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ここで僕の宗教歴に触れておきたいと思います。

小学6年生の時、その宗教(以下「会」と言う言い方にさせてください。)の本が家にくるまで、
そして、中学一年生の時に映画を観て三帰(入会のこと)するまでは

僕の家は、祖母経由で伝えられた、また別の神道系の新宗教に親しんでいたわけです。

「人間神の子無限力」を説く光明的な思想や
冊子の漫画に僕は子どもながらに「宗教」特有の明るさや素晴らしさを感じていたような気がします。

ちなみに会では
その宗教の創始者の霊格は「凡天界」(7次元と8次元の間…後に概念は説明。)にいるらしく、高級霊のひとりであるそうです。

そういう環境に親しんできたわけですから

「あっちの教えは旧い、今はこの人の時代よ」と持ってこられた
当会の「総裁先生」の本に対して何かしらの反発心があったのはあるかもしれません。

その本は小学生あたりには読みづらい内容でしたが
生活の知恵や、経済、国家の考え方など
哲学的でない分かりやすい考え方で、
今まで触れてきた宗教らしくない新しさを感じて不思議に思ったりしたものです。

親が出会ったのは大学で会の学生が活動の一貫として行う「心のエステ」を通じてなのだそうだが。

それから次第に
会の冊子や書籍を僕の家でたくさん見かけることになりました。

「ヘルメス・エンゼルズ」なんていう子ども向けの冊子もあり
道徳的なことや勉強の仕方などいろいろなことが書かれてあり
当時、中学受験のストレスから「いじめ」をしていた僕にとっては良心に呼びかけられているような気がしたものです。

とにかく
家に来る出版物を通じて「会」がどのようなものかを少しずつ知ることになりました。

今まで見てきたり触れてきた伝統の宗教、戦後に出来た宗教とは違う、新しい視点の現代的な宗教だなということを感じました。


初めて会の「支部」に訪れたのはいつでしょうか…
おそらくは中学一年生のころだと思います。
その年の秋には宣伝用の映画もやっていて
映画には素直に感動しました。
ひょっとしたらあの映画が私の信仰の原点なのかもしれません。

そのあたりに三帰をして
「正心法語」や「祈願文」といったお経をいただきました。

三帰に導いてくださった会の職員さんがこう言ってくださったのを覚えています。

「今は分からないかもしれない。けれども、この時はあなたの魂に黄金の刻印が押された大切な大切な時だということがあとになって分かることが来るよ」と。


一緒に来ていた兄も一緒に三帰をしました。
もちろん自分の意志ではなく。
「自分で読んで勉強しようとは思うけど、会に入るのはちょっと…」と言う感じで嫌がっていましたが、
会員さんにやさしく笑顔で「入っても何も変わらないからね、とりあえず入るだけ入ってみなよ。霊的に守られるからさ。」と勧められて一応三帰誓願式を受けたという感じです。

兄も支部に来させられることに対して、初めは「なんだよ」という感じでしたが
会員のみなさんと話をするにつれ、とても素直で明るくなっていって、帰る頃にはすっかり上機嫌でした。

会員さんは
「うん、三帰する前とあとで確かに変わったよ。光が来てるのが分かる」と嬉しそうに祝福していました。

僕もこんなにスッキリした感覚は初めてでした。

今までの宗教観が変わった瞬間でした。

「この宗教は決して怪しい宗教ではない」
「支部は居心地がいいし。この宗教はきっと僕に何かよいものをもたらしてくれる」という期待をもとに
僕は自然にすんなり会を受け入れてしまったのです。
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2008.05.03 Sat l 未分類 l COM(1) TB(0) l top ▲
宗教や
人生とは何かという問いかけについては
学校は教えてくれません。

新宗教に関してであればなおさらです。

宗教とは日本では大きなタブーになっています。

何故なら善か悪かという明確な判断がしがたいからです。

そしてそれを普遍化した知識体系にもできない。

宗教とは人類の歴史とともに常にあり、
人間の根本にある問題でありながら…!


日本では宗教と人間は仕切られてきたように思います。

そのため何も知らない多くの人は、宗教を異質な目、あるいは近寄りがたい感覚で見る傾向があるようです。

そのたも、宗教に関わっている人は孤独です。

自分の置かれている状況を理解してもらえないのですから。
2008.05.03 Sat l 未分類 l COM(0) TB(0) l top ▲
僕がその宗教に求めていたものであろうのは

