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晴れて第一希望の大学に入学、上京しました。

その頃は、未だ五反田にある「学生部」の本部に顔を出したり、さまざまなイベントがあると参加していたりしていたのです。

宗教に裏切られた私がなぜ、そのように再びそのようなことをするのか。

分かりません。

ただ、新しい出会いが欲しかった。

自分のことを語れる場所が欲しかった。

学生には何の恨みもない。

僕と同じような信仰を持った人のあつまり。

悪い人でもない。

でも、会の活動の中心に入り組織的な面で動かすということはしたくなかった。

僕は、僕の中で「信仰」をほとんど虚しいものと捉えていたから。


よく、会の学生部の活動に呼ばれて行くこともあった。

やっていたことは何だろう。

一番は、やはり「伝道」「お誘い」、学生部合宿やイベントなどを作っていくこと・・・

自分はよく知らないというのが本当のことです。

楽しかった。
でも、少しさみしかった。

ひょっとしたら、その寂しさは僕がどこに行っても同じように付きまとっているものかもしれません。



少し、学生部の暖かな思い出をひとつふたつ・・・

東京大学などの文化祭では、「宗教」ということを表に出さず「教祖の著作の研究会」ということで「心のエステ」という催しをやって、
お客さんに心理テストをやってもらって、「仏法真理」からみて「愛」とか「夢」とかいろんな角度から悩みとか興味のあることを上手いことしてなんとか楽しく話し合っていく。

別に、「宗教を伝えたい」とか他意はなくて、純粋にお客さんが目を輝かせて興味をもっていろんなことを一緒に話し合えるのがとても楽しかった。
最初は緊張したけれど。

来てもらう前と来てもらった後で少しでもその人が幸せになってくれれば僕たちもとても嬉しかった。

「できたじゃん!ありがとうね」と言ってくれた先輩の笑顔が忘れられません。


学生部合宿の夜、
徹夜でいろんな仲間と語り合った思い出。

キャンプファイアーの前で自分の体験を涙ながらに本気で語ってくれた仲間たち。

みんなで手をつないで歌を歌った。

そうしてできた学生部の絆は宝物。

みんな、この会にたいする「どうせ宗教だろう」という見方を変えて、
「宗教って本当に素晴らしい!」と、純粋に他の大切な仲間にも信仰の素晴らしさを伝えたくなるのです。

彼らは本当に純粋。

僕たちと同じように悩んだり、喜んだりして、迷いながら一生懸命生きている。

そのヒントに「信仰」や「仏法真理」とかいうものがある。


僕は会も宗教も嫌いだ。

でも決して、彼らをいやみに言うことのできる良心は持ち合わせていない。


僕は・・・みんなが大好きです。

しかし、この「活動」の手伝いはできないんです・・・。
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2009.02.24 Tue l 未分類 l COM(0) TB(0) l top ▲
僕は宗教に関して言えば何も看板は背負いたくないのです。

単なる「無宗教」ということでもなく。
単なる宗教全般の否定ではなく。

受け入れます。

本物の「いのち」との出会いを求め続ける人間でありたいのです。

私は優しい人間でありたい。
私は愛を求めたい。

真実に対して目を開いていたい。

私は孤独の中でただ、独り立つものとして宗教の道を歩む。

犀の角の如く。
2009.02.24 Tue l 未分類 l COM(0) TB(0) l top ▲
私は人生そのものに疲れきってしまっていて、将来の進路も明確にないまま勉強にも意欲的に取り組めず
他の受験生たちが目標目指して勉強を頑張って上の大学を目指している中焦燥感と劣等感と虚しさは募るばかり
勉強すらやる気にならない状態が長く続き
成績も学力も伸び悩む一方でした
客観的に見て、はっきり言ってどこの大学にも受かりません

もうどんなにあがいても何も変わりません

大学に進学すること自体諦めようと考えてました
そして自分の人生これを機にこのまま転落していくとまで絶望的に考えてました

ところがセンター試験も近くなったある日のこと
ふと彼の気が変わりました

自分はこの大学のこの学科にいくのが運命なんだ!
と彼は感じたそうなのです

その大学はまあどっちかといえばトップクラスのレベルで、彼の勉強を全くしない現状から見てももはや周りからは笑われるほど冗談にも近い高望みでした。

そんな彼が弱気に負けず追いつくための勉強をしながら、常々自分に言いかけていたこと

「すでにこの大学のこの学科に合格した。ありがとうございます」


実は、この発想は、以前に語った光明思想の宗教の本に影響をうけたのです。

毎日「神想観」というその宗教の瞑想的なお祈りを欠かさずやりました。


そんなことで実質「受験勉強」をしたのはセンター試験前から2月6日の入試のほんの一ヶ月ちょっと。

それでも受ける前から「受かった!」と思ってワクワクしながら本番に臨んだところその第一志望の学科だけ見事に受かってしまった。

他にも滑り止めを6つくらい受けたが「受かった」イメージを抱いていなかったので、みんな見事に落ちていたそうです




実はそんな「宗教」を信じたことによる奇跡的な体験の経験者なんです。
いや、宗教そのものというか、「神の子無限力」の宗教的発想というか。


宗教なんて「いいとこどり」でいいんだと思います。

組織や教祖、理論に拘泥していては悲しいことになるし
宗教のすべてを否定すれば、人の「いのち」や「倫理」「道徳」の基盤はむなしいものになる。

そして、宗教の「信じる」ことの力、「感謝する」ことの美徳を改めて「いのち」の根本にあるものだと感じさせられたのです。



以下は、自分の感じた「成功」の法則。

「絶対成功する」じゃだめなんだ
「すでに成功した」じゃないと

はっきり断言してもいい

イメージってのは単なる希望や空に描いた理想なんかじゃなくて
明らかな現実にほかなりません
客観的に目に見えるカタチで証明することができないだけです

ものすごく強く強く現実的にイメージしたことはすでにその人のなかにあるし、それは必ず実現するものだと思う。

もちろん現実に自分の身体を使って徹底的に現実に働きかけてはじめて答えは出るもの

そしてイメージと行動はできるだけ強く結びつけるよう頑張らないと前には進めないけれど

そしてやっぱりイメージの力の根本にあるのは
「こうなりたい」っていう心からの欲求や希望に他ならないと思うのよね

だから暗い気持ちでやってちゃいくら頑張ってもそんなの嘘でしかない

明るくイメージを描かないと
積極的にイメージを描かないと
本当の力は出せない

2009.02.24 Tue l 未分類 l COM(0) TB(0) l top ▲
このブログを8か月振りに更新します。
ここまでほったらかしにしておいたのにも、私が既にこの宗教に未練がないことのあらわれかもしれませんし、
それに捉われず、自分は自分の道を進んできたということかもしれません。

しかし、再び振り返らせてください。
考えさせてほしいのです。

私の高校時代から止まってしまっていた歩みを。

私は今も歩んでいます。


今の私のまわりには神父の先生が多くおり、彼らと交わる機会も多くあります。

そのうちの一人の方が
「もう、そろそろ落ちついてもいいころかな」
と一言すこし言いました。


しかし、私はきっと迷いつづけ、戦い続けるかもしれません。

「宗教」そのものに対して。

そして、それゆえに私は宗教の道を深く歩むのかもしれません。
2009.02.24 Tue l 未分類 l COM(0) TB(0) l top ▲
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