演じようとした。

いちばん、恐れていたのが、自分の心境が地獄に通じるものでないか、自分の考えは悪魔に支配されていないかという恐れ。
自分の心が、自分で支配できない、変えることのできないということが怖かったんだ。
いつも何かに責められるような気がしていた。

そして、『君たち』はどうだったか!?
一人の人間と正面から向き合うより、『伝道』して自分たちの大きさを増すほうが大切、『主』を讃えることのほうが大切だったんじゃないか?

俺は、どうせなら、それを見ないようにするより、自分の闇と正面から向き合うべきなんじゃないか、と思い始めた。

『君たち』にとって闇の心をもつことはすなわち悪徳で、向き合うことも許されないんだ。
そして、さらに居場所を僕は失っていった。」


A「今わかったわ・・・
あなたは、結局信仰を貫けなかったのね。退転してしまったのよ。
結局、銀貨10枚に負けてイエスを救世主と信じられず売ったユダと同じ罪を犯しているの。
自分の醜いエゴが傷つけられたのに対して、うまいこと理屈をつけて『私たち』に向けて発しているだけ。それで、自分の魂をさらに穢してしまっている。
本当は何もかも自分のせいじゃないの!!
主はなにも悪くないわ。

いずれ、『私たち』の正しさが分かるわ。
本当に幸福になるためには、まず、主に対する信仰を確立することですね。」

B「そういう偽善ぶった押し付けの態度が嫌なんだよ!
結局、あんたも自分のところに俺を取り込みたいだけだ。
変えられない人の心を変えようと、人の心のなかに土足で入りこんで、あれこれ指示を出す。見下しているんだよ。
それがいやらしく感じられる。
そうなってしまった時点で、真正な宗教とはいえない。


いいかい、人の心っていうものは、
疲れたときには疲れ、悲しい時には悲しい、傷ついたときには傷つく、怒るときには怒るんだ。
それは人間として当たり前のことなんだ。

それを、『悪想念を発してはならない』で、無理やり押し込めることは不自然なことで、危ないことなんだよ。

闇と正面から向き合わない偽善・・・それがさらに人間を偽善に仕立て上げていく。

そして、それを他人にまで強制するだろう。あんたたちは何様のつもりだ!?」


A「あなたこそ何様のつもり?
だれしも、心に闇を抱えているわ!あなた一人だけじゃない!うぬぼれないで!
あなたは自分で運命を変えていく努力を放棄して、幸福になれない原因を周りの環境のせいばかりにしているだけだわ。

だから、『奪う愛』から『与える愛』に切り替えていくことが大切なんでしょう。」

B「なんだと・・・っ
・・・いや、・・・そりゃあ、間違ってないや。
何年間も自分っていう枠のことばかりに捉われて苦しんでいたけれど、俺は人のために生きることで自分の心に光を見つけた・・・。
奪う愛でなくて、与える愛・・・それは真理だ。正しい。