やさしさ

人とのつながり

希望

本当の人生

真理

世界の真実

人生を再生させてくれる力

本音で語り合い、支え合うことができる仲間

そんなものでした。


そして求道心
信仰

本当に大切なものを
その宗教を通じて学びました。


すべての人間は自分を向上させたい、
幸福になりたいという欲求をもっています。

だから、それ自体は間違ったことではないのです。



私の目から見て、
その宗教は
他の宗教はどうか知らないけど
決して社会問題になっているようなカルトや怪しい宗教とは一線を画したものでした。

それは今思うと素直に認めるべきです。

集まっている人は
大半が「普通の人」だし、本当に笑顔が素敵で、さわやかで、明るい人なのでした。

僕はそれらは決して作られたものではないように思えます。

本当に凝り固まった考え方を持っていたのは…1割…2割
それくらいでしょうか…分かりませんが。

ひょっとしたら私もその何割かにいたのでしょうか…。

つまり、その宗教に属しているひとがすべて主義主張に凝り固まったドグマを持っているというわけではないということです。


私たちと同じように
普通に毎日を生活している普通の人です。

その普通の生活に何らかの使命感を持ち、より良いものを作り上げようと心がけています。

時には支部や精舎に行き、お祈りや研修を受けて、新しい人生の指針を見い出すこともあります。

会員とは名ばかりで、まったく宗教に関わりを持たない人も大半です。

私の家族もみんな一応「会員」ですが
宗教とは無縁の存在です。

私の祖父も亡くなる前に、こちらの方で、病気平癒祈願を受ける際に間接的に勝手に「三帰」(三法帰依=入会)することになりました。

あと、子どもであれば親に「とてもいいから是非行きなさい!」ということで学生部の合宿に参加させられること。
やる気のなかったたいがいの子どもがそこで今まで見たことのない他の子どもの輝く姿を見て考え方を変えます。
全国に「法友」も作ります。


「伝道」をする気にもなります。

本当に宗教活動を動かしているのはやはり一部です。


私と母だけが
宗教活動に熱心でした。

それを考えると宗教の実質の大きさなんてそんなもんなんでしょう。


オウムや統一協会などに入信する方は、真面目に人生を考えたりして「ああやっと本物に出会えた」と思ってその門をくぐるような人が多いと聞きますが、私の宗教は若干質が違うように感じています。

でも本質を突き詰めて考えていくと…

それは後ほど考察していきたいと思います。


僕が苦しんだのはすべてを否定してしまったから。

明るく生きることや
優しさを持つことは決して
純粋でないものではないということ。


僕はもう一度、僕のなかにある本当に素晴らしいものを見極めるべきです。
2008.05.03 Sat l 未分類 l COM(0) TB(0) l top ▲
少し僕自身のことについて振り返ってみたいと思います。

そして、これをこの場に告白したい。


「告白」とは、
私とある宗教に関する関係
そして、つれては僕の人生にも関わってくる大きな問題になってきます。

過去にも告白したことはありますが
単に思いと事実を吐き出しただけに終りました。


告白するのは
明日に進むためです。

もちろん新宗教なんでそれに対して、擁護に批判やいろいろなことが言われています。

僕はその葛藤のなかで自分の進むべき道を見失いました。

自分の見方にしてもありのままを見ようとして、結果多くのドグマを作りだしてしまうことになりました。


本当に言いたいこと
彼らの心のなかにあるもの
自分の心のなかにあるもの

それらに真摯に向かい合わなければ
お互いを傷つけあうだけです。

それを踏まえた上で
出来る限り自分に素直に率直に
分析、批判、考察を試みて
ひとりひとりが明日を作っていくためのヒントを作っていけたら嬉しいです。


よく断片的に思うこともあり、そのことも思い付いたら
書くことにしています。


正直怖いです。
世の中には
どちら側にも「こういう主義主張を抱えている」というだけで
攻撃したり、異質な目で見てくる人がいるからです。

きっと、このことも大きな問題でしょう。


宗教や信仰というものは、単なる客観的な理屈ではなく、自分自身が生きる人生そのものと切り離すことはできません。
僕のここまで至った経緯を再び「決しておかしくないものなんだよ」という確認も含めて
いろんな情報なども提示してまっすぐに語っていこうと思います。
2008.05.02 Fri l 未分類 l COM(0) TB(0) l top ▲
いったい宗教とはなんでしょうか?

世の中には、世界には様々な宗教があります。

キリスト教、仏教、イスラム、

あるいは、世間を騒がせている新興宗教。

日本人の我々にとって、「宗教」とは、何やらわけのわからないものであるし、なぜ、多くの人間が宗教を信じるのかわからない。

あるいは、何らかの宗教団体に属し、信仰をもっている側からすれば、「あの世」や「神」を信じていない日本人がある種の根なし草のように生きている人のように思われるかもしれない。

宗教と、非宗教の間にはいつも確執が起こる。

宗教は人の人生を変える。

宗教に入った人が生き生きとしだしたかと思うと、一方で凝り固まった考えを信望するようになって困っっている。


宗教とはいったい何なのだろうか?

神とはそこまでして必要なものなのだろうか?

いろんな人がいろんな議論を終わることなく続けている。

わからない。

もう混乱してなにがなんやらわからない。


宗教とは何か?

・・・いや、こんな本音でもない表面的な前置きはここまでにしたい。


そのまえに、「私」とはなにか?

どう生きるべきか。


その問いがあった。

いや、「宗教」と出会うことによってその解答がまず問う前に与えられていた。

しかし、それは時を待たぬうちに、より、根源的な問いへと崩れ去る。



まあいい・・・こんな抽象的で分かりにくい哲学じみた問いをいくら一生懸命問いかけたところで、無駄でしょう。
何より、自分が語りづらい上、嘘の言葉しか並べられない。

だから、今は「ああでもないこうでもない」と迷っている段階です。


これから、まずは一歩一歩、「自分」という人間とその歩みを確認していきたいと思っています。
2008.05.01 Thu l 未分類 l top ▲
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