だがな、あんたらの思想がどれだけ多くの人を傷つけているか、知ってるか?」

A「そりゃあ、私たちはみんな仏の子だけれども、不完全。当然間違うこともある。
もし、そうなってしまった場合は反省の教えに従うわ。

でも、法が人を傷つけるなんてことは絶対にありえないわ。主が説かれることは、永遠の真理、光の根源だもの」

B「そうか、知らないのか。だったら、実際に見せるよ。」





C「(なんだか、どんどんヒートアップしてきて入れなかったや。

信仰って何かなぁ?えらい人の言うことに従うことかなあ。それを信じて疑わないことかなあ。

見えない世界のことについてふたりともたくさん語っている。でも良く分からないや。
話せば話すほど、心は大切なものから遠ざかってなんだか虚しくなっていくみたいだ。

それが信仰かなぁ。

ぼくは違うと思う。

静かな心の中でひとつひとつ神さまに問いかけをしていくこと。
そして、心の耳を傾けることなんじゃないかなぁ・・・

二人に言っても何か言われそうで怖いからだまっとこ・・・。


二人とも、僕のこと見てくれてるのかなぁ・・・?
もし、どちらかが正しかったとしても、僕たちのことを思ってくれなかったらそんなの無意味だと思うや。)」

2009.06.10 Wed l 未分類 l COM(0) TB(0) l top ▲
B「僕はね、人間の信仰というものは、完全に自由でなければ無意味だと思っているんだ。

自由を圧迫するような宗教は、本物の宗教ではない。

たとえ、それがどんなに幸福になるようなものであっても、それを押しつけたり、強制した時点で、それは信仰じゃない。腐った宗教だ。

これだけははっきり言っておくよ。」

A「そう・・・さっきはちょっと厳しめに言いすぎたかも。ごめん。
でも、私が信じていることは真実だと強く思っているの。
この真実に触れないまま人生を終わっていく人がいると思うと・・・つい。

キリスト教の人にも、仏教の人にも、イスラム教の人にも、すべての人類に知ってほしいの。
世界をひとつにまとめる『ワールド・ティーチャー』が今この地上に生まれてきているという事実を。」

B「まぁ、『みんな』が君みたいに『ごめん』と言えたら、いいんだけれども・・・
てか、それじゃあ、Aさんの役割がなくなるや・・・。」

B「とにかく、僕は『君たち』の、言葉だけで、形容しがたいどこか精神的に『閉じている』雰囲気に危なっかしいものを覚えるんだ。
君たちの信じることが、すべての人にとって当てはまるかい?
君たちはすべてを取り込もうとしている。
そして、自分のいいようにしている。目的は、ひとりひとりの幸せよりも、『主のため』『組織を大きくするため』にどこかでなっていないか?
そういう意識がどこかであるから、『君たち』の内部や『君たち』に触れる人で苦しむ人がどうしても出てくる。
自分の心に素直になれないんだ。」


C「ばうあー、話がちょっと難しい・・・。」

B「う~ん、分かりやすい話はないかなぁ。
君のママが、君に『一切遊ぶのは禁止。勉強だけしなさい』『あなたは、あの友達と付き合っちゃだめ。』『学校は、ママの言うとおりのところを選びなさい』って命令したらどう?」

C「う~ん、ちょっとやだな。いや、絶対やだな!」

B「でも、『嫌なのは分かる。でも、今は分からないけれどあとで幸せになるよ。だから、素直にママの言うことを聞きなさい。ママは、あなたのことを愛している。あなたのためを思って言ってるのよ』って言われたら?」

C「え・・・?
 わかんないや。どうしたらいいか。ママは、僕よりずっとかしこくてたくさん生きてきてるからさ。
 でも、その幸せって何?
 友達と遊ぶのをやめたりしてそこまで得られる幸せってなんなの?」

B「そっか、わかんないか・・・。そりゃ、そうだよね。

じゃあ、たとえば、ママの言いつけを素直に守った。そしてクラスのなかで『頭がいい人』って先生に褒められた、嬉しかった。ママの言っていたことは本当なんだと思った。
でもね、同時に、君がママの言いつけを我慢して我慢して守って、我慢しきれなかったらどうする。でも、さらにママは『辛いけど守って』って言う。そしたらどうなるだろう。」

C「おかしくなっちゃう。こわれちゃう。」

B「そうだよね。こわれちゃう。
こわれたら、どうする?」

C「ママに『やめて!』って言うか、先生に『つらい』って言う。」

B「でも、ママは『今がふんばりどきよ!くじけちゃダメ!弱音を吐いてちゃダメ。それはダメな子よ』と君を叩く。
そして、先生に言っても『みんな同じだよ。同じことで悩んでいる。君一人じゃないよ。頑張れ。ほら、他の子を見てごらん、みんな辛いことがあっても楽しく笑顔で頑張っているよ。辛いことは外に出したら、他の人も辛くなるから、いけないことなんだよ。』
どこにも、自分の辛さを言えない。むしろ、辛さを言うのがいけないことになってしまった。
どうする?」

C「・・・頑張る・・・。

でも、頑張れないなぁ。

どうしたらいいんだろ。頭がおかしくなっちゃいそうだよ。

何もできず、ただ耐えるだけしかないのかなぁ」

B「いいかい。
それと同じ状況になっているのが、『その人たち』の一部なんだ。

いや、今の日本自体がそうなっている!」

A「じゃあ、もしお母さんと、子どももそれを分かって、協力して一生懸命勉強したら?それは明るい未来へつながる幸せなことじゃない?

だから、そんな誰も救えない日本、いや世界を本当の幸福で満たそうと運動しているのが私たちなんじゃないの!

いい?人にはね、地上にいるときにはひとりひとり誰にでも魂の兄弟である『守護霊さま』っていうのがついていてね、見えないけれども私たちのために祈っていて、私たちが嬉しい時には一緒に喜んで、悲しい時には一緒に悲しんでいてくださるのよ。
それが、私たちの愛のあり方だと思わない?

『愛は風のごとく』
私が一番好きな言葉。見返りを求めない透明な風のように、人が気がつこうが、気付かまいが、さわやかに頬を撫でていく。」

B「『そんなの理想だね。具体的にはどうやって打開すんだよ。精神論だけじゃ何にもならねえんだよ。』

A「・・・」

B「、と言いたいところだけど、僕は、好きです。そういう考え方。
そういう素敵な理想を語れる人がもっともっとこの国に増えたら、確実に世界は変わる。」

A「じゃあ、『私たち』のところに戻ってきてくれるのね!?」

B「いや、そういうわけじゃない。

僕が心配しているのは、現実的に『君たち』のなかでそうやって苦しんでいる人が後を絶たないということ。そして、人の集まりが大きくなっていけばいくほどそのなかで、さらに追い詰められる人が行き場所をなくしていく。」

A「それは資本主義社会では仕方のないことだわ。本当に必要なものだけが生き残る。悲劇は確かにおこるでしょうけれど、社会全体の発展としてはいいことなのよ。
主は、すべての人の幸福を願っておられるわ。その人たちを救うための法も説かれている。」

B「僕は、資本主義が悪いとか、共産主義を見直そうとか、そういうことをいうことはないけれど、

・・・・えーと、そういうことじゃなくて、

『ママ』が、自分の信じる幸せの形を『子ども』に押し付けている。
両方がそれを分かっていればいいけれども、本当は人には幸せの形っていろいろあるはずなんだ。
それをいつの間にか『6次元』『7次元』『地獄』だとか、魂のあり方にまでヒエラルキーを勝手に作り上げて人間を評価して、裁いている!」

A「子どもが、井戸に落ちそうになったら、力づくでも助けようとするのが人として為すべきことでしょう!
天国地獄は人がなんと言おうとも昔のおとぎ話なんかではなく、厳然として存在するわ!
現代人の半数が地獄に堕ちているというこの時代に動かない方がどうかしているわ!」

B「誰が決めたんだ!そんなこと!
『その人』が一人で語っていることだろ。その物差しにみんな乗っかろうとして必死なんだ。そのために『信仰』の手綱を掴んで離さない。
『信仰』の深さを証明するために、その度合いとか、どういう業績を社会のためはもちろん、『その人』のためにしたかで霊格が決まるんだ。
誰が地獄に落ちるか、この人の霊格はどれくらいだとか、噂して裁こうとしている。」




C「?????????

眠たくなってきちゃった・・・。」


(続く)


2009.06.10 Wed l 未分類 l COM(0) TB(0) l top ▲
「『その人たち』が嫌いって・・・先生、それはどういうことなの?」

「・・・う~ん、どう言ったらいいんだろう。

・・・正直な話ね、言うのが怖いんだ。」

「なんで?思っていることがあるんだったら正直に言えばいいじゃん」

「自分が今まで人に言えず隠し続けてきた自分の心・・・

それが、醜いことだ、罪だ、人に見せてはいけない、尊いものを冒涜することだ、人の美しい心を穢す・・・
そうどこかで、思ってきた。

それに、自分が差別され、傷つけられるということが怖かった。

苦しんでいても、自分が正しいのか正しくないのか分からないから、それを言うことができなかったんだ。」


「先生が、そこまで怖がることってなんなの?
『その人たち』はそんなことをさせているの?」


「ちょっと落ち着いて、話してみるよ。」


・・・ガチャリ
あ、人が入ってきた。

「ひさしぶりね。元気してた?」

「ねぇ、誰?」

「『その人たち』の一人だよ。
お久しぶり。そちらこそ元気だった?」

「さっきまでの話・・・聞いてたわ。私も、ちょっとショックだったかな・・・。詳しく聞かせてみなさいよ。

あ、私は・・・仮にA子と名乗ります。自己紹介は、話のなかで出てくると思います。」

それじゃあ、ややこしいからA子、先生、Childで、順番にA,B,Cと前に置きますか・・・。

B「(あぁ、話しづらくなったなぁ・・・)

先のお話で、彼らの信じている神さまが、今、地上に肉体をもっている地球で一番偉い神さま、と信じられている、ということは話したよね」

C「うん」

B「その神様が、『あっちの方向を向くのが正しいからみんなあっち向きなさい』と言ったらどうする?」

A「『法』ね。すばらしいことだわ。全人類を真実の幸福の方向へ導く救済の白き手、人生の急流にとっての竿だわ。
だから、すべての人は、この教えに素直に従って、地球規模のユートピアの建設に取り組むこと。
実践してみると、幸福になれることがますます実感をもって分かるわ!
そして、それを実現しようと立ち上がった主のために生きること、それが私たちの使命なの。」

B「僕は・・・嫌だな。」

A「・・・どうしてそんなことを言うのか分からないけれども、
あなたは、主がどれだけ本気の情熱をもって、この世界をユートピア化しようとしているのか知っていてそんなことが言えるの?」

C「A子さん、すごい情熱だね。こんな輝いている人初めて見たよ。
う~ん、聞いてると、ばうあーがひねくれた感じに見えるけれど。」

B「僕はね・・・人間にとって、大切なことは自分の頭でしっかりと物事を見て、考え、決めることだと思うんだ。」

A「うん、たしかに、自分の頭で考えるってことはとても大切だと思うわ。
でも、それ以上に大切なのは信仰心。あの世を信じ、仏を信じる心。
その心なくして、地上だけの物差しで物事をはかることは、小さな蟻が、大きな象をああだこうだと講釈しているような愚かなことなんじゃないかしら。
だから、自分を透明にして、仏の心にお任せするのが真実の生き方じゃない?」

B「それが、ある人は幸福にするけれども、ある人を追い詰め、傷つけ、居場所をなくしてしまうようなものであったら?」

A「それは、ありえないわ!だって主はすべての人々の幸福を願っておられるもの。」

B「・・・口だけだよ、それは。」

A「確かに、人間は不完全だから間違いもおかすわ。
辛いのは私たち・・・『新興宗教』というだけで、『怪しい』とばかりいわれて誤解や偏見で見られる。
でも・・・主の願いを果たしたいから、みんなに幸福になってほしいから、いつも自分と戦って伝道しているんじゃない。
あなたこそ、何もしないで文句ばっかり言って・・・あなたこそ口だけじゃない?」

B「そう言われると、本当に言葉に詰まるよ。

ただ、1点目。なぜ、僕が『君たち』が怖いか。
本当は、変えられない他人の心を、『君たち』は変えようとして必死だ。

そして、価値の尺度というのがただひとつなんだ。教えも絶対化されている。

それに対して、自分の頭で考えて、反対することは許されない。

・・・危険だと思わないかい?」


A「危険なのはあなたの方じゃない?
あなたは、ちっぽけな自我にしがみついて、仏も信じないで、それを本物の自分だと思って離していないだけよ。哀れな人!
そういう唯物論の思想がどれだけ人を道具扱いして殺してきたか。

反対することを許してないわけじゃないわ・・・
ただ、仏の目からみたらあなたなんて、ちっぽけな世界で生きている鉢の中の金魚よりも容易く見えるわ。そんな鉢の中の金魚が宇宙についてあれこれ文句を出している、そんな滑稽な姿に見えるのよね。」


B「・・・という風に押しくるめられるんだなぁ」

C「ばうあー・・・いいかげん素直になったらどう?」


(続く)

2009.06.10 Wed l 未分類 l COM(0) TB(0) l top ▲
「ところで、ねぇ、先生
この前、『友達とケンカした』って言ってたじゃん
誰とケンカしたの?なんでケンカしたの?
先生でもケンカすることあるの?」



「この国の未来のこと・・・
それについての考え方の違い

あと・・・神さまについての、考え方の違いかな」



「なんだか、この前習ったイスラエルとパレスチナの問題みたいだね」





「ある神さまを、信じている人たちがいて、その人たちが、日本を、世界を変えようと思って、この国に働きかけはじめたんだ」

「へぇ、なんだかいいことだねそれ。どんな神さま?」

「その人たちが信じているのは、イエス様が『お父様』と呼んだ神さま。」

「じゃあ、それはキリスト教と一緒なの?イエス様より偉いの?」

「そして、お釈迦様の生まれ変わり。」

「え?じゃあ、仏教?」

「あたらしい教えだね。この世界を一つにまとめる、と彼らは言っている。」

「どこにいるの、その神さまは?」

「『自分がその神だ』って、ある人が自分で言ってるんだ。そして、彼らはそれを信じて、『奇跡の時代だ』と歓喜している。」

「でも、『神さまはいつも自分の心の中にいる』って、教わったよ」

「その心の中にいる神さまが木の枝だとしたら、その幹や根にあたる神さまだ・・・とその人は自分で言っている。

地上を浄化するために、この世に肉体を持って生れてきた、と。」

「なんか、信じられないし、うさんくさい話の気がして仕方ないけれど、
でも、もしそれが本当だったら・・・」

「・・・そうだよね、大変なことだよね。でも、本当のことは僕たちには分かるすべがない。」

「じゃあ、その人たちは何で信じることができるの?証拠はあるの?証明はできるの?」


「君は、作文を書いたことがある?」

「うん・・・200文字原稿用紙があって・・・1週間かかって、2枚できたよ」

「その神さまはどれくらい書いて自分の教えを伝えていると思う?」

「聖書が・・・辞書みたいに分厚くて、たくさん書きこまれている本、で、イエス様の教えはマタイ・マルコ・ルカ・ヨハネの4冊だから・・・

10冊くらいかな?
多い?」


「今、500冊を超えている。それも、たった20年間で。」

「嘘?それみんなその人一人で書いたの?みんなで集まって書き上げたとかじゃない?」

「みんなその人一人で話して、書いて、本になってる。
こういうことができるのは、その人が並大抵の人間でないことを証明しているんだ。」

「でも、本をいっぱい書く人は少ないにしろ、必ずいると思うよ。
それだけじゃその人が神様ってことにはならないじゃないか。」

「それを信じる人が多いのは、その本の一冊一冊を読むたび、人生が変わっていくという体験をした人が後をたたないからなんだ。
そういった経験を通して、この教えは本物だ!という確信を深めていったんだろうね。」

「どんな本で、どんなことが書いてあるの?なんで、それらの本は人々をひきつけたの?」

「それは人によって、さまざまだと思うけれども、
一番にあるのは、『あの世の段階や構造、生まれ変わりの仕組みをありありと語っていること』
『あの世の段階の一番上にいて、今回地上に降りたのが自分だと語っていること』なんじゃないかな

「う~ん、それくらいだったらそこら辺の宗教も似たようなことを言ってない?よくわからないけれど」

「そして、おそらく宗教が語ったとは思えない、政治や経済、仕事の方法や、健康維持といった多岐にわたる分野にわたって、現代人の必要に合わせたことも語られている。
もちろん、人生いかに生きるべきかといったことも語られているけれどもね。」

「へぇ~。それだったら怪しい宗教には思えないや。」

「実際に集まっている人は、ごく普通の人たち。
部活に打ち込んでいたりとか、カラオケにいったりボウリングにいったり、喫茶店で話に花を咲かせたりと、なんら変わることはないんだ。

まぁ、彼らは天上界ということが常識の世界観だから、天使の世界と自分の心を合わせるために、お祈りをしたりだとか、本を読んだりとかが習慣になっているのだけれどもね。

そして、正直な話、尊敬できる、心のきれいな人も多くいることは事実なんだ。」


「聞けば聞くほど、先生が彼らを評価しているような気もするけれど・・・」


「で、先生はそれを信じているの?」

「でも、先生はその人たちが嫌いだ。反対している。」

「え?なんで?
・・・なんか、少し先生が心を閉ざした嫌な人間のような気がしてきたよ・・・」



「まぁ、そのこと自体に対してとやかく言うつもりはないんだ。まぁ、聞いておくれ・・・。」



(続く)








多くの人が、雰囲気だけで何もご存じないようでしたので、
「社会的」観点からよりも「信仰的」観点から、話題になっているのかなっていないのか分からないあの話題について語らせていただきました。



多くの意見を見ていると、「政教分離はどうしたんだ」「カルトだ」「気持ち悪い」「オウムの真理党、公明党と続いてまた出てきたぞ」という日見よりの意見ばかりがほとんどで、
「正面からものを見る」ということが出来ていない、「周りの雰囲気に流され、自分の頭で考えることのできない」人間がほとんどであるという事実をみて、むしろ、この国の「流され易さ」にある種の危機感を覚えています。
そういう何も考えずに放った言葉が、純粋な信仰をもった人の心を傷つけるということが分からないのかなぁ。
宗教や思想による「差別」ってのは見ての通り、厳然としてある。
でも、逆も然り。信仰を持った人間が、それに反対する人間を見下し、傷つけるなんてことも、自分の見ている限り決して「例外的」なことではない。そういうのが、揃って肯定されているのが絶対に嫌なんだ。



「あなたは、人が嫌で、根本の法まで否定してしまったの?」と聞かれるかもしれない。

いや、逆だ。

詳しくは、のちほど・・・。



俺は、すごく難しい立場に立っている。
反対しなきゃいけないし、守らなきゃいけない。説得を受けなきゃなんないし、言葉によって傷つけられることもあるんだ。
正直の話、誤解や偏見で見られるのが一番怖いし、俺の話を一緒に「考えさせられました」って正面から聞いてくれる奴がどれだけいるか分かんない。

オウムを生み出したのは、オウムに無関心な多くの人々にほかならない。
ヒトラーを支持したのは、当時ベルサイユ条約で困窮のなかにあったドイツの労働者、国民の9割。

また、「報道」というものが、いかに真実を伝えていないか、
そして、「思想」という難しい問題に中立的に伝えることがいかに至難のわざで、「臭いものには蓋」的な空気がこの国に流れているかを痛感せざるを得ません。



そのなかで、自分の苦しみを表に出せず抱え込んでおびえているという人も少なからずいるということを知りました。
本当はもっともっといるかもしれません。




俺は、否定も肯定もしたくない。

ただ、批判したい。


みなさんにお願いです。

「考えてください。」
そして、どうか「自分の良心」を見失ってしまわないことを祈ります。




この先の説明は、次のおはなしにゆずります。


2009.06.10 Wed l 未分類 l COM(0) TB(0) l top ▲
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